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第三話

「はぁ〜……。農家の大変さがよ〜くわかりました〜」

 

 作業を終えたモードはげっそりと肩を落とし、重い足を引きずっていた。

 邸の裏手である。

 ルシアに粉をかけてからというもの、ことあるごとに絡んでくる子供たちから逃れ、休める場所を探していたのだ。

 手が臭い。

 いや、全身が臭い。

 ふらつく体を馴染みの杖で支える。きっと、この杖にも匂いは移っている。

 強靭な杖である。モードが寄りかかっても、しなることはない。ましてや折れることなど、絶対ない。

 長さはモードの背丈にほぼ等しい。先端には飾りも石突もなく、ただ削って形を整えただけの安物に見える。

 しかし、この杖を糞臭くしたと知られれば、二回は死ねる自信がある。

 女は人であれ、人外であれ、怒ると徹底的に容赦ない。

「どこかに川とかないですかねぇ〜……」

 モードは森の入り口に、吸い寄せられるように向かった。

 あの中に小川が流れているかもしれない。

「どこに行く気だ、あんた」

 背後から声をかけられた。

 振り返る前に誰だかは見当がついた。無愛想で鋭い瞳の少年だ。

「やぁ〜ジョッシュくん。水場を探してるんですよ〜。この杖を洗えないかな〜と思いまして」

 モードは足を止め、杖を指差しながら後ろを向いた。

 ジョッシュは相変わらず固い表情でそこにいた。この少年の笑っているところは、まだ一度も見たことがない。

「その森は立ち入り禁止だよ。入ったらルシア母さんに叱られる」

 抑揚のない声は、真剣味に欠ける。しかしそれ故に、事実は事実だと伝えてくる。

 モードは一度「え〜、そうなんですか〜」と森を見やった。それから「でも〜」と諦めきれない表情でジョッシュに向き直る。

「大丈夫ですよ〜。あんまり深くには入りませんから〜」

「そういう問題じゃないんだ」

「どういう問題なんです?」

 ジョッシュは言葉をつまらせた。そんな直球で返ってくるとは思わなかったのだろう。

 モードはにこやかに言葉をつけ足した。

「ちょ〜っと水場がないか見てくるだけですよ〜。川がなければ池とかでもいいんですけどね」

「……本当に、水場を探すだけ?」

「他に何を探すっていうんです?」

 またまた質問を質問で切り返され、ジョッシュは苛立ちを露にした。眉をしかめ、モードを睨みつける。

 モードは気付いていた。無関心を装いつつ、その実、誰よりも自分を警戒しているこの瞳に。

「……あんた、本当にただの行商人か?」

「もちろんですよ〜。今はただの乞食ですけどね」

「怪しすぎんだよ。商人ってのはもっとはきはき喋るもんだろ? トロくさそうなのもわざとらしいし」

「わざとじゃないですよ〜。これは地です」

「何しにきたんだ? 何を探ってる?」

「どういう答えを期待してるんですかね〜、君は?」

 やれやれ、という風に、モードは腰に手を当てた。

 情熱的な視線は嫌いではないが、つきまとわれるのは鬱陶しい。正直、邪魔だった。

 ジョッシュの顔に迷いが表れる。言うべきか、言わざるべきか。判断するには、まだ材料が足りないのだろう。

「ジョッシュ! モードさん! 何をしてるんですか?」

 しかし、会話はジョッシュの決断を待つことなく、打ち切りとなった。

 ルシアが二人を呼んでいる。モードはにこやかに「ルシアさ〜ん!」とジョッシュの肩越しに手を振った。

「ジョッシュ。森に入ろうとしてたの? 危険だから入っちゃ駄目だって言ったでしょう?」

 華麗に無視され、少し淋しげに手を下ろすモード。

 ジョッシュは、再び固い表情に戻り、踵を返すと、無言で近寄ってくるルシアの横をすり抜けた。

「こら! ジョッシュ!」

 ルシアの叱責に応えることなく、邸の方へと走り去っていく。

 しばらくその背中を見送った後、ルシアは申し訳なさそうな顔でモードを振り返った。

「すみません、モードさん。あの子、何か失礼なことをしました?」

「いえいえ〜。僕がこの杖を洗おうと思って、森に入ろうとしたんですよね。それを止められただけです〜」

「そうですか……。この森は見た目より深いし、野犬なども出て危険だから、入らないように言ってあるんですよ」

 表情を沈ませ、ため息混じりに言う。ジョッシュのことで気を揉んでいるのがありありと見てとれた。

「反抗期ってやつですかね〜? そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、ルシアさん」

「それならいいんですけど……。二ヶ月前、とても仲の良かったトマスという同い年の男の子が里親に引き取られ、ここを出て行ったんですよ。それから段々ふさぎこむようになって……」

「ああ、それで。友達がいなくなったら淋しいですよね〜」

「ええ。よっぽどショックだったんでしょうね……。よく一人で物思いにふけったり、ふらりとどこかに行ったりするようになって……どうにかして元気づけてあげれたらいいんですけど」

「そういうのは時間が解決してくれますよ〜。ここには兄弟もたくさんいるし。あ、もちろん僕もできるだけのことはしますから」

 モードはさりげなくルシアの腰に手をまわし、身を寄せた。

 落ち込んだ女性はガードが緩くなる。基本中の基本である。

 しかし、そう易々と術中にはまるルシアではなかった。

「どこを触ってるんですか!」

 見事な平手打ちを頬に食らい、モードは「おぶっ!」と後ろによろめいた。

 意外とキツイ。

「真面目な話をしてるのに、なんて人ですかあなたは!」

「いえ、あの、今のはつい癖でっていうか」

「癖で女性の腰に手をまわすんですか!? そういうことをする相手は町で探してください!」

 厳しい視線を浴びせ、憤慨したルシアはモードを置いて、肩をいからせながら先に行ってしまう。モードは慌てて追いかけた。

「ルシアさ〜ん。待ってくださ〜い」

 なんとも情けない声をあげ、痛む頬をさすりながら。モードはルシアの後を追う――とみせかけ、不意に足を止めた。

 背後を振り返る。

 そこにあるのは、陽光を受け、穏やかに佇む木々の群生。優しく誘う森の入り口。

 それを見つめるモードの表情から、一瞬、へらへら笑いが消えた。

 代わりに薄い笑みが浮かぶ。

 しかし、わずかな後、前に向き直ったモードの顔はいつもの緩みきった青年のもので、再びモードは情けない声と共にルシアの後を追いかけていくのだった。

 

 


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