第一夜
『……し…危機が迫った時…ど…か私…名前をお呼び…』
『貴方が……て下さった…名にかけて、…ず貴方の力と……』
“ああ、またこの夢か。”
夢の中だというのに夢だと認識ができるのは、ひとえに彼がこの夢を見慣れているからであろう。
白いフードを被ったロングコートの男が、欠落した言葉で語りかけてくる夢。
幻想的な満月と咲き誇る桜が周りを彩っていた。
彼自身、いつからこの夢を見るようになったのかいまいち詳しい時期は覚えていない。
しかし、慣れる程度の昔から彼がこの夢を見ていたことは確かであった。
『しばしのお別れです。さようなら、神夜』
「しばしのお別れです。さようなら、神夜」
最後だけクリアに聞き取れるセリフすら、予測して同じタイミングで呟くことができる。
そしてこの別れのセリフを聞いたあとに、必ず夢は覚めるのだ。
「……ほら、目が覚めた」
もはやそんな寝起きにも慣れた彼は、苦笑しながらも自らのベッドから起き上がる。
「さようなら、神夜…ね」
そう言って自分の名を呼ぶ男を、彼─光月 神夜は全く知らなかった。
神夜、と彼の名を知っているのだから、おそらくどこかで会ったことがあるのだろう。
しかし夢に見るほどの男の事を、神夜は一切記憶していなかった。
深く気にするのもここまで長い月日に渡ると考えることはもはや時間のムダなので、もしかしたらとても小さい頃に会った人間なのでは、とだけ当たりをつけて、早々に神夜は考えることを放棄していた。
「そもそも危機が迫ったとしても、全く思い出せない相手の名前なんて呼べるもんかね?」
そして例え思い出して呼んだとしても果たして力になるものやら。しかもその危機とは何のことだ。
かなりの頻度で見る夢なのに、神夜のその疑問が解決されたことは過去一度もない。
昔神夜も、小学校の高学年になるあたりに、一度親に聞いたことがあった。
“俺、白いフード被った背の高い男の人に会ったことある?”
お世辞にも上手いとはあまり言えないが、しかし当時の神夜にしてはそれなりによく特徴を捉えた絵まで添えて親に聞いたところ、答えは否。
親すらも知らない男だったらしく、果ては“もしかして知らない大人に勝手について行ったの!?”と勘違いまで生まれそうになっていた。
今では笑い話で済まされるが、それに対して当時の神夜はいたく腹を立てて、しばらく両親と口を利きたくないがゆえに祖母の家へプチ家出をしたものだ。
「ミィ君の言う通り、どこかで会ったことがあるのかもねぇ」
ニコニコと笑いながら頭を撫でてくれた祖母に、神夜はすっかり気持ちをほぐされて即日帰ることになりはしたのだが。
そんな祖母の言葉は小さな神夜に不思議と染み込んで、適当ではあるものの、神夜の中では一番の有力説になっていた。
「そういえばしばらく婆ちゃんの家に行ってないな」
中学の三年間と高校に入ってからの一年間、学校行事に部活などでタイミングの合わなかった神夜は、電車で一時間ほどの距離にあるはずの祖母の家へ、全くといっていいほど行くことが出来ていなかった。
つと壁にかけてあるカレンダーを見ると、目前に控えたGWに用事は一切入っていなかった。
「久しぶりに婆ちゃん家に泊まりに行くか」
小さい頃から優しく、そして厳しい祖母が神夜はとても好きだった。
世間一般ではそれをおばあちゃん子というのだが、自覚した上で神夜はおばあちゃん子だった。
いきなり行っても祖母は怒らずに泊めてくれるが、帰ってきたら念のため先んじて連絡をしておこうと神夜は頭の中のメモに書き込む。
「あ、久しぶりに婆ちゃんのおひたし食べたい」
夕飯のおねだりをすることも、忘れずにメモに書き込まれた。
神夜はおばあちゃん子です。
……おばあちゃん子って可愛くないですか?