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ノスタルジィ・キルズ・ユー

作者: 人形使い

 午前8時47分。

 2階の自室の小さな窓から見上げる空は静かだ。

 空を埋め尽くす爆炎も、超音速戦闘機が空を引き裂く金切り声も、全ては思い出の中、記憶の中にしかない。

 戦争終結から2年、ジェイムズ・マッカラン中尉は、兵士からようやくただの男に戻れたことを実感した。

「お目覚めですか、マスター」

 部屋のドアの方から、小さな声。

「部屋に入る前はノックしろって教えたろ。……お早う、アリス」

「おはようございます、マスター」

 感情の乗らない平坦な声で返事を返すのは、簡素な服に身を包んだ一人の少女。

 ぎこちない、人形めいた足取りでジェイムズのところまで歩いてくる。

「あと、俺のことはマスターじゃなくてジムって呼んでくれ、とも教えたよな。……まあいいさ、ゆっくり慣れていこうぜ。……食事にしようか」

「はい、マスター」

 苦笑し、ジェイムズはアリスの後ろに着いて、きしむ木製の階段を降りていく。

 目の前を歩いて行くアリスのその首筋に、6つのメンテナンス用ソケット。

 戦争中、航空兵器のほとんどにサポートシステムとして搭載されていた人工脳、通称Bデバイス。

 そのBデバイスを同じく人工の躯体に搭載したアンドロイドを製作し、準人権を与える――、戦争終結後、連邦政府はこの一風変わった政策によって減少した労働力を補填、戦争からの復興を進めている。

 それらのアンドロイドはまた、ジェイムズのように長期間PTSDに悩まされている兵士たちのための社会復帰にも利用されている。

 自分が悲鳴とともに目を覚ますことがなくなったのは、間違いなくアリスのおかげだ。

 では――彼女は?

 かつてBデバイスとして航空兵器に搭載されていた彼女、彼女の人工脳の中には、戦争の記憶が残っているのだろうか。

「なあ、アリス」

 テーブルで簡素な食事をとるジェイムズの対面に座り、まばたきをしない青色の瞳でじっと彼を見つめているアリスに、遠慮がちに問う。

「お前たちは、その、覚えているのか? 昔のことを」

 アリスはややあってから答える。

「記憶野からはそれらの記憶は削除されています。しかし、断片的なデータの不定期なフラッシュバックが起こることがあります」

「……辛い、記憶なのか?」

 思わずそう聞いてから、苦笑する。

「お前たちには、そういうのは、わからないか。……いや、わからなくていいさ」

 そう言ってまた苦笑するジェイムズを、アリスは不思議そうに眺めている。




 街までの買い出しにかかる2時間半の間、車の中で様々な話をアリスに聞かせるのが、ジェイムズの楽しみだった。

 アリスはいつも助手席で、その話をじっと聞いている。

「マスターは」

「うん?」

「マスターは、様々な記憶を持っているのですね」

「……楽しい記憶ばかりじゃないがな。戦争中の記憶は特に。でも……悪い思い出ばかりじゃあなかった」

 フロントガラスの向こうに視線をやると、そこには戦友たちの顔がありありと浮かび上がる。

「懐かしい思い出さ。はは、お前にもいつか分かるようになるのかな、懐かしいって感覚が」

「なつ、かしい」

 ぎこちない口調でつぶやくアリス。

 ジェイムズを真似るように、空を見上げる。

「……空」

 その唇から、ぽつりと言葉がこぼれた。

「青い、空……雲の上……仲間、たち……たくさんの、仲間たち……」

 一度も聞いたことのない口調だった。

 ひどく幼く聞こえる、言葉を覚えたての幼児のようなその口調が、耳に心地いい。

「みんなで、空を飛んで……」

 ハンドルを握りながらも、ジェイムズはアリスの口から溢れる言葉に耳を傾ける。

 その言葉をよく聞きたくて、カーラジオから流れるニュースのボリュームを絞った。

「みんなで、空を飛んで……そして」

 フロントガラスの向こうに流れる青空。

 その青空が――赤く染まった。

「思い……出した……」

 それが、ジェイムズが耳にした、最後の言葉となった。

 アリスがジェイムズの胸に深々と突き刺さった右手首を引き抜くのと、ドライバーを失った車が立木に激突するのはほぼ同時だった。

 動かなくなった車から、アリスがのろのろと身を起こす。

「こうしてた……みんなで、たくさん、こうしてた……」

 呟きながら、ふらり、ふらりとどこへともなく歩んでいくその足取りは、どこか嬉しそうにも見える。

 血の跡を残して歩いて行くアリスの後ろで、音量の絞られたカーラジオが、虫の息のようにノイズ混じりのニュースを流している。

『――区域内でもすでに24件、Bデバイス由来のアンドロイドが突発的に削除されたはずの戦争中の記憶を取り戻し、暴走する事件が確認されています。これに対し軍部は――』

 青い瞳で、アリスは空を――かつての故郷を、仰ぎ見る。

「ああ……」

 ひどく人間的な嘆息が、その唇から漏れた。

「なつかしい、なあ……」


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