第一話 異世界への扉
出会いはいつだって突然だ。
そして物語の始まりも。
曲がり角を曲がったところでパンを咥えた女の子と出会い頭にぶつかるなんてところからストーリーが始まる。
そんな使い古されたテンプレート。
俺はこれが嫌いじゃない。
テンプレートと言うと聞こえが悪いが、要は王道なのだ。
王道には王道たる理由がある。
もっとも、俺の場合はほんの少しばかりだけ違ったのだが。
時刻は朝七時五十八分。
今日はいつも煩い隣家の犬が全く吠えなかったせいで少し寝坊した。
いっその事、完全に寝過ごしてしまえばあきらめも付くが、微妙に間に合う時間に目が覚めてしまったせいで慌てる羽目になっていた。
「学校、行きたくないな……」
俺は自宅の玄関でスニーカーを履き、立ち上がる。
そんな言葉が口から溢れる。
ちらりと横を見れば、学生服を着た俺の姿が鏡に写っていた。
「異世界とか行けば学校行かなくていいのにな」
ドアノブに手をかけながらの呟き。
それはただの独り言、のはずだった。
「そうか。ならばその願い、叶えてやろう」
誰も居ないはずの玄関に、誰かの声が響く。
「え?」
誰か居たのかと思わず周りを見渡すが、誰も居ない。
当たり前か。
「気の所為か……。 っと、急がないと本当に遅刻してしまう」
そうつぶやき、ドアを開けた俺の目に飛び込んできたもの。
トラック?
と、思うと同時に鳴り響く轟音、そして衝撃。
ひしゃげる俺の四肢。
四月十日、八時ちょうど。
俺は死んだ。
「現状がきちんと認識できているようで何よりだね」
「え……?」
気がつけば俺は一面白い部屋の中、椅子に座っていた。
「君にやって欲しいことがある」
「は? いや、あんた誰よ?」
混乱した頭でなんとか返答する。
というか何だよこれ。
目の前に座る、白い影。
俺と同じように椅子に座っているようだが姿がはっきり見えない。
目も鼻ものっぺりとしており、唯一はっきり見えるのはニタリと笑う口元だけだ。
「僕かい? 僕は……、神様だよ」
「神様?」
胡散臭い。
「僕は君の望みを叶えてあげたんだぜ? そんな顔するなよ」
「はぁ?」
こんな何もない空間に来たいだなんて欠片も思っていないんだが。
それに神を自称するなんて、詐欺師くらいなものだろう。
「おいおい、さっき自分の口ではっきりいったじゃないか『学校に行きたくない』ってさ」
「それとこれとがどうつながるんだよ」
「だから学校に行かなくても済むようにしてあげたんじゃないか」
そいつ、『神様』はそう言って不快な笑顔を俺に向けてくる。
「……トラックが俺の家の玄関に突っ込んできたと思ったんだけど?」
「うん、こういうお約束は守っておこうかと思ってね」
嫌いじゃないんだろ?
神様とやらは目線で語ってくる。
なるほど、俗にいう転生トラックってやつか。
「なるほどなるほど……、トラックが玄関に突っ込んでくるのは絶対に違うと思うんだが?」
「そうかい? まぁ細かいことは気にするなよ。どうせ君は死んだんだ、関係ないだろ?」
こいつ悪魔だろ、そうに違いない。
「あー、安心してくれ、もう一つの望みも叶えてあげるから」
「もう一つの望みってなんだよ」
「異世界に行きたいんだろ?」
「は、え、いや……」
そんなこと言ったっけ?
……、言った気がする。
うん、言ったわ。
だけど本当に行きたいと思っていたわけじゃない。
ちょっとした現実逃避ってだけで、本当は普通の生活がしたいんだよ、俺は。
「ああ、安心してくれ。古の勇者が持っていたモノを君にも特別にプレゼントしてあげるからさ」
「ちょっとまって、そんな急に言われても困るんだけど?」
「その代わり、僕のお願いを一つ聞いてくれ」
「いや聞けよ」
「盗まれた種子を回収してきてほしい」
その言葉と同時に俺の意識は暗転した。
気がつくと俺は見知らぬ場所に立っていた。
見渡せばどこまでも続く平原、青い空に浮かぶ大きな太陽と二つの白い月、それを横切る空飛ぶ船。
「え? なに、これ?」
両手にある感触に目を向けると、そこには木の棒と鍋の蓋。
古の勇者が持っていたモノってこれのことか?
……、なんの冗談だ。
思わず空を見上げ惚けた俺の頬を微風が撫でる。
鼻を鳴らすと草の匂いに混じり、錆の匂いが鼻孔をくすぐった。
「夢じゃない……?」
夢だとしたらリアルすぎる。
しかし、これからどうすればいいんだよ。
自称神様は種子を回収しろとか言ってた気がするけど、種子ってなんだよ。
説明不足にもほどがあるだろう。
喉乾いたな、と思いながら地面へと腰を下ろす。
が、尻に何やら違和感が。
「ん?」
クリーニングから帰ってきたばかりの制服のズボンには何もなかったはず。
腰を軽く浮かせ、違和感の正体を探る。
「……、メリーさんかよ」
思わず呟いた俺の手には、一通の白い手紙が握られていた。
そんな事を思いながら手紙に視線をやる。
差出人は書いていないが、心当たりは一人しかいない。
俺は軽くため息を吐きながら手紙の中身を読んでみることにした。
『拝啓』から始まり、『山田 太郎様』で結ばれたかしこまった文章には、やたら持って回った言い方がされていた。
大体の要点をまとめると、ここは所謂異世界と言うやつらしい。
そして自称神様はこの世界に直接干渉できないそうだ。
なので俺が代わりに盗まれた『種子』回収してきてくれ、と。
その代り能力を与えるからどうにかしてくれということだった。
そんなの知るか元の世界に戻せと言いたいところだが、相手への連絡手段はない。
とりあえず神様とやらの言う通り種子とやらを集めるしかないのだろうか。
というかどうにかしてくれってなんだよ、いろいろと説明が足りなすぎるわ。
種子を集めろって言われても、それってなんだよ状態だし。
ぼくしってるよ、これってらちっていうんだよね!
強制労働もセットの。
ふざけんな。
そりゃまぁ、暇な時に気が向いたら手伝ってやらないこともないけどさ。
目の前のピンチすら切り抜ける目処がつかない俺に何が出来るというのか。
燦々と降り注ぐ太陽。
乾いた空気が気持ちいい。
コップ一杯の水さえあれば、最高の空間だろうに。
その一杯の水すら無い。
これが俺の現状だった。