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僕の彼方  作者: 佐保てん
8/11

晃介のショグウ(後)

 「……」

 しりもちをついた晃介は、とりあえず上を見た。

 そこには、決して高くは無いが低くも無いところに天井があって、ついでに四角い穴があいている。その穴には二枚の蓋らしき物がぶら下がっており、それはゆっくりと、穴を塞いだ。

 あそこから落ちたのか。と、落下時の瞬間的な恐慌から解かれた晃介は考え呆ける。

 「…………よし」

 腰を上げて立ち上がる。体はどこも痛くない。

 見れば、晃介は緑色のマットレスを踏んでいた。学生時代、体育の授業で使用したことがある。

 なるほど、彼方は晃介を陥れて殺害しようとしていたわけでは無いらしい。まあ、そんなことをする娘ではないが。

 彼女なら、自ら手を下すだろう。

 マットレスから退いて、晃介は辺りを見渡す。

 「病院、みたいな?」

 空気に薬品の匂いが染み付いた、そんな空間だった。

 リノリウムの床が続いている。ここは廊下のようで、左右の壁にはいくつか扉が並んでいる。

 どの扉にも指紋認証パネルがついていて、晃介に開けるのかは定かではない。

 下手に動けないでいると、再び天井の蓋が開いて、何かが落下してきた。

 「いよぅオニーサンっ!」

 「…………大丈夫?」

 どんなエキセントリックな落ち方をしたのか、モノアイは後転に失敗した時のような体勢になっていた。

 スカートが捲れて毛糸のパンツが見えてしまっている。この時期に毛糸は暑いのではないのだろうか。

 起き上がったモノアイは、どれどれと晃介を抱き締めにかかった。

 晃介は、女子高生に抱かれていた。

 「って、えーと、も、モノアイ、ちゃん!?」

 「呼びづらいならアイちゃんでも構わんよぉ」

 「な、何してんの?」

 「オニーサンの体を感じてる」

 意味がわからないし、意図もはかれない。

 しかし、若くて瑞々しい肉体を押し付けられていながら晃介の男の部分は反応を見せなくて安心した。

 ……いや、ある意味良くないが。

 「うふふ、仲良しですねぇ」

 音もなく、彼方がマットレスの上に立っていた。飛びっきり魅力的な笑みを浮かべて。

 何故か、命の危険を感じた。

 「おんやぁバレットぉ。ヤキモチかぁい?」

 ニマニマと笑うモノアイ。彼方は、別に。と言ってマットレスから降りた。

 その途端、また人が落ちてくる。ドールは慣れているようで綺麗に着地していた。

 「この秘密基地、入室方法がなかなかスリリングなんだね」

 「だっしょー。わざわざ注文したかいがあったもんよぉ」

 お前の趣味かい。

 「びっくりしたかぃ?」

 「ここで五年お茶汲みをしてきたけど、署内にこんな空間があるなんて知らなかったよ」

 「……お茶汲み?」

 「ここが、特務室?」

 そうですよ。と答えたのは彼方だった。

 モノアイの背後に立った彼方は、彼女を晃介から引き剥がすと、説明を始める。

 「四課と連携をとるためにも、彼方たち特務は署内にも拠点を置かなくてはなりません。ですが、署内にいる人間の過半数は事情を知りません。ですので、こうしてこっそりこそこそ隠れているんですよ」

 「ちなみに、あたしゃあ住み着いちゃってるよ、ここに。面倒無いし、外なんぞよりずっと居心地いいからぬぇ」

 「俺も、ここに住んでます。色々あって……でも、便利ですし」

 「……そうなんだ」

 きっと、彼方と同じく何かしらの事情があるのだろう。

 そうして、その事情につけ込まれているのだ。

 「それはわかったよ。それで、彼方ちゃんは何をしに来たの?」

 「ああ、そうでした。ねえ、お兄ちゃん」

 「ん?」

 「生きた喰物と、話してみたくないですか?」




―――――――――





 喰人人物と会話したことは、ある。ただ、その時は彼女や彼が喰人人物だとは知らなかった。

 だから、相手を喰人人物として認識した上で話したことは、たしかに無い。

 晃介は、聞いてみたいことがたくさんあった。

 四人は、とある重厚な扉の前にいた。隙間なく、壁と同化しているような扉である。

 「ここは?」

 「牢獄だぁね」

 モノアイは、扉の横についているパネルに手を置いた。

 ピッと電子音が鳴ったかと思えば、ガタンと、大きな閂が抜けたような音が響く。

 扉がスライドする。中から生ぬるい空気が流れてきて、晃介の肌を撫でていった。

 「おいでぇオニーサン。私が案内したげるよぉ」

 「ありがとう」

 先導するのは、モノアイとドールだ。その後ろを、晃介と彼方は歩く。

 彼方が手に指を絡めてきたので、晃介は握り返した。

 しばらく歩いたが、長い廊下である。ここは署の敷地内なのだろうか。

 しかし、暗い。足元を照らすオレンジ色の照明以外の光源が無いのだ。

 「…………おや?」

 と、掠れた声が反響した。

 「おお、おおぉ、足音が多いなあ。賑やか賑やか、実に豪華」

 「…………うっせえなぁ」

 モノアイが悪態をつく。

 ガコンとレバーが落とされ、天井の照明が眩しいくらいに白い光を放つ。

 目が眩んだが、すぐに慣れたので先ほどの声の主を確認する。

 牢屋がある。しかし、その中に照明は無いようで、奥の方はよく見えない。

 近づいたら見えるだろうか。しかし、彼方が手を引いたので、晃介は後退せざるをえなかった。

 「久しいなぁ、えーっと、すまん。あまりにも久し振りで名前を忘れた」

 「モノアイ」

 「変な名前だぁ! はっはっ!」

 「……紹介するよ、オニーサン」

 モノアイが、こちらも向かずに、端的に言う。

 「私のクソ親父」

 「……え?」

 つまり、彼方が言っていた喰人人物は、モノアイの父親だということか。

 それなら、彼女も喰人人物なのか?

 ……いや、違う。彼女は、多少変なところもあるが、人間に違いない。

 昨日の彼方の話もあったし、なにより、お茶汲みの勘だ。

 試しに彼方を見やれば、彼女も晃介を見上げて「お姉ちゃんは大丈夫でしたよ」と言った。

 「おや、誰か知らない人間がいるなぁ」

 ジャラリと、鎖の動く音がする。

 モノアイは、見るからに頑丈そうな鉄格子を蹴りつけた。

 「動くんじゃねぇよぉ」

 「……怖いなぁ」

 「ハッ……聞いたかぁバレットぉ。こいつ、私が怖いってよぉ」

 「動いただけで脅すような人間は、普通に怖いだろぅ?」

 「……ねー、オニーサン!」

 彼女は、まるで晃介ではなく牢屋の人物に聞かせるように、わざとらしい大声を出した。

 「私のさぁ、右目。眼帯してるけど、何でかわかるかぃ?」

 「……」

 「ほれ」

 ずるりと、眼帯を下ろす。晃介は、言葉を失った。

 そこには、ただの空虚な、伽藍洞があった。

 睫毛も、目蓋も、眼球も無い。何もかも、無い。

 「喰われたんだよぉ、こいつに。ちゅーって」

 「……ああ、思い出した!」

 牢屋の人物は、モノアイの父親は、まるでクイズが解けた時のような嬉しそうな声を上げた。

 モノアイが、またも鉄格子を蹴る。

 「お前、みーちゃんか。俺の娘の……ああ、美味しかったよ、お前は! まだ左目はあるんだろう、とーちゃんに食べさせてくれよぉ!」

 「黙れ!!」

 叫んだのは、モノアイではなかった。

 晃介だった。もう、我慢の限界だったのだ。

 牢屋に向かって進み出した晃介を、彼方は腕を引いて止めようとする。彼方を傷つけるつもりは無いので、晃介は彼女を抱き上げた。

 「さっきから、なんだ!」

 「日暮さん、あんまり近づいちゃあ……」

 「ドールお兄ちゃん、たぶん、無駄です」

 呆れた風の声が聞こえたが、気にならなかった。

 今は、牢屋の男への、喰人人物への怒りの方が勝っていたのだ。

 「アイちゃんはあんたの娘だろう! なのに、あんたって奴はなんてことをしてるんだ!!」

 「……俺だって、嫌だったさ」

 「はあ!?」

 「だから、俺だって、嫌だったよ!」

 「…………」

 「みーちゃんは、俺のかわいい娘だ。それは、今も変わらないよ……」

 「…………じゃあ、なんで、あんな酷いことをしたんだ」

 そういえば、晃介は彼ら喰人人物のことについて詳しくない。

 だから、話くらいは聞こうと思った。

 だが。

 「……なんで?」

 牢屋の闇が、にんまり笑った。

 「美味しそうだったからだよ」

 「…………は」

 「ほら、よく言うじゃないか」

 かわいすぎて、食べちゃいたい。

 その言葉を耳にして、晃介は怒りで真っ白になった。

 「ふざけるなぁ!!」

 「日暮さん!」

 鉄格子を握り、中にいるであろう喰人人物に対して叫ぶ。

 ドールが晃介の腰に抱きつき引っ張るが、びくともしない。

 こんなものが、こんなもののために、彼方達は。

 「お前、お前なんか、人間なんかじゃない!」

 「……俺も、そう思うよ」

 「お兄ちゃん」

 黙っていた彼方が、口を開いた。

 「落ち着いてください」

 「でも彼方ちゃん! こいつが!!」

 「それが喰人人物なんですよ!!」

 彼方が突然大声を発したので、晃介は押し黙る。

 その内に、彼方は捲し立てた。

 「喰物は、少しでも愛情を持った人間に食欲が湧いてしまうんです! その愛が深ければ深いほど、より強い飢餓感に襲われます!」

 「は……なんだよそれ」

 「だから、彼方達は原因の特定を急いでるんです! 少しでも早く、共存出来るように!!」

 彼方は、そこまで言うと声のトーンを落とした。

 そして、ゆったりと、晃介に言い聞かせる。

 「彼らも、辛いんです」

 「…………」

 「……情けはかけずとも、同情して殺せ。と、彼方は、そう教えられました」

 「……」

 「……同情なんて、よく知らないんですけどね」

 「……彼方ちゃん」

 「はい?」

 「ごめん」

 「許してあげますよ」

 ニコリと、微笑んだ彼方。

 そんな彼方に、枯れた白木の枝のような腕が、伸びて。

 「触んなッ!」

 その腕を、彼方の細い脚が鋭く蹴り飛ばした。

 晃介も、ようやく状況に気がつき、彼方を抱きながら急いで後退する。

 「……すまん、あまりにもうまそうだったから」

 「…………」

 「……大丈夫、俺にはみーちゃんが一番美味しそうだから、我慢できる」

 「……彼方ちゃん」

 「帰りましょう、お兄ちゃん」

 晃介の腕から降り、背中を向けて歩き出した彼方。

 「……」

 追いかけて、彼方の小さな手を、握った。




―――――――――





 「ごめんぬぇ、ウチのクソ親父がぁ」

 「……アイちゃん」

 モノアイは、二人を駐車場まで送ってくれた。

 気まずげに頬をかき、そしてモノアイは懇願する。

 「親父のことさぁ、恨まないでやってくれよぅ」

 「……アイちゃんは、それでいいの?」

 「うん」

 はにかむモノアイ。

 それは、健全で、年相応の娘の顔だった。

 「あんな父親でも、愛情は感じちゃってるからさ」

 それは、晃介にはまるで身内自慢のように聞こえた。


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