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僕の彼方  作者: 佐保てん
3/11

彼方のショウタイ(後)

 窓の外は街灯のオレンジで明るかったが、それでもそれは夜だった。晃介は、寝室のベッドで布団を被っている。

 思い返されるのは、彼方の言葉。

 晃介の頭の中は、ぐちゃぐちゃと思考の糸が絡まった状態である。だから、晃介は考えることを放棄した。

 「ぐー」

 つまり、ふて寝していた。

 盗聴器類を見せつけられ、己の命が狙われていたのだと説明された後、真っ先に布団に入ったのだ。あの晩の事件についても、動揺こそすれ狂乱していないことから、晃介がいかに太い人間かが窺える。

 そんな真っ暗で静かな部屋に、携帯電話の着信音が響く。

 晃介は普段携帯電話のアラーム機能を利用しているので、その音を彼の意識を覚醒させるのに充分だった。

 ディスプレイに表示された相手の名前を確認して、スピーカーを耳にあてマイクに寝起きの声を入れる。

 「もしもし、日暮です」

 「あ、日暮さん。こんばんは、浜雪です」

 浜雪砂奈子。病院で初めてエンカウントした看護師さんだ。

 あの後、なんやかんやで仲良くなり、携帯電話の番号とメールアドレスを交換したのである。晃介は、人間関係のフットワークの軽さには少々自信があった。

 しかし、退院直後になんの用だろう。

 「日暮さん、お部屋にキーケース起きっぱなしでしたよ」

 「え?」

 キーケース。そういえば、彼方(と恐らく刑事)の不法侵入に気取られて、肝心な家の鍵のことはすっぽり頭から抜け落ちていた。

 色や形を確認したところ、どうやら本当に晃介のものらしい。

 「あー、すみません。明日にでも受け取りにいきます」

 「いや、いいですよー。届けますって」

 「は、え、いや、それは流石に悪いですよ」

 「今、日暮さんちのご近所にいるんですよ。すみません、勝手に調べちゃいました」

 「ええ? じゃあ迎えに行きますから!」

 「ああ車なんで大丈夫ですよ」

 「なんか……申し訳ないなあ」

 「んー……じゃ、お茶でも用意して待っててください。おもてなしされてあげましょう!」

 「……あはは、じゃあよろしくお願いします」

 「よろしくお願いされます。じゃ、またあとでー」

 「はーい」

 通話終了。

 さて、まずは居間の片付けである。彼方が散らかした郵便物を処理しながら、やかんでお湯を沸かそう。

 「……」

 彼方は、何をしているのだろう。また人を殺しているのだろうか。

 大振りのナイフに、複数の銃器。銃刀法を余裕で破っている。

 あんなもの、ただの女児に用意できるものか。たとえ本当に令嬢だったとしても、難しいに違いない。

 何か、良くないことが起こっているのはあきらかだ。

 お茶汲み五年の勘である。

 コンロの火を消した。

 沸いたお湯をポットに入れて、戸棚から茶筒を見つける。

 「あれ」

 妙に軽い。中を覗くと、茶葉がすっかり無くなっていた。

 この前まではあったのに。どうやら、記憶違いの検討違いだったらしい。

 仕方ない。砂奈子がどこまで来ているかはわからないが、コンビニで買ってこよう。

 何ももてなさずに返すなんて、お茶汲みのプライドが許さないのだ。

 晃介は背広のポケットに財布を入れて、部屋を飛び出した。




―――――――




 結果、茶葉は買えた。玉露入りと書かれたちょっとお高いお茶だ。ついでにお茶菓子と、ビールも二本買った。最近のコンビニはある程度なんでも置いているので助かる。

 さて、砂奈子はどこにいるのだろう。もう到着してしまっただろうか。と、ポケットを探ろうとして携帯電話が無いことに気がついた。

 落としてしまったのかと慌てたが、なんてことはない、家に忘れてきただけである。

 腕時計を確認すれば、砂奈子がアパートに着いていてもおかしくない時間だった。

 急がねば。と、早歩きでアパートに向かう。

 しかし、夜中に女性が男の部屋に来るというのは、どうなのだろうか。誰かと一緒に来るのだといいのだが、それだったら一言あっただろうから、きっと砂奈子は一人だ。

 砂奈子に手を出すつもりは毛頭無いが、無用心ではあると思う。

 それに、この辺りは治安が悪い。女児が人を殺しているし。

 「……」

 警察は組織だ。綺麗なばかりではないことも知っている。

 ただの巡査である晃介に、彼方は逮捕できないのだろう。

 「あ」

 駐車場に見覚えの無い車があった。

 メタリックなピンク色の車体の中に人はいない。

 間に合わなかったようだ。

 「あー、もう」

 夜なので音を立てずに階段を上った。大家さんが神経質な人なのである。

 一歩、一歩、段を踏んでいく。

 部屋の前には、ドアノブを握る砂奈子の姿があった。髪を下ろしているので、一瞬誰かとわからなかった。

 声をかけようとしたが、しかし砂奈子は消えてしまった。

 部屋に、入ったのだ。

 「……いやいや、えーと」

 鍵は、たしかに閉めなかった。けれどもだからといって入るのは、流石に非常識ではなかろうか。

 いや、考え方を変えよう。彼女は看護師だ。

 アパートに到着する、電話をかける、通じない、インターフォンを鳴らしたり扉をノックしたりするも返事がない、晃介が部屋で倒れているのではないかと考える、お邪魔します。

 これだ。これに違いない。これしかない。

 晃介は気配を殺しながら部屋の前に行き、扉に耳を押しあてた。

 「日暮さーん、いますかー!?」

 やはり、晃介を探していた。

 「……」

 一応、装備の確認。財布と警察手帳、ビニール袋の中には缶が二本筒が一歩菓子類が少々。

 いざとなったら、袋を投げつけよう。

 そして晃介は、ドアノブに手をかけ――たが。

 「……」

 手を離し、晃介はその場から走って逃げ出した。

 「日暮さん!!」

 すぐさま扉が開き、砂奈子が顔を出す。それはそうだ、晃介が扉の前に立っていたのと同様に、彼女も扉にべったり張り付いていたのだから。

 古いアパートだから、お陰で息遣いがよく聞こえた。

 階段を駆け下りる。スピードは落とさず、滑るように。

 なんとなく、そうなんじゃないかとは思っていたが。

 あれが、ストーカーというやつか。

 背後を見てみれば、砂奈子も裸足で階段を下りようとしていた。

 彼女の右手には、肉切り包丁が握られている。晃介は再び走り出した。

 「待って!」

 と言われたので、晃介はピタリと止まった。

 砂奈子が階段を下りきる。晃介は缶やら筒やらが入ったビニール袋を、砂奈子に向かって投げつけた。

 利き手が塞がっている砂奈子は、それをうまく防げずに顔面にまともに食らう。

 刃物を取り落としはしなかったが、隙はできた。

 砂奈子との距離を詰め、包丁を蹴り飛ばしながら胸ぐらを掴む。そして、少し浮いた彼女の足元を掬うように蹴りあげる。

 胸ぐらを離す。立っていられるはずもなく、砂奈子は道路に転がった。

 包丁は遠くに落ちているし、他に凶器の類いは持っていないようだ。

 砂奈子の両腕を捻りあげ、背中に押さえつけた。取り押さえ完了である。

 「日暮さん、やめて!」

 「いや、やめたらまた包丁持つでしょう」

 「持つけど、痛いからやめてよ!」

 「……なんで包丁なんて持っていたんですか」

 あれは、晃介の家に常備されている包丁じゃない。彼女が持参したのだろう。

 晃介の問いかけに、砂奈子は淀みなく答えた。

 「決まってるでしょ。日暮さんが食べたいのよ」

 あ、もちろん食欲的な意味で。と、慌てて付け足す砂奈子。付け足した意味がわからない。

 とりあえず、方針は決まった。

 人を呼ぼうと、口を開く。

 「お兄ちゃん」

 ずるりと、口の中に三本の小さく細い指が、這入った。

 躊躇いなどなく、その指は晃介の舌を挟む。晃介はたまらずえづいた。

 ぴったりと背後から抱きついている小さな体。耳元で囁かれた飴細工のような声色。

 晃介は、言葉にならない声で「彼方ちゃん」と呟いた。

 「はいそうです。彼方ちゃんですよー」

 彼方は嬉しそうに笑うと、口に入れていない方の手を晃介の肩越しに砂奈子に向けた。

 砂奈子に伸ばされた手に握られているのは、目に焼き付いてしまった、サイレンサー付きのハンドガン。

 晃介は砂奈子の腕を解放して、彼方の腹に肘を入れた。

 いくら狂暴といえど、女児は女児。簡単に倒れた。晃介も、その上にのし掛かる。

 「逃げろ!」

 よろよろと立ち上がった砂奈子は、彼方のハンドガンを目にした。目を見開く砂奈子。

 「いや……」

 砂奈子が後退りした。途端、彼方が晃介の下で暴れ始める。

 「どけ、馬鹿野郎。死にてぇのか! ああ!?」

 「駄目だ。もう君に人は殺させない!」

 「はぁあ!? あーもううぜぇ!!」

 「あと、その素のしゃべり方は口が悪すぎると思うよ。あの猫かぶりも不気味だけど、それもどうかと思う」

 「ぜってえ今する話じゃねーだろ!!」

 砂奈子は、「いや、いや」と首を振り、頭を掻きむしって項垂れている。

 ハンドガンの銃口が砂奈子に向けられていたので、彼方の腕を押さえつけて銃を取り上げた。

 その時、アパートから扉の開く音がした。

 「日暮さん、なんの騒ぎ?」

 便所サンダルを履き、ネグリジェを着た見るからに大家さんな大家さんが召喚されてしまった。

 なんたることだ。

 「大家さんは部屋に戻ってください。それで、警察に通報を!」

 「え?」

 「早く!」

 「……わ、わかりました!」

 大家さんが背中を向けた。

 すると、「は?」砂奈子の頭が『ぱっくり』割れた。

 「いや。日暮さんは私がたべるの」

 頭の割れた砂奈子が、大家さんに向かって突進し、しがみつく。

 そして、砂奈子の頭は、大家さんの後頭部を食べた。

 文字通り、噛みついて、飲み込んだ。

 「……あ」

 と反射的に呟いた大家さんは、前のめりに倒れ込んだ。

 血と脳漿がとろとろと流れ出て、ネグリジェを汚す。

 「だから言っただろうが!!」

 彼方は茫然自失の晃介を蹴り飛ばし、乱雑にランドセルを引っくり返した。

 そして、銃器の小さな山からショットガンを選んで、安全装置を外して構える。サイレンサーが付いているのか、やはり発砲音は小さかった。

 膝を曲げる砂奈子らしきもの。被弾したらしく、脇腹が弾け飛んだ。

 弾を装填しながら、彼方は駆ける。

 膝をついた砂奈子の頭の、歪な割れ目に銃口を埋めた。

 「晃介」

 「……」

 「見んじゃねーぞ」 そして、発砲した。

 飛び散る音はしたけれど、彼方の陰に隠れていてよくわからなかった。




―――――――――





 晃介は署内のある部屋の前にいた。

 と、いうのも数分前。

 「よう、日暮久しぶり。早上がりさせてやったのに入院なんざ災難だったなあ」

 「あ、あはは」

 出勤して、すぐに上司のデスクに向かった。

 そう、晃介は普通に出勤したのだ。

 携帯電話のアラームで目が覚めた晃介は、自室のベッドで眠っていた。どうやってベッドに入ったのかは、全く覚えていない。

 けれど、鮮明に覚えていることもあった。恐怖と驚愕。血と硝煙の匂いに、異形の女。

 そして、彼方。

 それでも出勤したのは、急いで日常に戻るためである。

 気になることは多々あるが、ああいった非日常はしばらくは懲りた。

 「ま、無事で良かったよ」

 「はい」

 そういえば、この上司にはどこまで伝わっているのだろうか。

 全部ってことはないだろうけれど。

 「災難ついでに、一ついいか」

 「なんでしょう」

 「お前の異動が決まった」

 「……」

 「不服か?」

 「……いえ」

 あんな事件に巻き込まれたのだ、圧力は受けるだろうとは思っていた。

 少年課に未練が無いと言えば嘘になるが、首が飛ばないだけ万々歳だ。

 「署内ですか?」

 「もちろん。ただなあ……」

 「?」

 「いや、とりあえずデスクは整理して荷物とかは運んであるから」

 「あ、ありがとうございます」

 「で、だな。異動先がだな」

 「交通とかですか?」

 「いや、刑事四課」

 「……」

 いや、はいはい、わかりました。

 つまり、監視生活は終わっていなかったと。

 晃介は絶望した。

 「早とちりするなよ。仕事内容はココと大して変わらん」

 「お茶汲みですか」

 「いや、それは勝手にやってろって感じなんだが……あ、やべ」

 「はい?」

 「約束の時間だ。さっさと四課行ってこい」

 「……」

 ということで、現在に至る。

 しかし、ここは刑事課ではない。基本的に使われない小さめの会議室だった。

 上司に言われた通りにこんなところまでノコノコ来てしまったが、一体何をされるのだろうか。

 「逃げたい」

 念のために辺りの人気を確認する。

 よし、誰もいない。よくない。

 「……死にはしない、はず」

 彼方の言葉を信じるなら。

 晃介は腹を括った。

 と、開こうとしたドアが勝手に動いた。勿論、自動ドアではない。

 「さっさと入ったらいかがですかぁ」

 最初に目には入ったのは、セーラーブラウスだった。

 次いで、顔を見る。

 「こんにちは、晃介お兄ちゃん」

 何故か、彼方がいる。

 半歩退いた晃介の腕は彼方に掴まれ、乱暴に素早く部屋に引きずり込まれた。

 そして、すぐにドアの鍵を閉める。閉じ込められたか。

 部屋の中には、二人以外の人間は居なかった。

 「そう怯えずに、寛いでくださいな」

 「……どうして、彼方ちゃんがここに?」

 「お兄ちゃんと同じですよ」

 そういって、彼女はプリーツスカートのポケットから手帳を取り出した。

 その手帳はキャラクターのシールがべたべた貼り付いていたが、それを除けば見覚えがある。

 「四課特務室室長、彼方です」

 それは、まさしく警察手帳だった。

 いや、どういうことだ。

 「これより、日暮晃介さんには特務室のお茶汲み係に任命します」

 「いや、は?」

 「は? じゃないです。答えははい以外認めません。でも、まあお茶汲み係は冗談です」

 「その警察手帳は」

 「冗談じゃありません」

 「……」

 「じゃあ、お兄ちゃんのお仕事の説明をしますね」

 彼方は長テーブルに腰掛けて、胸元に手を置いた。

 背後のブラインドから漏れる光に相まって、すごく、絵になる構図だ。

 彼方は、綺麗極まりない笑顔で、こう言い放った。

 「お兄ちゃん。彼方を、保護してください」


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