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だから私はスポーツが嫌い  作者: とみた伊那
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21.短距離のタイム

高校の時、体力測定というものがあった。その中で五十メートル走の記録を計った。

ほとんどの人が十秒を切って九秒台。悪くても十秒いくつかだった。その中で私は十二秒台だった。(これは五十メートルの記録で、百メートルの入力間違いではない)子供の時から、徒競走では素晴らしく遅いタイムを持っていた。


一回目の走りの時、体育教師は私の走りを見て

「もっと真面目に走れ」

と怒った。そこでムッとしたが、そこは我慢。


二回目を走った。記録は変わらず。体育教師はさらにイライラして

「inaさん、どうして真面目に走らないんだ! 」

と怒り出した。二回言われて、さすがに私もカチンと来た。

「先生、私は真面目に走っています。真面目だけれど遅いのです」

と言い返した。すると教師は

「真面目だけじゃいけない。どうして遅いのか、よく考えろ」

と言い返した。口でも負けてしまった。


オリンピックの選手ならば記録を伸ばすために自分で研究するであろうが、まるっきり素人の私は、ただまっすぐ走るのが速くなるために、どうやったら良いのかは考えても分からない。分かるくらいならば、とっくに速くなっている。

正確に言えば、一度研究したことがある。走るのが早い人に

「どうやったら早く走れるの? 」

 と聞いた。その人の答えは

「生まれつきの才能だと思う」


速く走らせたいのならば、なぜその技術を教えずに「真面目」か「真面目でない」かの精神論に行ってしまうのだろう。仮に私が数学などで理解できない部分があったとする。その場合教師は

「どこまで分かっていて、どこからが分からないのか」

と聞いて、その分からなくなった部分から教えるのが教育ではないのか。自分で考えてどうすれば良くなるか分析できるのは、その分野が得意な人の場合。たかが高校の一般科目で、どうして技術より精神になるのだろう。

「先生、この数式の解き方が分かりません」

と聞いた時

「それは君が不真面目だからだ」

という教師がいたらそれは教師ではないし、それなら教師は必要ない。特に体育の教師は、この技術と精神の区別のつかない人間が多いように思う。

真面目に真剣に頑張っても、竹やりでB29は落とせない。


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