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僕の彼方  作者: 佐保てん
10/11

彼女はショット・トゥ・キル(後)

 見慣れた風景の中、晃介は車を飛ばす。つい昨日も同じ道を走ったのに、何故か懐かしく感じた。

 輝美子は、ちゃんとコンビニに行ってくれただろうか。間違っても、大家さんに挨拶なんてしてくれていないことを祈る。

 減速して十字路を右に曲がれば、コンビニの看板が目に入った。

 駐車場に車を停めた晃介は、車内から店の中を覗く。

 「……」

 いた。雑誌を立ち読みしている。

 晃介はどっと息を吐いた。無事で何よりだ。

 本当に良かった。

 輝美子が顔を上げた。目があったので、晃介は手を振る。喜色満面の輝美子も手を振り返して、雑誌を持ってレジに向かっていく。

 雑誌はお買い上げしたようで、ビニール袋を抱いた輝美子が店から出て車に駆け寄ってきた。

 ドアを開けて、輝美子は「久しぶりー元気ー?」と女子みたいな問いをかける。女子といえば女子ではあるが。あまり女子女子しないで欲しいというのが正直な息子心である。

 だが、見た目だけなら輝美子は若かった。女子と呼べるか晃介には疑問だったが、三十代、たまに二十代に見られる外見をしている。童顔というわけではなく、若づくりなのだ。

 「いてっ」

 いい笑顔で頭を小突かれた。恐るべし、お母さんの勘。

 「久しぶり、母さん」

 「うん。お兄ちゃん、やっぱりお疲れ様なんじゃなぁい?」

 「ちょっと仕事がね、繁忙期で。智晶は元気?」

 「ええ、元気よー。あの子もお兄ちゃんに会いたがっていたわねえ」

 智晶というのは、二番目の父親と三番目の母親との間にできた女の子だ。血の繋がりは無いが、晃介の可愛い妹である。

 輝美子は、他人の子供を二人も育て上げてくれた。

 感謝してもしきれない。

 「それで、お兄ちゃんの家ってどこー?」

 「お腹空かない?」

 「そうねぇ、さっきご飯は食べたから……」

 「僕、お昼まだなんだよね。どっかで食べていい?」

 「コンビニでお弁当でも買っていく?」

 「折角だし、どこかファミレスに行こうよ。ゆっくり話したいし」

 「……」

 輝美子は、晃介の言動を訝しんでいる様子だった。晃介は、輝美子の前で隠し事をするのは苦手だ。

 多分、輝美子は晃介が何かしらを隠していることに気がついている。

 「……じゃあ、どこに行こっか」

 気づいているからこそ、輝美子は深く追及しない。微笑んで、見逃してくれる。

 晃介は、輝美子のそういうところが昔から好きだ。

 「勤め先の近くにあるファミレスでいい?」

 「おーるくりあー」

 「なにそれ」

 「オーケーってこと」

 「まあ、わかるけどさ」

 というわけで、晃介は再びファミリーレストランに戻ることになるのだった。





――――――――――





 「あら、また会ったわね」

 白い女は、まるで以前も会ったことがあるかのように話しかけてきた。

 当然、首を傾げる晃介。

 「なにやら、お困りのようね」

 「まあね」

 「そうね、貴方は悩むべきだわ。あの子も言っていたことだけれど、貴方って鈍感なのよね」

 「そうかな。直感には自信があるんだけど」

 「その直感に対してひどく愚鈍なのよね。危機感が足りていないのよ」

 「そう?」

 「今だって……いえ、いいわ。貴方がそんな人だから、私はこうして気兼ねなくお喋りできているんだもの。感謝しているわ」

 「そんな人って、どんな人さ」

 「そうねえ……」

 「……」

 「天然、ね」

 「……またかあ」

 「天然の、先天的な、人でなし」

 「…………」

 隣に座った女は、晃介の肩に垂れかかった。

 女の声が、いやに響く。まるで、虫が這っているように、気持ち悪いのにくすぐったい。

 「あの子も、そう言いたかったのよ?」

 「……」

 「あの子は、貴方を信用しているけれど、信頼していない。何故かわかるわよね」

 「……わからない」

 「嘘つき」

 女は嘲笑った。

 「貴方、あの子が可哀想って言ったわよね」

 「……」

 「客観的に考えて、そう思うのよね?」

 「……」

 「自分自身では、あの子のことなんてなんとも思っていないのよ。徹底的な無関心」

 「……そんなこと」

 「無いって言い切れる?」

 「……」

 「……」

 わからない。

 「僕には、わからない」

 「……」

 「でも、君が僕をそう思っているんなら、君にとっての僕はきっとそれなんだ」

 「……貴方って」

 何も考えていないのね。

 「……」

 「まあ、いいわ。そういうところも含めて」

 「……」

 「好きよ、晃介」

 女が耳元で囁く。

 ぐわりと、頭が揺れる。まるで、徹夜明けや貧血を起こした時のように、世界が回る。

 立ち上がる白い格好をした女。このままでは、女が去ってしまう。

 「待って……」

 結局、君は誰なんだ?

 女が振り返った。素直な笑顔で、魅力的に。

 「私は、しがない売人よ」

 そして、女は消える。

 晃介だけが、残った。

 「お兄ちゃん、ちゃんと話聞いてる?」

 「…………え?」

 「ちょっとぉ」

 「あ、ごめんごめん」

 晃介はシートベルトを外して、エンジンの止まっている車を降りた。

 輝美子も降りたのを確認し、車の鍵を閉める。

 広い駐車場だった。それに、いやに既視感があった。なんだか、慣れているというか。

 入居者募集の看板が、晃介の目に入る。

 「……あれ?」

 ここは、昨日から晃介が住むことになったマンションではないか。

 おかしい、自分たちはファミリーレストランに向かっており、こちらとは逆方向に進んでいたはずだ。それなのに、どうして晃介はここに立っている。

 日差しが強い。じりじりと、晃介の露出している部分の皮膚を痛めつけている。それなのに、背筋を伝う汗は冷たかった。

 「……大丈夫なの、お兄ちゃん。ファミレスでも様子がおかしかったし」

 「え?」

 「何も注文しないし、喋らないし」

 「……」

 そう言われてみれば、自分はちゃんとファミリーレストランに到着していたような気がする。

 だが、晃介は少し腑に落ちなかった。自分も、少しは喋っていたと思うのだが。

 しかし、会話の内容は、まったく覚えていない。

 「ここに住んでるのねぇ」

 「うん、まあ」

 「すごぉい。さっすが国家公務員!」

 「あはは……」

 笑顔で場を繋ぎつつ、腕時計を確認する。コンビニに着いた時点から、二時間経っていた。

 なら、良いか。

 晃介は、考えることを止めた。これ以上考えたところで不毛だし、どうせ疲れがたまって記憶が飛んだのだろう。

 そうして、晃介は悩まなかった。

 なんとも、愚鈍なことに。





――――――――――





 指紋認証に興奮してご機嫌な輝美子を連れて、晃介は自室の鍵を開けようとした。しかし、その必要は無かったらしい。

 ドアノブを引っ張る。鍵は開いていた。

 「おかえりなさい、晃介お兄ちゃん」

 「……彼方、ちゃん」

 「あら、晃介。可愛らしい子ねえ」

 玄関に、彼方が立っている。ランドセルは背負っていないようだ。しかし、それでも彼方の見た目は小学生。あらぬ誤解を受けても仕方ないだろう。

 いや、そうじゃない。問題はそこではないのだ。

 何故、彼方がいるのだ。話が違う。

 「こんにちは。えっと、彼方ちゃん?」

 「はじめまして、彼方です。今は事情があって、お兄ちゃんに保護してもらっています」

 「……そう、それでかあ」

 どうやら輝美子は、それが晃介の疲労の原因だと思ったらしい。だが、間違いではない。

 彼方は、輝美子の手を握った。そして、部屋の中に招き入れる。

 「彼方が案内しますね。お兄ちゃんはお茶の用意でもしてください」

 「あらあら」

 「ちょっ……はあ」

 彼方は、いつも通りに見える。

 だからこそ、晃介は心配だった。なんだか、嫌な予感がするのだ。

 リビングに向かうと、輝美子はソファーに座っていた。明らかな来客なのに、お茶を汲む気にはなれない。

 「母さん、今からでも」

 「ねえ、お兄ちゃん」

 帰りなよ。そう言おうとした晃介の言葉を遮って、輝美子は笑った。その笑顔は儚げで。

 ぞわりと、悪寒が走る。晃介はベランダに目をやった。

 「お待たせしました」

 ベランダに出ていたらしい彼方は、部屋に入ってきた。耳にイヤープロテクターを、右手にはリボルバーを携えて。

 おかしい、この展開は、おかしい。

 晃介の存在に気がついた彼方は、困ったように眉をひそめた。

 「お兄ちゃん、お茶を入れてきてください」

 「……」

 「言い換えたほうが良いですか。お兄ちゃん、どっか行ってください、邪魔ですよ」

 「彼方ちゃん……なんで」

 「なんで?」

 彼方は、首を傾げる。心底理解できないというように。

 そして、彼方は己の鼻を指差した。

 「匂うじゃないですか、それ」

 「え?」

 「ああ、そうですね。親しい間柄なら、ニオイなんて気にならなくなっちゃいますよね」

 「なにが、言いたいの?」

 「わかっているくせに」

 「……」

 「そうやって、無知なフリをして、彼方に責任を押しつける」

 「彼方、ちゃ」

 「この、偽善者」

 その言葉は、晃介の胸を穿ち、脳を乱雑にかき混ぜた。

 それは、彼女の発言に傷ついたからではない。

 焦りだった。動揺と呼んでもいいだろう。変に吐き気がする。まるで身に覚えが無いはずなのに。

 そう、晃介は偽善者などではない。人でなしなんかじゃあないのだ。 

 だって、みんな、こんなものだろう?

 「わからないよ」

 「いや、そういうのいいんで。ちゃんと、頭を働かせてください」

 「……」

 「……もう、いいです。殺しますね」

 「ま、待って!」

 「……」

 「理由も無く殺すなんて、僕は」

 「だから、お兄ちゃん。彼方が、理由無しで殺したことがありますか。無いでしょう、みんな共通する理由があったでしょう」

 「そ……れは」

 ここで思い出したのは、砂奈子のことだった。

 入院中、晃介は砂奈子の世話になることが多かった。好意を抱かれていたのだと思う。

 晃介も、少なからず砂奈子に好感を持っていた。

 似ていたのだ。

 ニオイが、輝美子のそれと、似ていたのだ。

 「母さん、が」

 「こうちゃん」

 輝美子は、銃を向けられているのに、ソファーから微動だにしない。

 まるで、逃げる気などなく、これから起こるであろうことを受け入れていた。

 「ごめんねえ、こうちゃん。お母さんね、黙っていたことがあるの」

 「や……」

 「きっと、これは罰なのね。お母さんが、お母さんになりきれなかった、罰」

 「ちがう、かあさんは」

 「彼方ちゃん、少し時間をちょうだい。こうちゃんの前じゃ、ちょっと嫌なの」

 「なにを」

 「でも、これだけは言わせて」

 「……」

 「あのね、こうちゃん。お母さんね」

 「いうな」

 「こうちゃんのこと、大好きよ」

 食べちゃいたいくらい、大好きなの。

 そうして、輝美子は涙しながら笑った。思えば、初めて見る母の涙だった。

 「……彼方ちゃん、こうちゃんを別の場所に」

 輝美子の言葉は、発砲音に掻き消された。

 否、発砲音と同時に、輝美子は二度と喋らない体になったのだ。

 額に穴を開けた輝美子。音の無い世界で、それを見つめる晃介。

 「……」

 晃介は、首を捻るように動かして、彼方を見やった。

 またも発砲音。咄嗟に耳を押さえる晃介。跳ねる輝美子の体。

 彼方の方に向きかけていた顔を輝美子に戻す。輝美子は、淡い黄色のシャツを着ていた。それが、胸の辺りから、赤く染まっていく。

 また一発、もう一発。弾が切れるまで、撃ち続ける。

 「……死にましたね。執行完了です」

 「……」

 「もうすぐ特務の者が回収に参ります。それまで、そうですね、寝室にでも待機を」

 「どうして殺した」

 「……は?」

 「殺す必要が、あったのか」

 「え、ありますよ」

 彼方は首を傾げながら、イヤープロテクターを外している。

 晃介は、両手が塞がった彼方に近づき、拳を握った。

 そして、彼方の小さな顔を殴り付ける。

 倒れる彼方に馬乗りになって、晃介は彼方の顔を殴り続けた。

 何度も何度も、繰り返し。

 彼方が、晃介を見上げる。表情無く見上げ、殴られる。

 晃介は、彼方を見下ろす。表情無く見下ろして、殴る。

 「……」

 「……」

 彼方は晃介に腕を伸ばした。晃介の殴打が、一旦止む。彼方の腕が晃介の首に回された。

 見つめあう二人。お互いに、感情無く。

 彼方の腫れ上がった顔が、晃介に近づく。この血の匂いは、輝美子のものか、彼方のものか。

 鼻先まで近づいて、彼方は動かない。だから、晃介から動いた。

 「……」

 二人は、キスをした。

 愛情なんて微塵も無い、味の無い口付けを。

 その場の流れで、その場逃れに。

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