人間とショクブツ(前)
晃介は、図太い人間であると自負している。ショットガンで被弾した死体を見ても翌日には肉汁たっぷり含んだメンチカツくらい平気で食べるし、枕が変わっても安眠できる。
そんな人非人とも捉えられそうな晃介であるが、決して非情な訳ではない。でなければ、警察官なんてやっていない。
ただ、図太い。それは間違い無かった。
「あ、さっきの角を右ですね」
「そういうのはもっと早く言ってよ」
「ほら、早く戻ってください」
「はいはい、ちょっと待って。まだ中央分離帯があるから」
晃介と彼方は車に乗っていた。晃介が運転席で、彼方は後部座席に座っている。
黒い車体で、後部の窓はスモークフィルムに被われている。なので、外から彼方の姿を見ることはできないだろう。
この車は、晃介の物ではない。いわゆる覆面パトカーという代物だ。愛車は署の駐車場でお留守番である。
何故、二人は車で移動しているのか。それは、晃介の住居が関係していた。
「楽しみですねえ、お兄ちゃんの新居」
「…………ねえ彼方ちゃん。あの後、大家さんはどうなったの?」
「え、死んじゃったじゃないですか」
「そうじゃなくて、処理とかさ」
「しばらくは、書類上生きていて貰います。でも、お兄ちゃんには関係無いと思いますけど、引っ越したんですし」
「勝手にね……」
どうやら、晃介が出勤した直後に彼方が手配した引っ越し業者が部屋の家具一式やらを、彼方が更に手配した新居とやらに全て移してしまったらしい。
ここに来るまでにアパートに一度戻ったのだが、すっかりもぬけの殻だった。ご丁寧に掃除までされていて、人が住んでいた気配が残されていなかった。
デスクとは訳が違うのだが。
というわけで、晃介と彼方は二人で新しい住居に向かっているのであった。
「あ、ここです」
「はいよ」
彼方が指差したのは、小綺麗な大きめのマンションだった。白を基調としており、目立った汚れもなくまだ新しいようだ。
駐車場の看板には、入居者募集の文字。はたして、ここの入居者はちゃんと堅気の人間なのだろうか。
きちんとしたご近所付き合いは出来るのか、心配だ。
車を停め、降りる。彼方が手を差し出したので、車のキーをその上に置いた。
別に逃げたりしないし、逃げ場なんてないのに。
「違いますよお兄ちゃん」
しっかりキーはプリーツスカートのポケットにしまいながら、やれやれと首を振る彼方。
そして、今一度手を出す。
「繋いでください」
「え、うん」
彼方の手を取る。
表面上は小さく柔らかいのだが、掌は豆だらけだ。あれだけナイフや銃を扱うのだから、そうなってしまうのも当然か。
いや、何が当然だ。女児が凶器を使用する状況の、何が当たり前なのだ。
晃介は、彼方の手をきゅっと握った。
「これでいい?」
「はい」
「それじゃ、案内してくれるかな」
「うふふ、こっちですよー」
彼方に手を引かれ、晃介はなされるがままについていく。
玄関ホールに入ると、更にガラス扉があり、そばには縦長の機械がオブジェのように設置されていた。どうやら、このガラス扉は指紋認証のようである。
その証拠に、彼方が機械に指を翳すと、扉は静かに開いた。
そのまま正面にあるエレベーターに乗る。
「はい、お兄ちゃん」
と、彼方が鍵を手渡してきた。車のキーではなく、どうやらこのマンションの部屋の鍵であるようだ。
彼方はそれと同じ鍵を、エレベーターの扉の横に数個あるうちの一つの鍵穴に差し込んで回した。すると、蓋が取れてボタンが現れる。6と書いてあった。
しかし厳重なセキュリティである。
彼方がボタンを押すと、エレベーターは動き出した。
「…………」
「…………」
「……部屋に入ったら、色々説明してもらうからね」
「もちろん。始めからそのつもりでしたよ」
そして、エレベーターは六階に到着した。
がらんとした通路。足音がコツコツと反響する。
部屋はエレベーターの目の前の扉だった。表札には、日暮晃介と書かれている。
そして、その下には日暮彼方ともあった。
「……彼方ちゃん、これ」
「さ、どうぞー」
彼方は、あくまでマイペースに部屋に入ってしまう。
晃介は後を追った。
玄関に靴を脱ぎ散らかした彼方は、とてとてと廊下を駆け、振り返る。
「ようこそ、彼方とお兄ちゃんの愛の巣へ!!」
「…………」
「あれ、ジョークですよ?」
「あ、ごめん。最近、質の悪いストーカーがいたものだから」
「質の良いストーカーなんていますかぁ?」
楽しそうに笑いながら奥に進んでいく彼方。無邪気な風を上手く装っている。
一緒に進んでいくと、見覚えのあったりなかったりする家具が置かれたダイニングキッチンに着いた。キッチンは勿論システムだ。
その奥のリビングには、やはり見覚えのないソファーがあった。彼方はソファーに飛び込んで、晃介を呼ぶ。
背もたれ越しに覗いてみると、彼方はパンダのようにぐだりきっていた。見た目だけ。
「どうですぅ。3LDKの素敵なお部屋でしょう?」
「おおー!」
「大人と子供が住むには丁度良いかと」
「おおー?」
「なんですか今さら。彼方を保護するんだから、一緒に住むに決まってるじゃないですか」
「……まあ、そんな気はしていたけどさ」
晃介はキッチンに向かった。システムキッチンには不釣り合いな小さめの冷蔵庫を開く。
昨晩買ったパウチの茶葉があった。未開封である。
ちなみにビールは無かった。押収されたようだ。
茶葉の袋を取り出して、それからキッチンを漁る。
「なにしてるんですかー」
リビングから声が掛かったので、晃介は正直に「やかんを探している」と答えた。
なにはともあれ、まずはお茶だ。
「あった」
見つけたやかんに水道水を入れ、IHのコンロに乗せて温める。
その間に急須を探す。戸棚を確認すれば、そこに相棒は鎮座していた。それに、先ほどの茶葉を
やかんから湯気が漂い始めたので、コンロを止める。
急須に五十度くらいお湯を注いで、蓋をして蒸らす。玉露の美味しい飲み方だ。
その間に、戸棚を更に漁る。案の定、昨晩の茶菓子が出てきた。
菓子受け皿と湯飲みを用意して、準備完了である。
「そろそろかな」
急須を持ち、二個の湯飲みに少しずつ、交互にお茶を注ぐ。
完成だ。菓子とお茶をお盆に乗せて、リビングに戻る。
「お待たせ、彼方ちゃん」
「……」
「どうしたの?」
「……いえ、噂に違わないお茶汲みっぷりだなぁと」
「ありがとう」
「え、誉めてないですよ?」
「いいんだよ、僕が嬉しいだけだから」
「ふぅん……」
彼方は、テーブルに置かれたお茶をまじまじと覗く。
何をしているのかと思ったが、彼女の言動を思い返せば察するのは簡単だった。
「毒なんて入れてないよ。そっち方面はあんまり詳しくないし」
「……」
彼方の顔から表情が消えた。しかし、それも一瞬である。すぐさま、ぱちくりと目蓋を瞬かせた。
きょとんと、晃介が何を言っているのかわからないという顔をしている。が、晃介じゃなくともそれが嘘の表情だと見抜けるだろう。
それくらい、色を失った彼方の顔は印象的だった。
「ま、いいや」
「……」
「飲みたくないなら、無理強いしないし」
「やだなぁ、ありがたく頂戴しますよぉ」
と言って、彼方はお茶をごくごくと一気に飲み干した。
ぬるめだから、火傷はしないだろうけれど、無理をする。
お茶を飲んだ彼方は、しばらく無反応だったが、後からきたのか『おっ』と顔を明るくさせた。
「おかわりは?」
「……ください」
唇を尖らせて、俯きつつ湯飲みを差し出す彼方。まるでばつの悪い子供の反応である。
彼方からこんな表情を引き出せるのだから、お茶汲み五年のスキルは伊達じゃないのだ。多分。
お茶を注いで、彼方の隣に座る。ソファーはひとつしかないので、仕方がない。妥協するしかないのだ。
「さて、それじゃあ本題に入ろう」
「……そうですねぇ」
湯飲みをテーブルに置いて、彼方はいすまいを正す。
そして、にこりと微笑んだ。
「どうぞ、なんでも聞いてください」
「そう。じゃあ、砂奈子さんは、『何』なの?」
「ま、やっぱり気になりますよねえ」
彼方は脚を組んだ。靴下に包まれた爪先が晃介のふくらはぎを蹴った気がするのだが、気のせいだろうか。
「彼方達は、ああいうのを『喰人人物』って呼んでる。まあ、便宜上『喰物』って呼ぶほうが多いかな」
「……人、なのか?」
「さあ。でも、大多数の関係者はアレを人というカテゴリに含んでいるよ。理由はわかります?」
「……人型だから?」
「それは大前提ですね。他にも理由はあります」
彼方は、掌を掲げて指折り数える。
「ひとつ、喰物が発生する原因がわからないから」
「原因?」
「多くの関係者は、アレを違法薬物による状態異常だという見解を示しています。いわば、ドーピングですね……でも、いくら解剖しても、決定的なものが見つからないんです」
「薬物反応か」
「未知のドラッグかもしれません。だけど、変形した部分以外に、異常が見当たらないんですよね。だから、アレを新生物なのではないかと考えている関係者もいて」
「うん、僕も突然変異かなって思えてきた」
「でも多数決です。今じゃ薬物説が当たり前で、だから四課にも協力してもらってるんですよ」
「つまり、アレは薬物中毒者の人間ってことになっているんだね」
「はい。そして、ふたつめ」
また、指を折り曲げる。
「喰物と喰物の間に、人間が産まれた事例があるんです」
「……なんだか、喰人人物だっけ、昔からいるみたいな言い方だけど」
「いたらしいですよ。ほら、日本昔話にもたくさん出てるじゃないですか」
「妖怪とか鬼の類いか」
「ええ。でも、人間が産まれた。産まれてから死ぬまで、特に異常もなく天寿を全うしたそうです」
「それは……」
「羨ましいです、本当に。いつ死ぬか知れない仕事をしてるものですから、将来の夢は寿命で死ぬことなんですよね、彼方」
「へえ、そうなんだ」
「そんなわけで、人間扱いが基本ですね。だから、それっぽい喰物がいても、異常があるまで殺せません」
「…………」
「どうしました?」
「いや、あのさ、人間と喰物って見分けられるの?」
「それは、」
言いかけて、途端、彼方の肩が震えた。
まだ背負っていたランドセルをおろして、防犯ブザーの飾り紐を引っ張る。
咄嗟に耳を塞いだが、それは杞憂に終わった。音は鳴らなかったのだ。
よく見れば、それは飾り紐のような形をしたイヤホンだった。
防犯ブザーの本体を口許に寄せ、イヤホンを耳にはめる彼方。はたから見れば、子供が壊れた防犯ブザーで遊んでいるようにしか見えない。
「こちら『バレット』。……………………了解、直ちに向かいます」
イヤホンを外し、彼方は晃介を見上げた。
バレット、とはコードネームだろうか。
「お兄ちゃん、質問の答えはまたあとで。まあでも、習うより慣れろです」
さて、出動して貰いますよ。
彼方は、まだ銃も持っていないのに、凶悪な笑顔を浮かべた。