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僕の彼方  作者: 佐保てん
2/11

彼方のショウタイ(前)


 その天井はクリーム色だった。スンとする薬品の匂い、周りを囲う白いカーテン。なるほど、実に病室である。

 ならば、今こうして寝ているのは病院のベッドということになる。つまり、自分は生きているのだ。

 そこまで認識した晃介は、布団をはね除け飛び起きた。

 「いてっ」

 左肩に走る激痛に顔をしかめ、晃介はベッドに倒れ込んだ。枕の位置が少し高い。

 晃介は己の左肩に右手で触れてみた。硬い。包帯でガッチガチに固められている。

 ぼんやりと、あの夜を思い出す。次の日が非番だから、家に帰ってDVDでも見ようと思いながら帰宅していたはずだ。

 コンビニでビールを買って、コンビニを出て。

 そして、彼方を目にした。

 「なんだったんだ、あれ」

 彼方の顔を思い出そうとするが、出来ない。目も覚めるような美しさだったはずなのに、肝心の顔のパーツがイメージ出来なかったのだ。

 寝過ぎた。脳が腐っている。

 勿論本当に腐っているはずがない。ただの悪態だ。

 左肩に負担をかけないように起き上がり、ベッドから這い出る。チェストからスリッパを取り出し、それを履いてカーテンを開いた。

 「あれ」

 てっきり、もう二、三個ほどベッドが並んでいるかと思っていた。けれど、このがらんとした空間から察するに、どうやらここは個室らしい。

 そんなに重症だったのだろうか。よく覚えていないので、いまいち実感が湧かない。

 チェストの上には、財布と携帯電話と警察手帳、ビニール袋に入った温い缶ビール二本が置いてあったので、迷わず携帯電話を開いて日付を確認する。

 あまり時間は経過していない、今は翌日の朝だ。つまり、非番であるということだ。

 無断欠勤はしたくなかったので良かった。

 上司に説明するのは、後回しにしよう。今は、現状の確認が最優先である。

 ナースコールを持ったと同時だった。部屋のスライドドアが開いたのだ。

 それは、担当医でも看護師でもなかった。背広を着た男が二人、ずかずかと乗り込んできた。

 一目見て、この二人は同業者なのだと、正確にはもっと物騒な集団だと判断した。

 刑事だ。捜査第三、いや、第四課だ。こんな物騒な視線だけで人を殺しかねない人種は、この国では第四か対策課か、あとは暴力団幹部くらいだろうから。

 顎の辺りに大きな傷を残した壮年の男性と、その斜め後ろに付き従う晃介とそう変わらない年齢であろう青年。どちらも、当然だが愛想を振り撒くことなく警察手帳を取り出した。

 「刑事部第四、安住正盛です」

 「同じく第四、月島弘明です、日暮さん」

 男性の警察手帳に記された階級は、警部。青年は巡査長だった。

 晃介は姿勢を正し、敬礼を送る。

 「生活安全部少年課、日暮晃介です!」

 「安全部、ね」

 二人も敬礼を返してくれたが、明らかに晃介の部署を見下した反応だった。

 それも仕方の無いことだろう。刑事部の、それも第四だ。恐喝や薬物問題等、暴力団関連の事件が管轄である。

 常に死と隣り合わせで、命懸けで市民を守り、正義を執行しているのだ。

 馬鹿にされるのは素直に嫌だが、彼らのプライドに理解を示さないつもりはない。

 「まあ、今は同僚としてではなく参考人として話を聞きたいだけなんで」

 「参考人、ですか」

 「ええ、昨晩の事件についてです」

 「……ああ」

 忘れていた訳では無い。ただ、少し現実離れをしていたので、無意識に深く考えないようにしていた。

 しかし、なんと説明すれば良いのだ。悩んでいると、安住が声を掛けた。

 「あ、いえ。今回は事情聴取ではなく事実確認だけで済みますから」

 「そう、ですか」

 「ええ。んじゃ、早速」

 ずいと近寄られて、後退りした晃介の腰がチェストの角にぶつかる。いかつい男の顔が接近して威圧されこそすれ嬉しいはずもなく。

 安住は、小さな声で、月島にも聞こえないのではないかというほど微かな声で囁いた。

 「昨夜は、何もありませんでした」

 「……え」

 何を言ってるんですか、と語ろうとした口は男の手によって塞がれた。

 驚愕して安住の顔を見上げれば、彼の目はもはや晃介を人間として認めていなかった。

 殺される。

 恐怖で動けない晃介に、安住は耳元でねっとりと説明を始めた。

 「いやね、あの場にいた子供、さるお偉いさんのご令嬢でね。見ちゃったでしょ、その子がラリって襲ってきた男を正当防衛で殺しちゃったの」

 「……」

 「小学生のお嬢様が、正当防衛で人殺し。こんなの、もう報道規制かけるしかないじゃない。わかるでしょう?」

 言いたいことはたくさんある。しかしこの男は、その言いたいこととやらを言ったら殺すぞと目で訴えてくるのだ。

 安住の言っていることのなかには確実な間違いがある。そして、それこそが彼の隠したい部分なのだろう。

 あれは、正当防衛などではない。はじめから、人を殺す気の装備だった。

 しかし、それを何故そんなに執拗に隠すのか。彼方がまだ子供で、しかも令嬢だからと言われればそれまでだが、しかしそれすらも疑わしい。

 というか、この男は嘘しか吐いていない気がする。あくまで、お茶汲みの勘だけれど。

 「もう一度聞きますよ」

 「……」

 「昨夜は、何も、ありませんでしたね」

 「……」

 そうして、晃介は首を縦に振った。振るしかなかった。

 安住が離れる。元居た立ち位置に戻って、軽く敬礼した。

 「ご協力感謝します。養生なさってくださいよ、職場にはこちらから伝えてありますから」

 「……はい」

 そして二人の刑事はこの個室から立ち去った。

 スライドドアが完全に閉まりきってから、晃介はベッドに沈み込んだ。左肩が痛い。

 あの脅しを肯定してしまった。それが、己の正義を曲げたことになるのかは、わからない。何故なら、安住が嘘を吐いているかぎり、晃介は正しい状況が把握できないからだ。

 まあ、恐らくは悪事に加担してしまったのだろうが。

 ため息を吐いて、リネン室の香りがするシーツに顔を埋める。この、やってしまった感。

 「ああああ、僕、警官なのに」

 たいした情報も聞き出せず、屈してしまった。情けない。悔しい。

 背後でスライドドアの動く音がした。

 「ひ、日暮さん!?」

 駆け寄ってくる若い女性の看護師さん。どうやら、晃介がベッドから転げ落ちたように見えたようで、慌てている。

 晃介は、顔を上げて苦笑いした。

 結局、二週間入院することになった。実家から母親が来てくれ、身の回りの世話をしてくれたので助かった。申し訳なかったけれど。

 どうやら肩の骨は無事だったらしい。お陰で早く職場に復帰できる。完治した訳ではないが、デスクワークだけならなんら問題無いだろうとのことだ。後日、抜糸しにまた来院しろと告げられた。

 仲良くなった看護師さんに見送られて、少ない荷物を持って病院の玄関をでる。大きな病院なので、駐車場も相応するサイズをしている。

 ここから家までが遠いんだよな、と考えながら少し歩いて、振り返った。

 警察病院がそこにはあった。

 「…………」

 二週間、なんとなく視線が付きまとっていた。けれど、これで監視生活とはおさらばだ。

 おさらば、であるはずだ。

 「……やだなぁ」

 とりあえず、アパートに帰ったらコンセントでも調べてみよう。盗聴機が取り付けられているかもしれないし。

 心底辟易しながら、晃介は病院の門を出た。


―――――――



 体が鈍って仕方ないからといって、駅まで歩こうなんて思うのではなかった。看護師さんに助言されたのだから、素直にタクシーを呼ぶべきだったのである。 二週間怠けた足腰は、駅に着いた時点で既にくたくたで、休む暇もなく満員電車に乗り込まなくてはならなかった。

 アパートの最寄り駅に到着するまでの数分間、倒れなかったのは警察官としての気概によるところである。

 そんな訳で、晃介は住処の近所を歩いていた。

 反対車線にコンビニエンスストアがある。あの辺りで、彼方を見かけたのだったか。

 「駄目だ駄目だ」

 あの刑事の脅しは忘れていない。余計なことは、考えない方がえだろう。

 しばらく進んだり角を曲がったりすると、目的のアパートにたどり着いた。二週間ぶりの帰宅である。

 晃介の部屋は二階の最奥だ。錆び付いているがまだ現役の階段を上って、扉の前に立つ。

 鍵を取り出そうとして、晃介の動きが止まる。

 そういえば、鍵はどうしたのか。

 落ち着こう。車のキーと同じキーケースに入っているはずだから、車のキーを探せばいい。たしか、車はコンビニに起きっぱなしにしてしまったので、母親にアパートの駐車場まで移動して貰ったのだ。

 ひとまず階段を下りて、駐車場に停められたシルバーの乗用車を確認する。鍵は刺さっていなかった。

 焦るな。次は、アパートの一階にある郵便受けの中を覗いてみる。

 無い。

 まさかとは思うが、階段を駆け上がって扉のノブを回した。

 開いた。

 「……母さんめ、鍵をかけ忘れたな」 そう呟きつつ、晃介の顔は引きつった笑みを浮かべていた。

 そうだ、母親が鍵をかけ忘れたのだ。決して、侵入者というか監視者が入り込んだ訳じゃない。そう思いたい。

 扉を開き、晃介は靴を脱いだ。1DKの狭い部屋だ、誰か居たとして、隠れられるはずがない。

 つまり、監視者に細工こそされど、監視者本人がこの部屋にいる可能性は低い。きっと。

 狭い廊下を進み、キッチンを通りすぎてダイニングに入った。

 「あ、お邪魔してますよ。お兄ちゃん」

 居間の中心には、独り暮らし用に小さめの折り畳み式テーブルがちょこんと置いてある。

 そして、その上には二週間分の郵便物が散らばっていた。 「違う違う。間違えちゃいましたぁ……おかえりなさい、晃介お兄ちゃん」

 郵便物の封筒は全て開封されており、彼女は、彼方は座布団に座って中身を読んでいた。

 あまりのことに反応出来ないでいる晃介に、彼方は郵便物から目を離して、わざとらしいほどふわりと微笑んだ。

 そうだ、たしか彼方という女児は、こういう顔をしていた。と、今更になって昨晩のぼんやりとした記憶の彩度を上げる。

 程よく長い睫毛に囲われた深い色をした虹彩が、記憶と一致した。

 「ごめんなさい、晃介お兄ちゃん。驚かせるつもりで来たの」

 「……」

 「そんな怖い顔しないでください。彼方は、お兄ちゃんの味方ですよ……あ、そうだ。その証拠に、ほら」

 郵便物を床に落とし、彼方はランドセルからキャラクターものの巾着袋を出した。

 爆弾だろうか。ランドセルから銃器を出したのだ、全く不思議じゃない。

 しかし、彼方が巾着を引っくり返すと、中から転がり落ちたのは小型の機械や金属片のようなものの数々だった。

 これは、もしや。

 「部屋のあちこちに取り付けられていた盗聴器と隠しカメラですね。これで全部だと思いますよ?」

 「……マジか」

 「マジです」

 晃介は頭を抱えた。監視生活はまだ続こうとしていたらしい。

 項垂れる晃介に、彼方は機械類の入った巾着をしまいながら慰めをかける。しかし、その言葉は衝撃的なものだった。

 「大丈夫ですよ、彼方が刑事のおじ様達に頼んでおきます。もう晃介お兄ちゃんを困らせちゃ駄目だって」

 「……刑事?」

 「はい、お友達なんです」

 やはり、この女児とあの四課連中とは何か繋がりがあるらしい。

 彼方の正体。それは、探っても大丈夫なものなのだろうか。

 悩んでいる晃介の横を、彼方はするりと通り抜けた。

 「ちょっ、どこいくの!」

 「あ、もう帰るんです。もうすぐ日が暮れちゃいますから」

 「はあ?」

 「でも、よかったです。お兄ちゃんの顔を見れて」

 「なに」

 「だって――彼方がおじ様達にお願いしなかったら、晃介お兄ちゃん、今頃死んでるもん」

 息が詰まった。

 今、なんと言ったのだこの女児は。

 死んでいた?

 誰が。

 日暮晃介が。

 「よかった、おじ様達、約束守ってくれたのね」

 晃介に背中を向けながら一人呟いて、扉を開いて外に出た彼方。

 ちょうど風が強かったらしく、彼女の柔らかな髪が盛大に煽られる。それを押さえつけながら、彼方は振り返った。

 「ばいばい、お兄ちゃん。もう会えないといいのにね」

 笑顔でそう言って、扉は閉められた。

 数分経ってから、扉を少し押し開いて外を覗いてみる。

 勿論、誰もいなかった。

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