第1話 ラームという少年
小鳥がさえずり、合間から差すほのかな木漏れ日が美しいと言われる森があった。
穏やかな様相を見せるこの森を人はカルラ森林と呼んでいる。
街道も敷かれるほどに平穏なこの森は、時に人々の往来する道となり、時には恵みを与え、この付近の人々からは親しまれてきた場所だ。
いつもであれば穏やかな森なのだが、今日は少し様子がおかしかった。
街道で二台の幌馬車が立ち往生していたのだ。
御者である商人は手綱を握り、馬を走らせようとする。
しかし、馬は縮こまってしまっており、この様子ではとても走れない。
「グルル……」
「お、お前たちなんとかしろ!」
獣のような唸り声を聞いた商人は怯えきった様子で、荷台の方へと逃げていった。
すると荷馬車から五人の男が飛び出して、剣を構えて馬車を守るように広がる。
四人の男はそれぞれ顔に傷を持ち、着用している胴鎧も使い古されて、歴戦の風格を見せている。
一人だけ装備が新しく入って間もないといった様子の男もいた。
彼らは傭兵で野盗からこの商隊を守るために雇われた存在だ。
それなりの野盗と渡り合ってきた彼らだったが、敵の存在を見た瞬間、嫌な汗を流した。
彼らの眼前には十五匹ものの緑色の体毛をした狼のような獣が、牙をむき出しにして馬車を囲んでいる。
この獣はカルロウと呼ばれる獣。一匹では大人しい存在だが群れを形成すると凶暴になり、人も襲うことで知られている獣だった。
何回か戦ったことのある獣だったが、今回はいつも以上に数が多かった。
「グルル……」
「どけ、クソ犬ども!」
唸り声を上げる一匹のカルロウに傭兵は斬りかかった。
カルロウは避けようとしたが遅く、体を斬りさかれ赤い血を吹き出すとその場に崩れ落ちた。
血だまりに沈んだ同胞を見ても尚、カルロウは戦意を失わず傭兵に飛びかかった。
一匹が動いたのを皮切りにカルロウたちは次々に傭兵たちに、爪牙を向けた。
傭兵たちも剣を振って応戦する。
ここに傭兵とカルロウの群れの戦いが始まった。
馬車の周辺で血しぶきが上がりはじめる。
それは最初こそは傭兵たちが優勢だった。
だが、斬っても斬ってもすぐに補充されるカルロウ達に次第に押されていく。
そして、
「クソ、がぁ!?」
「バウ!!」
「が……ヒュー、ゴホ……」
一気に三匹のカルロウに飛びかかられた傭兵の喉笛が噛みちぎられる。
断末魔のうめき声を上げて、その傭兵は事切れた。
人が死んだ事実に、真新しい装備に身を包んだ新人傭兵は顔を真っ青にする。
「ヒッ、来るな……うわぁぁぁ!!」
一人の傭兵が殺されたのを見た新人の傭兵が背中を向けて逃走をはじめる。
だがそれが仇となった。
集団から外れたその傭兵にカルロウ達は目をつけて、一斉に襲いかかる。
飛びかかられた傭兵は背中から押し倒されて、複数のカルロウに噛みつかれる。
暴れて抵抗する新人の傭兵。
カルロウの爪牙によって真新しい装備に傷が付けられていき、彼が先ほどの傭兵と同じ末路をたどるのは時間の問題だろう。
残った三人の傭兵に食いついていないカルロウ達は狙いを定める。
その光景を目にした傭兵たちはほぼ全員震え上がってしまっていた。
傭兵の中には自分が死ぬことを嘆く者も出てくるほどだ。
「グル……?」
突然、新人に噛みついていたカルロウの群れが匂いを嗅ぐ仕草をしながら別の方向を向く。
よく見ると、馬車が通ってきた道から一つの人影が歩いてきていた。
その人物はどの傭兵よりも幼く、少年と言ってもおかしくないほどの年齢だった。
くすんだ金色の髪は一見すると美少女にも見えるほどに美しいと思わせる。
だが、彼の着ている外套や革鎧は使い古されていながらも、よく手入れがなされており、彼が旅慣れている印象を与えた。背中には少年の背丈よりと同じほどの長さの両手剣が背負われ、腰には分厚い刃を持つ鉈がぶら下げられていた。
小柄な少年の体躯にはとても荷が重いように見えるが、彼は持ち歩くことを苦にしていないようだ。
彼の深い緑の目はカルロウへと向けられており、その足はゆっくりとカルロウ達の方へと歩いていた。
「ガウ? グルル……」
少年という新たな獲物を見つけたカルロウは噛みついていた新人から離れて新たな獲物へと狙いを定める。
彼は背中から両手剣を取ると二つの手で構える。
「バウ!!」
「……」
三匹同時に飛びかかるカルロウ。
少年は構えた両手剣を三匹同時に斬り払う軌道で振るった。
そのまま軌道に飛び込んだカルロウ達はその刃で両断された。
「グルル……バウ!!」
仲間を一度にやられたことに激昂したのか、残ったカルロウは怯える新人の傭兵に構わず全員、その少年に狙い定める。
少年は顔を上げて、カルロウの群れを睨みつける。
口をギリギリと食いしばり、怒り狂った様子の緑色の目は鋭くカルロウ達を睨みつけており、彼らに対する憎悪の炎が煮えたぎっていた。
「来い、獣共」
「ガァウ!!」
唸り声と同時にカルロウ達が少年へと一斉に飛びかかる。
少年は次々と飛びかかってくるカルロウの爪牙をかわしつつ、彼らに一撃を入れていく。
斬撃で一匹を斬り伏せ、次に飛びかかってきた一匹にするどい切っ先で貫く。
両手剣の刃の内側に潜られれば、柄で叩き頭蓋骨を砕く。
剣が振るわれるほどに辺りにはカルロウの血が噴き出して、木や地面を赤く染め上げる。
同時に彼の体も赤く染まっていく。
少年の立ち回りが終わる頃には、カルロウ達は傭兵達よりも数が少なくなってしまっていた。
少年はまだ息のあるカルロウの体に両手剣を突き刺す。
威嚇するように生き残ったカルロウらを睨みつけた。
「キャイン、キャイン!!」
威圧を受けてか、それとも形勢の不利を理解したのか、生き残ったカルロウ達は甲高い悲鳴を上げながら、森の奥へ走り去っていった。
彼らの姿が見えなくなると少年は両手剣を大きく振って、刀身にべっとりついていた血を払う。
そして、そのまま傭兵達の元へと向かっていく。
「大丈夫ですか?」
とても丁寧な言葉使いで新人の傭兵に手を差し伸べる少年。
だが、彼の姿を見た傭兵達は一斉に怖気付いて荷馬車へと走り出した。
くすんだ金色の長髪と外套がカルロウの血でどこもかしこも赤く染め上げられ、異様な風体となっていたからだ。
しばらくして、馬車から最初に隠れた商人が姿を表す。
商人は、少しおびえながらも話し始めた。
「あ、助かったよ。君」
「いえ、もう少し早ければ一人も助けられたのに、遅くなって申し訳ないです」
「し、仕方ない。あ、そうだ、これはお礼のお金だ」
「お金なんていいですよ──」
「そ、それでは、わ、私はこれで!!」
商人は投げつけるように少年にお金を渡すと、そそくさと馬車に戻り手綱を握って、逃げるように馬車を走り出させた。
生き残った傭兵たちは幌の中から少年を見ながら、喋り始める。
「クソ、一人殺られちまったからまた人を集めないとな」
「あとお前、クビな。次の町で降りてもらう」
「はい……」
生き残った新人傭兵にクビを宣告する傭兵。
新人は静かに頷いた。
彼の姿はさながら敗戦し戦場から逃げ帰ってきた有様になってしまっていた。
無様な彼の姿にフンと鼻を鳴らすと三人の傭兵の話題は先ほどの少年へと変わる。
「あいつ、ガキのくせにとんでもない強さだったな」
「雇ったら使えるんじゃないか?」
「やめとけ、あれは多分、獣喰らい(けものぐらい)のラームだ」
雇い主である商人が御者席から会話に口を挟んでくる。
その口調はどこか恐ろしい物を見た後のように震えていた。
「なんですかそいつ?」
「ここ最近有名になってきた傭兵でな。なんでも駆除を主にやっている傭兵なんだ」
「駆除を中心に? 物好きな奴だな」
傭兵の一人が怪訝そうな口ぶりで言う、
傭兵は基本的に金さえ払われるのなら、なんでもやる仕事だ。
戦争の兵士、商隊の護衛、町の守護など様々な仕事があり、その中の一つが駆除だった。
しかし、この仕事は村が依頼してくるものである。
基本的に村は商人や町の依頼などと比べると金払いが悪く、傭兵たちの間では不人気の仕事だ。
「だが、まぁいい。あいつを雇えば、さっき死んだ奴らを抜きにしてもおつりがくるぞ」
「あー、それだがやめとけ」
傭兵たちの声に商人はため息をつく。
その反応に首をかしげる傭兵たちをたしなめるように言った。
「あいつは極度の獣嫌いで有名でな。見かけた野生の獣は皆殺しにしてしまうほどに残虐らしい」
「それだけなら雇ってもいいのでは?」
「それで終わらないんだよ。噂では、雇い主の馬を原型がなくなるまで切り刻んだとかいう話もある。そんな危険なやつと働けるか?」
商人の話しに納得した傭兵たちは、おっかなさそうに森の木々に消えるラームの姿を見遣った。
ラームは無表情でただじっと走り去っていく馬車を見ていた。
それに一抹の恐怖を感じたのか、傭兵たちは身震いして早々に幌の中へと戻るのだった。
だが、ただ一人新人の傭兵は彼を見てつぶやいた。
「かっこよかったな……」
一人残されたラームは死んでしまった傭兵の側に近寄ると、見開いたままの目を優しく閉じさせた。
傷つけられた彼の遺体を見たラームの目から涙が少し流れてくる。
「ごめんなさい。僕が遅かったばかりにあなたを奴らから助けることができませんでした」
彼の死体を担ぐと、ゆっくりと森の出口へと歩き出した。
しばらく森の街道を歩いて行くと、徐々に木々が開けてきてラームの前に草原が姿を現した。
草原に敷かれた石畳の街道の先には、茶色いレンガが積み上げられた城壁と湖があった。
宿を取る予定だったカルラスという町だ。
目的の場所を見据えた彼は街道を進み町へと赴いたのだった。
カルラスの門にたどり着いたラームは衛兵たちに止められた。
屍を背負ってくる人間はあまりにも目立ちすぎたからだ。
見咎めるのは無理もない話だ。
ラームは今までの経緯と事情を説明する。
衛兵たちはまじまじと遺体を観察する。
「確かにこれは剣じゃなくて爪や牙での傷だな。疑って悪かった」
「しかし、見ず知らずの奴の死体を弔うためにわざわざ持ってくるなんて、お前変わってるな」
「その辺の道端にでも埋めれば良かったんじゃないのか?」
衛兵たちが経緯を聞いた後にそう言った。
ラームは無理もないといった様子で苦笑する。
ほとんどの人間なら道端に死体が転がっていても無視する。
稀にいる優しい人間でもそこら辺の地面に埋めて供養するのが精々だろう。
「遺体が獣に食い散らかされるのを見たくないんですよ。あいつらは掘り起こしてでも食らいついてくる、だからこうして持ってきたんです」
笑ってみせるラームだったが、その手は強く握り締められていた。
抑えきれない怒りは彼の口元も歪める。歯がギリっと食いしばられる。
ラームの様子に気づかないまま、衛兵は手続きを進めた。
「よし、通っていいぞ。 この遺体はちゃんと弔っておくから安心しろ」
「ありがとうございます」
「おう。あと服は洗っとけよー。血生臭くてたまらん」
衛兵からの忠告でラームは自分の現状に気がついた。
革鎧と外套はカルロウとの戦いと傭兵を運んでいる時に浴びた血が残っており、疑われても仕方のない姿だった。
ギョッと目を見開いて自分の体を見下ろすと、慌てた様子でラームは宿屋へと駆け出すのだった。
「すいません。部屋を一晩借りたいのですが」
宿屋にたどり着いたラームは開口一番言った。
宿屋の主人は少し不審げに睨みつけてくる。
血なまぐさい姿なのだから、怪しまれるのは当然のことだった。
ラームは銅貨を数十枚出す。
きっちり払ったのを見た主人は仕方なさげに言った。
「泊まってもいいが、その血を落としてからにしてくれ」
「もとよりそのつもりです。桶をお借りしますね」
桶を借りた彼は近くの湖畔へと向かった。
湖畔に人はおらず、水面には夕焼けが写り込んでいた。
桶で水を汲むとその中に外套をつけ込み、布で擦り付けて血のりを洗い落とした。
真っ赤に染まった水を地面に捨て、次は革鎧を磨く。
赤色がついていた革鎧はすっかりと茶色い艶を取り戻していた。
ついでに水浴びも済ませていこうとラームは服を脱いだ。
頭から水をかぶり髪の毛についた血を洗い落とした。
血の落ちた髪は元の金色の輝きを取り戻す。
次に体を濡れた布で拭いていく。
彼の体は歳に不相応な筋肉がついており、体だけ見れば歴戦の傭兵と言っても信じられるだろう。
助長するように腹部から胸にかけて三本の大きな傷がついていた。
その傷はまるで獣の爪によって付けられたような跡だった。
古傷に手を当てた彼は忌々しそうに顔をしかめる。
傷跡を隠すためにラームは手早く体を拭いて水浴びを済ませる。
水浴びを終えると、服を着てカルラスの街へと戻っていく
宿屋の近くに戻る頃には日も落ちており、夜の帳が空を覆っていた。近場のパン屋で夕食のパンを購入し、鎧と外套を乾かすことを主人に頼んでから、ラームは今日宿泊する部屋へと足を踏み入れる。
部屋は狭く、一人用のベッドと木でできた簡素な椅子、そして換気用の木窓しかない。長く野宿していた彼にとっては十分すぎる部屋であった。
扉に鍵をかけると、ホッと息をついてラームは持っていた荷物をベッドの側に立てかけた。
木窓を開き、肘を置いて外の景色を眺める。
開けた窓から涼しい夜風が入り込み、疲れたラームの体を癒していく。
夜になったのにも関わらず町は酒場へと向かう者や娼館に出向く者でごった返し、喧騒が響いていた。
数週間振りに聞いたためか不思議と不快感はラームの中で起こらなかった。
むしろ、獣に襲われる心配がないことから安心感さえ覚えた。
窓はそのままに、袋から紙を取り出す。
その紙はラームに直接届けられた依頼文だ。
内容は小さな村で起きた獣害に対処してほしいというものだった。
同封されていた地図によると、その村はカルラスの南に位置していることがわかった。
依頼文を確認した彼は先ほど買ったパンを頬張る。
噛むと柔らかい食感と噛むほど溢れ出てくる甘みが彼の舌を楽しませてくれた。
咀嚼しながら、明日の準備のために得物である両手剣と鉈を砥石で研ぎ始める。
その顔には絶対に依頼を達成させるという決意が現れていた。
研ぎながらラームは突然ギリっと苛立ちつつ歯を強く噛んだ。
口に入りきらなかったパンが床に落ちた。
そのことに全く気がつかないまま、研ぎ続ける。
「絶対に……殺してやる」
一人、部屋で憎しみの言葉をつぶやいた。
ラームは最初から傭兵だったわけではない。
カルラスの町よりさらに北、ベイル湖の水源となるベイル山脈の麓に位置する寒村の村人だった。
そこで家族とともに暮らしていた。
だがその村は一匹の魔獣によって滅ぼされた。
一人生き残ったラームは形見の鉈とともに傭兵となった。
傭兵となった彼は兵として戦うのではなく獣を狩る仕事ばかりをした。
獣を効率よく狩る技術を覚えいつか、その魔獣を殺すために。
そう志して3年、ずっと獣と戦い続けていたのだ。
魔獣への憎悪を燻らせているうちに両手剣と鉈の切れ味は元に戻っていた。
同時に冷静になったラームはパンが落ちていることにも気づいた。
落ちたパンを見て一瞬目を丸くするラーム。
そのままパンのほこりを払ってから、口に入れて飲み込んだ。
食事を終えた彼は刀身が鋭くなったのを再度確認すると武器を立てかけた。
手早く寝る支度をすませた彼は窓を閉めると、体を狭いベッドに横たえた。
唯一の明かりであるろうそくの火を吹き消すと、部屋は暗闇に包まれる。
程なくしてラームは深い眠りへと落ちていった。