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だから私はスポーツが嫌い  作者: とみた伊那
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37.神様からの贈り物

ある事でひどく悩んでいた時期があった。しかし当時は、自分ではそこまで悩んでいるという自覚は無かった。


そんなある日、疲れて駅のホームのベンチに座って電車を待っていた。横を見ると、電車がやってくるのが分かった。そしてその電車が大きな音と響きでホームに入ってきた。ベンチに座っている自分の目の前を電車が横切った。


その時になって気づいた。

気付いてベンチに座りながら涙が出た。

自分がやろうとしていた行動が分かったからだ。


私はただ電車を待っていただけだ。電車が来たらそれに乗って会社に行くつもりだった。しかし自分が普段考えているよりももっと深い部分で、今自分はこの電車に飛び込みたかった。飛び込んで死のうと考えていた。

なぜ飛び込まなかったかと言うと、生まれながらの運動神経の悪さで、考えてから身体が動くまでの時間が長い。電車に向かって走って飛び込んだとしても、ベンチから飛び出した時にはすでに電車はホームに止まり、単なる普通のお客さんと同様に電車に乗ろうとする人としての行動になっていただろう。


私はベンチに座ったまま、何度か大きく呼吸をした。電車を二台見送って気持ちを落ち着かせてから、やっと三台目の電車に乗った。


そうか、自殺する人の気持ちはこういうものなのか。よく「自殺するくらいなら」という言葉がある。それは理性の問題である。確かに死んだ気になれば何でもできる。それよりもっと深い部分が自分の肉体を動かし、気づいた時には自分の身体を傷つけているものなのか。


もし私が普通の人並みの運動神経を持っていたら、素早く駆け出してホームから飛び込むことができていて、あの日に電車の下敷きになっていたかもしれない。それが走っても間に合わない位の、自分のずば抜けた運動音痴。それによってまだ生きていることができた。

この運動音痴は、神様が自分に与えてくれた贈り物だと思った。


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