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だから私はスポーツが嫌い  作者: とみた伊那
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6.組み体操について

私はつくづく今の時代の小学生でなくて良かったと思う。今の小学校には、組み体操という残酷な授業があるからだ。


前に書いたように私は運動ができないだけでなく、病気勝ちで身体が弱かった。当然小学生の時、他の人より発育が遅れていた。

もし組み体操をやったとしたら、私はどの場所になるのだろうか。当然一番下ではない。力が無いので、上に何人も乗せたら身体が耐えられない。一番上は無理だ。最後に立つスターの場所など与えられる訳がない。せいぜい上から二番目くらいだろう。それでも土台が不安定、さらにその上に人が乗るという難しい行動は絶対に成功できるとは思えない。

冷静に考えてみよう。例えばトランプを立ててタワーを作る場合、一番重要なのはバランスだ。前後左右の大きさが同じだから、不安定なタワーでも立つことができる。真剣にトランプ・タワーを作っている人は、全部のトランプを重ね、その微妙な大きさの違いまで計算している。

ところが小学生は人によって成長がまちまちだ。身体の大きさの違う人が集まってタワーを作ろうとしても、最初から無理がある。もしそれぞれの大きさが違ってもできるとたら、それはタワーを作る人間に余程の技術がある場合である。素人の小学生にやらせてできる訳がない。


今まで、組み体操によって、何人ものけが人が出ている。それでも子供にやらせたい、という人の意見をテレビでやっていた。

「子どもに達成感を味わってもらいたい」

 体育というものは身体を鍛えることが目的だと思っていたが、そうではなくて精神を鍛える科目だったのか。算数の計算が解けた時とか、難しい漢字を覚えた時にも達成感を味わうことができる。しかしそれについては言われないのだから、組み体操は別格の素晴らしい達成感を得ることができるのだろう。

 しかし私がそんな素晴らしい達成感を得ようとしたら、他の人に怪我をさせるかもしれない。何しろ他の人と成長の速度が違うし、それをカバーできる技術力が無いのだから。もともと無理な企画だけれど、小学生ならば、先生に逆らうことはできない。先生の言うことは全て正しいと信じている年齢だから。


 もし私が今の小学生だったら、他の人の幸せのために、組み体操のある日は登校拒否するしかない。



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