序
それは、少女と呼ぶよりも女児と表現したほうがしっくりときた。
遠目だから正確な所はわからないが、おそらく身長百三十センチ程度。肩まである柔らかそうな黒髪を、後頭部の大きなリボンのバレッタが飾っている。
長袖のセーラー服を着ていた。私立小学校の児童なのかもしれないが、今はどの学校も夏休みに入っている。
可愛らしいデザインの防犯ブザーを吊るした真っ赤なランドセルを背負った姿は、町の明るい夜闇の中では大層浮いていた。
腕時計を見てみれば、時刻は二十三時過ぎである。
缶ビールの入ったビニール袋を右手に持ち、コンビニを出て帰路につこうとしていた晃介は、それを見て女児が歩く方にくるりと方向を転換した。
ガードレールに守られた歩道を、よたよたとペンギンのように歩く女児。晃介は、女児に気取られないように歩みながら後を追う。それでも、成人男性の歩幅であるから、すぐに追いつけるだろう。
晃介の腕が女児に向かって伸ばされかけたが、それが彼女に届く前に女児は角を曲がってしまった。確かそこは、狭い路地だ。通り抜けた先には、夜の世界が広がっているはずだ。
まあ、距離は詰めたのでそろそろ声を掛けても良いか。逃げそうになっても捕まえられるはずである。
「君、ちょっと待って!」
これ以上進ませる訳にはいかないので、声を掛けながら路地を覗く。
少し暗かったが、女児の姿を捉えることに支障は出なかった。
女児は、黒髪を靡かせるように顔だけ振り向くと、大きな瞳を更に大きく開いた。夜中に知らない男に声を掛けられたら、それは驚くだろう。
晃介は意図的に眉をしかめて、困っていますと顔で表現した。背広の胸ポケットを探りながら、女児の顔を確認する。
とても綺麗な造形をしていた。整いすぎていて、どこか印象を残さない、無色の水のような女の子だった。
距離はそこまで無いので、晃介はポケットから取り出した手帳を見せながらしゃがみこんで目線を合わせた。
「大丈夫、おまわりさんだよ」
正確には、生活安全部少年課の日暮晃介巡査である。名前と階級は警察手帳に書いてはあるが、女児の年齢では説明したところで意味がわからないだろうし、きっと伝わらない。
そして、ようやく晃介は女児に笑顔を見せた。とにかく安心させたかったのだ。
「こんばんは」
「……」
「そっちに、何かご用なのかな?」
「……」
女児は何も言わない。ただ、晃介の顔を眺めている。
しかし、わからない。
女児の表情には、怯えや安堵の色が無かったのだ。
「こんばんは、警察のお兄ちゃん」
甘ったるい声音で言って、取って付けた笑みを浮かべる女児。先程の無表情が嘘のような、愛らしい笑顔だ。
嘘みたいに、可愛らしい。
庇護欲をそそるというか、ある種の妖艶さを含んだ、淫靡な微笑みだった。
嫌な考えが頭を過る。この道の先にあるのは色事の世界だ。
「彼方はねぇ、今からママのお仕事場に戻るんです」
「そうなんだ」
信用ならなかった。どんな可能性を考慮したとして、信用する気は彼女――彼方が笑みを浮かべた時点で消え去っていた。彼方の発言は、信じるに値しない。晃介はそう判断した。
それでも、放っておく訳にはいかないのは、晃介が警察官だからである。
「でもね、彼方ちゃん。こんな夜遅くに一人で出歩くのは危ないよ。僕も彼方ちゃんのお母さんのところまでついていってもいいかな?」
「お兄ちゃん、僕なんですね」
「ん、え?」
「一人称。ちょっと珍しいです」
「そうかな。あ、でも確かにあんまりいないかもね」
「あは」
こてんと首を傾げて、さぞ愉快そうに彼方は笑う。何が楽しいのか。
やっと、晃介は彼女の異様さに畏怖した。
世間一般的に頭がおかしいと呼ばれてしまう子供は、職業柄たくさん見てきた。しかし、晃介はそんな子供たちにも親身になれていたと自負している。
彼方は、違う。
この女児は、子供に備わっているべき危うさが無いのだ。
どんな子供にだって、弱いところというか、心に隙があるはずなのに。
この女児、彼方には、それがない。
強すぎる。
彼方は、その歳ではあり得ないほど老成した女児だった。
しかし、違和感の正体はこれだけではない気がする。もっと、言い方は悪いかもしれないが、この女児は異形めいているはずだ。
伊達に職場でお茶汲みを五年続けていたわけじゃない。洞察力には自信がある。
それでも、未知に対する恐れに耐えて、晃介は中腰で彼方に近寄った。放っておけるはずがなかった。
「あ」
「ん?」
「ぶないので、ストップ」
と言って、彼方は晃介の顔を力一杯殴った。
それも頬ではなく、鼻を容赦無く狙って。
骨のぶつかる甲高い音と、鉄の臭い。子供のそれとは思えないほどの強烈な拳は、一時晃介の動きを完全に停止させた。
踞った晃介の後頭部を何かが、恐らく彼方の足裏が踏みつけ、彼の額を汚れたアスファルトに打ち付ける。
目の前が真っ白になる感覚。何が起こっているのかはっきりわかっているのに、それでも感情が追いついてこない。ある意味、晃介は冷静と言えた。
だから、だろう。その足音は明瞭だった。
男の唸り声が聞こえる。そして、声と足音は、こちらに向かって、つまり彼方を目掛けて近づいていたのだ。
そして、晃介は唸り声の中から明確な単語を耳にした。
「しねぇ」
その言葉は、負の感情を孕んでおり、本気なのだとわかった。から、晃介は跳ね起きる。
バランスを崩した彼方が尻餅をついた。手を貸している暇は無いし、彼方を抱いて逃げるには男の位置は。
「あ」
目の前にいた。
男は、手にしている鉈を、座り込む彼方の頭に降り下ろす。
そのモーションは、やけに遅く見えた。こんな時にも、彼方の顔には動揺が無くて。
「彼方ちゃん!」
咄嗟に、晃介は彼方の上に覆い被さった。
左肩が痛みを伴った重みに襲われる。鉈が深く食い込んでいるのだから、それも当然か。
「おおおおお!!」
鉈を生やしたまま、晃介は男に体当たりをした。けれど、男は鉈の柄から手を離しはしたが、倒れるまではいかなかった。
薬物でもキメているのか、痛みすら感じていないようだ。
「警察です。抵抗しないように」
無理やり引き剥がした鉈を背後に捨て、警察手帳を出してみる。薬物中毒者に通用するかはわからないけれど。
痛覚が仕事をし過ぎていて泣きそうだ。こんな時は適度にサボって欲しいものである。
「う……ううう」
突然、男は腹を掻きむしり始めた。
いや、それは掻くと呼ぶより、掘ると表現したほうが適切かもしれない。
今なら逃げ切れるかもしれない。晃介は、彼方と鉈を拾い上げる為に踵を返した。
「どけよクソがっ!」
途端、突き飛ばされてよろけてしまう。
男が襲ってきたのかと錯覚したが、その声は高く、横切った影は小さかった。
彼方だ。ランドセルを揺らす彼方が、狂乱する男に駆け寄っていく。
殺される。そうわかっているのに、晃介の体は動かなかった。
彼方の小さな体が男の懐に入る。それに気がついた男は、腹を掻くのを止めて、大きく腕を広げた。
「……あは」
彼方が、笑った。
「あはははは!!」
今まで、ずっと伸ばしっぱなしだった肘を曲げる彼方。すると、セーラブラウスを引き裂いて何か鋭いものが肘から飛び出した。
それが大振りのナイフだとわかった時には、男の腹は横一閃に裂かれていた。男の服が赤く染まる。
彼方は後退しながら、後ろ手にランドセルの錠を外す。そして、前屈みになった。
教科書でも雪崩れるのかと思ったが、違った。アスファルトに山を成したのは、ゲームで見るような黒光りした銃器だ。
彼方は山の中から一挺のサイレンサー付きハンドガンを手にすると、再び男の懐に素早く潜り込んだ。
裂いた腹を掴み、傷を無理矢理拡げる。
当然、男は抵抗しようと彼方の頭を掴むが、その行動に移るよりも彼方のハンドガンの銃口が男の腹に潜る方が早かった。
「腹一杯になっちまえよ、腐れ野郎」
エアガンのような発砲音が何度か鳴った。
そして、銃口は男の顎に向けられ、最後の発砲音が路地に響く。
脳に銃弾が収まっているであろう男は、ぐらりと、彼方に寄り掛かった。
「チッ」
舌を打って、男の死体の腹を蹴り飛ばす彼方。内臓の断片が溢れ落ちる。
晃介は、ただその光景を眺めていたが、硝煙と血生臭さに意識を取り戻し、吐き気を催した。
「吐いちゃって良いですよ、お兄ちゃん」
彼方はランドセルに銃器をしまいながら、労るように言った。彼女の肘から生えた血濡れのナイフが先の殺害現場を想起させる。
そのナイフもランドセルにしまって、彼方は晃介に近づいてきた。
「大丈夫です。現場の異物は、すぐに処理されますから」
「異、物」
「そうですよぉ」
腹を殴られた。胃が膨らむ感覚と、喉を逆流する胃液。
堪らず嘔吐して、ただでさえ汚いアスファルトを更に汚してしまった。
壁に凭れ掛かって座り込んだ晃介に、彼方が四つん這いになって迫ってくる。
顔が近い。けれど、思考がもうぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。
太ももが痛い。見てみれば、注射器が刺さっている。
何かが体内に注入されていく。体が急激に怠くなってきた。
「大丈夫、異物は処理しますので」
なるほど、この惨状のなかで、晃介の存在は異物なのかもしれない。
次第に意識がぼやけていって、目の前が真っ暗になるのにそう時間は要さなかった。
とりあえず序です。
序ーのじーはジャブのじー
序ーのょーはよくわからんのょー
ごめんなさい。
さて、続きは書く予定ですが、今後もこんな風にバイオレンス幼女こと彼方が出てきます。お付き合いいただけるようでしたら、今後ともよろしくお願い致します。いえい。
児ポこわい。