26人の感情を取り戻したか、あるいは
ジャスミンの彼氏が亡くなったという情報が、ニュースで報道されることはなかった。大学でジャスミンに確認するが、ジャスミンも自分の彼氏の行方を知らないそうだ。しかし、行方がわからなくても悲しむ様子はなく、逆にすっきりとした表情を見せていた。
「行方不明だけど、大して悲しいとも思わないわ。むしろ、私や蒼紗の前からいなくなってせいせいした気分だけど、蒼紗はそうではないみたいね」
ジャスミンに本当のことを言うべきだろうか。あなたの彼氏だった人物は、もうこの世にいない。私が殺したようなものだということを。
「私の知らない情報を蒼紗は持っているのね。それで、話してみなさいよ。別に蒼紗が話したところで、私と蒼紗の仲が壊れることでもないでしょう。話してしまえば、どうってことないことかもしれないでしょ」
私たちは大学の授業を終え、文化部が使う控室にいた。綾崎さんはサークル活動に参加すると言って不在だった。珍しく私とジャスミンの二人きりとなり、この後、私もジャスミンも特に用事はなかったので、何をすることもなく控室でくつろいでいた。
私の今日の服装は、ジャスミンの彼氏のこともあるので、黒一色で喪に服すことにした。黒のワンピースに白い襟、その上には、黒いベールを頭からかぶっている。ジャスミンは私の事情を知ることはないが、なぜか色がかぶっていた。黒いブラウスに黒いロングスカートを履いていた。なんとなく今日は黒が来たかったと言っていたが、よくわからない。
「ジャスミンは、どうしてそんなに楽観的なのですか。でも、話すだけで気分が楽になることはあるかもしれません。こんな気分をいつまでも引きずっていたら、期末のテスト勉強やや課題に身が入りませんから」
私はジャスミンに本当のことを話すか迷っていた。仮にもジャスミンの彼氏だった男だ。そんな身近な人が私の家で亡くなったと聞けば、驚き、悲しむだろう。しかし、私は何のためにジャスミンに本当のことを話すのだろうか。真実をジャスミンに伝えたいのか。それとも……。
とはいえ、ジャスミンに話すか話さないか別として、いつまでもジャスミンの彼氏の死を引きずってうだうだしている場合ではなかった。一月も残り一週間となり、来週から大学はテスト期間に入る。後期の授業の単位がかかった大事なテストなので、テスト勉強をおろそかにしてはいけない。課題提出だけでよい授業もあるが、大抵はテストで単位の合否が決まる。大事な期間なのに、こんなことで悩んでいてはいけない。
「ジャスミンには話しますが、このことは、他言無用でお願いします。とはいえ、話して信じてもらえるかわかりませんが」
考えるのが面倒になり、とりあえず前置きを述べ、私はジャスミンが帰った後に起こったことを話すことにした。
「ふうん。亡くなったの、あいつ。蒼紗のことを異常に執着していたみたいだから、天罰が当たったのね。当然だわ。あれは私が抑えていなければ、蒼紗のストーカーになって、蒼紗に被害があったかもしれない犯罪者だから」
話を終えた私は、ジャスミンの様子を観察する。人が亡くなったという話をしているのに、その顔には悲しみも動揺も見られなかった。仮にも自分の彼氏が私の家で亡くなったというのに。むしろ、私たちの目の前からいなくなって幸いだと言わんばかりの物言いだった。
「だからって、仮にも人が亡くなっているのですよ!赤の他人ならいざ知らず、身近な人が亡くなっているのに、なぜそんなに平然としていられるのですか!」
「いまさらなにを言っているの、蒼紗。人はいずれ死ぬでしょう。蒼紗自身に死は訪れないみたいだけど、人間どこかで死ぬのだから、それが早いか遅いかの違い。理不尽に亡くなった人を見るのは、これが初めてではないでしょう。私だって、男の死がまったく悲しくないわけじゃない。でもね、蒼紗。西園寺桜華や、他にもあの狐のせいで理不尽に亡くなった人を蒼紗はそこまで悲しんでいたかしら?」
「か、悲しかったに決まって」
「半分ほんとで、半分うそ。私だってバカではないの。蒼紗の家の狐が間接的に人を殺しているのを知らないとでも思っていたのかしら。居候させている蒼紗なら、なおさら知っているはず。それなのに、今もなおそばに置いておくのはなぜ?理不尽に殺された人々を思うのなら、居候させるべきではない。だって、彼のせいで殺されたんだか」
「それ以上は言わないでください!」
ジャスミンの言う通りだった。私は、西園寺桜華や瀧、前の塾で殺された生徒たちのことを本心で悲しんでいただろうか。本当に悲しんでいたのなら、九尾を自分の近くに引き寄せるなんてことはしないはず。そう、私は人に死に対して、感情を動かされてはいなかった。平穏を望みながらも、心の奥底では……。
それなのに、今回はなぜ、こんなにも感情が乱されるのだろうか。きっと、大学に入ってから本当の私を知る者に出会えたからだ。悲しんでもいいと、人並みの感情を持っていいのだと思えたから私は……。
「蒼紗さん、まだこんなところにいたのですか。もう、ほとんどのサークルは終わって帰宅の準備をしていますよ。蒼紗さんも帰る支度をした方がいいですよ」
授業が終わって。結構な時間がたつようだった。綾崎さんが控室の扉をノックして入ってきた。部屋の時計を見ると、すでに時刻は十九時を回ったところだった。ジャスミンとの会話に夢中で時間を気にするのを忘れていた。
「そうですね。私たちも帰る支度をしましょう。それにしても、綾崎さんは男装がよく似合いますね」
「蒼紗さんと少しでも親密になるためには、と考えました。ケモミミもいいですけど、それ以外に思いついたのが、これです!」
エッヘンと胸を張る綾崎さんは、私に褒めてもらいたいようだ。とはいえ、胸を張っているが、どうしてここまでペタンコなのか。貧乳というより、胸がまな板である。実は男と言われても違和感がない。今までは気にしていなかったが、男装してここまで顕著に現れるとは思わなかった。
綾崎さんは、私が西園寺さんと初めてコスプレした男性の執事服を着ていた。さすがにウサギの耳はつけてはいなかったが、昔の私を再現しているかのようだ。似合っているのはいいのだが、女性として胸のあたりが寂しいのは致命的な気がする。
「アハハハハハハハハハ!綾崎さんって、前から思っていたけど、ド貧乳だったのねえ。ああ、男装がマジすぎて、笑える!」
「なっ」
慌てて宗元を隠す綾崎さんは、でもやっぱり仕草が可愛らしいので、男性にはなりえないなとこっそり思ったことは秘密だ。
私はその時、西園寺さんのことを思い出したが、悲しみなどの負の感情が湧いてこなかったことに気付くことはなかった。




