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開花

 それから毎日、俺とまいなは訓練に励んでいた。互いに戦術を明かしてから一週間、咲希さんは約束通りまいなに靴を持ってきた。真っ白なミドルブーツ。靴底は厚めでクッション性が高く着地した時の反動が少ないそうだ。なるほど、まいなのように戦闘で飛び跳ねる動きの多い者に合わせているということか。

 まいなも、履き心地の良さに満足している様子だった。

 さらにまいなの訓練には熱が入る。相変わらず見えない想像の敵との戦いだったが、その動きは日に日に洗練されていくようだった。

 まいなが訓練場の環境に慣れたのを見計らい、少しずつ帽子をかぶらずに人と戦うことができるように、軽い組手や受身の練習を二人で行った。しかし、その時のまいなの動きはやはり固く、キャップ帽の幹部とは似ても似つかなかった。まだ不安が拭い切れていないのだろう。本当の自分で戦うことへの恐怖は、常に自分と銃を信じて戦ってきた俺には分からない。これはまいな自身が乗り越えなくてはならない壁である。

 しかし、その時をのんびり待っていられるほど、俺たちに時間は残されていなかった。

俺は苦い思いで決断すると、あいつに連絡をとった。



 同じ訓練場で各々素振りや基礎体力作りをしている途中で、時間を見計らいまいなに声をかけた。

「まいな、少し休憩しようか」

「はい」

 体術の訓練場をしているらしかったまいなは、動きを止めると一つに結われた黒髪を揺らしながら素早く振り向いた。

「調子はどう?」

「正直よく分からない、かな。訓練場自体はいつも一人でしてたから、その時とあまり変わらないのかもしれない。だから今は、かずと君と向かい合って訓練する時間が何より重要かなって」

 本人も気づいているのだろう、このままではいけないと。しかし、焦ったところで何かが変わるわけでもない。元々人並みはずれた力を持っているのは分かりきったことだ。問題は帽子に頼らず実戦が可能かどうかだけ。

「まいな、今日は特別に人を呼んでるんだ。もう向こうの訓練場が終わった頃だから、そろそろ来ると思うが」

 ちょうどその時、部屋のチャイムが鳴り響いた。俺は急いで扉の前まで行き外で待つ人物を招き入れる。

「うっわー、この広い訓練場を独り占めできるとかやっぱ幹部は違うなぁ」

「うるさい、お前だって許可取れば使えるだろ」

「面倒な手続きするくらいなら人が溢れた訓練場で身体動かしてる方がマシだよ」

 そう言って天井を見上げたり左右を見回したりしながら入ってきたのは、他でもない奏太だ。

「こんにちは、まいなちゃん。二週間ちょつまとぶりくらいかな。もうここには慣れた?」

 気さくに話しかける奏太に、まいなははにかみながら答える。

「はい、皆さん親切にしていただいて、おかげさまで……と言いたいんですけど、まだ遠巻きに見られることの方が多いですね」

「ま、急には変われないよな。ここにいる人たちは皆、悪い人たちじゃないんだ。もうしばらく居心地悪い思いはさせると思うけど許してやってくれよ」

 奏太はまいなの返答に肩を竦めつつも、さり気なく騎士団員のことをとりなした。そういった気遣いができるのは、さすが奏太といったところか。

「さ、そろそろ本題に入ろうか。奏太もそんなに時間取れないんだろ」

「そうなんだよな。残念だけどこの後は訓練がありまして」

「悪いな。じゃあ説明に入るが、奏太は電話で伝えた通りだからそのまま頼んだよ。まいなには今ここで初めて話すけど、そんな複雑な話じゃないから安心してくれ。今日奏太を呼んだのは他でもない、まいなと戦ってもらうためだよ」

 まいなの纏う空気が硬直するのを感じる。頬を一筋の汗が伝い、唇が固く結ばれる。

「分かりました。やります、やらせてください。私はこの壁を、乗り越えなければいけない」

 力強い意思に満ちた目で俺を見るまいなに頷きで返すと、言葉を続けた。

「ルールはこの前行った実践組手と同じだ。直接命を狙う技でなければ寸止めしなくても良いとする。制限時間は三十分。だが様子を見て途中で止めることもある。各々、態勢を整えてくれ」

 二人は無言で訓練場の中心へ移動すると、互いをしっかりと見合ったまま適切な距離を置いて戦闘態勢をとる。まいなは腰に当てていた木刀をゆっくりとした動作で引き抜いた。

「では、はじめ!」

 先に動いたのは、奏太だった。奏太は俺より体格がいい、しかし動きは素早く身軽でマウントとスピードを両立させた戦闘スタイルを得意としている。それに奴は実践経験が豊富だ。伊達に入団当時から即戦力を持つ者が集められる第八特攻部隊に配属されたわけではない。その強さは、俺と二人首席で施設を出る程度。

 全速力で向かってくる奏太に対し、まいなは微動だにせずその動きを見定めているようだった。

 そして奏太が間合いに入った瞬間、まいなが動いた。態勢を屈め奏太に向かっていく勢いのまま、胴を狙った一太刀を浴びせる。奏太はというと、一切の驚きを見せず、余裕の笑みで横に身を引いて避け、まいなの背後に回り込み足をかけようとする。まいなも表情を変えずに木刀を右へ払った流れに任せ身を翻し、そのまま下から上へ切り上げる第二撃に入る。奏太はその二撃目を、地面すれすれまで体を屈めることで再び避け、地面についた手を軸に体を回し、見事まいなの右足を捉える。

 そのまま倒れこむかと思われたまいなは、なんと左足だけで踏み切り刀を持ったままバク転、奏太と距離を取る。どうやら体術時に見せた舞のような動きの一端は、刀術時にも伺えるらしい。しかし奏太もそうやすやすと逃すわけはなく、すぐに間合いを詰め、今度はまいなが刀を振るよりも早く懐に潜り込もうとする。まいなは咄嗟に刀を構え奏太の攻撃を流そうとするが、奏太はそれを見計らってか、蹴りや殴りではなく、あえて全力で体当たりをかました。これではウェイトの少ないまいなは確実に押し負けてしまう。おそらく奏太はまいなが攻撃を受けにかかった時点で、この手に出ることを決めていたのだろう。

 まいなはなんとか左足で踏ん張り、かろうじて態勢は崩さなかったものの、そこに生まれた隙を奏太が見逃すはずもなく、刀を支える右手首を捻り刀を落とさせると、そのまままいなを軽々持ち上げ背負い投げする。まいなは受け身をとるが、しかし今日はここで終了だろう。奏太も引き際は心得ているらしく、倒れたまいなを追い詰めることはせず後ろに下がる。

「やめ!」

 俺のその声に、立ち上がろうとしていたまいなはその動きを止め、体だけ起こしてその場に座り込んだ。奏太がまいなの前にしゃがんで声をかける。

「大丈夫か」

 顔を覗き込みながら優しく問う奏太に、まいなは俯いたまま答えた。



△▽△▽△▽△



「悔しい……です」

 自分の中にそんな感情があったことに、少しばかり驚きはあった。しかし、今はそんな些細な気づきなんかどうでもいいくらい悔しくて、ただそれだけだった。

 私は奏太君に負けた。完敗だった。それも一瞬の出来事。私は終始守ってばかりで、自らの武器を生かすこともできず、奏太君は見事に自分の武器を生かし圧勝した。戦闘に後ろ向きで勝てるはずのない相手だった。奏太君は強い、しかしこんなに早く片がついてしまったのは、ひとえに私の弱さゆえだ。

 正直、身体能力だったら私も負けてはいないし、刀が使えるのなら勝てるとさえ思っていた。けど、精神が伴っていない強さなんて、何にもならないんだと知った。精神と身体、その強さが比例してこそ、手強いと言われる戦いが出来るのだ。

 常に受身で守ってばかり、自分から攻め込み相手を叩き潰すぞという意思のない私の動きでは、刀術だって死んでしまう。つまり今の私とは、そういう弱い人間。いつまでも戦闘に対して前向きになれず、平常時と戦闘時の切り替えができない不安定な状態。そんなんで刀術なんか使いこなせるはずもない。

 私は戦う時、残忍にならなくてはいけないのに。それが実戦というものなのに。

 帽子をかぶっていた時の私は、まさに理想の精神状態だ。自分を殺すことで、私はただ敵を倒すことに従順な機械にだってなれた。目の前にいる人物を戦闘不能にさせるため、何事も冷静に判断し、常に相手の一手先へ行くようにしていた。

 本当の私自身は、なんとも中途半端。残酷になり切ろうとして、なれていない曖昧な状態。だから戦いに対し意欲がなく、一歩遅れて反応する。それではいけないんだ。本当の私自身で、帽子をかぶっていた時と同じような精神状態に持っていけるようにしなければならないんだ。そう、自分自身の意思で。

 決して、帽子には頼らずに。

「帽子は、あの人に従って戦うのが嫌で、だから帽子をかぶって顔を隠すことで私は私じゃないんだって思い込むことで無情になって戦えて、そういうものだった」

 喉から溢れそうになるものを飲み込む。かずと君がいつの間にか隣に来て、私の声に耳を傾けてくれているのを感じる。

「でも私は、もう帽子に頼りたくない。私は自分の意思で戦ってるんだって、あの人に見せつけて、そして……自分自身であの人を、赤の王を倒したい!」

 それは、まだあの人に縛られている私だからこそ、それを断ち切るために必要なこと。でなければ私は一生あの人に引きずられる。

「もう自分を偽って戦ったりしたくないの……。せっかくここに来て、戦いに私なりの意味を見いだせたのだから」

 けどそのためには、帽子をかぶった時と同じ精神状態を、今の私で作り出さなければならない。

 奏太君と戦って、自分の弱さを痛いほど思い知った。私は戦える、強いなんて過信していたけど、それは偽りの、私ではない何かの強さでしかなかったんだ。私にあったのは、呆れるほど臆病な心と無駄な身体能力だけだったんだ。

「悔しいんだろ」

 かずと君の声だ。

「赤の王、倒したいんだろう」

 そうだよ、でもこのままでは到底無理。

「だったら強くなるしかないじゃないか」

 その単純な答えは、意外なほど私にすんなりと入り込み納得させた。

 そうだ、それしかないんだ。

「悔しいならまだまいなは強くなれる。いや、もっともっと強くなれる。まいなにその思いがあるなら大丈夫だ、安心した。焦らなくていい、一緒に頑張ろう。今日は、具体的に何を乗り越えなければならないか、そしてまいなの強くなってあいつを倒したいっていう意思を確認できただけで十分だ。戦いたくないのに力があるからって戦わせるのは嫌だからさ、そうじゃなくてよかった。今日は急に無理をさせて悪かったな」

 私は頷いてそっと目元を拭うと、隣にいるかずと君に視線を送り、次に正直でずっと心配そうにしている奏太君に向き合う。

「今日はありがとうございました。とても勉強になりました」

「いや、俺こそ今日のことで色々学んだよ。どこかでまいなちゃんはか弱い女の子だから、何て思ってたけど、そんなの失礼な話だったよな。まいなちゃんは強い人だ。だから大丈夫、応援してる」

「はい! 是非また相手してくださいね」

 立ち上がり握手をして、互いに再選の意思を確かめる。

 次は、奏太君をあっと驚かせる戦い、して見せるんだから。

「じゃ、そろそろ俺は訓練に戻るよ」

「今日は急に呼び出して悪かったな」

「気にするな、またいつでも読んでくれ。まいなちゃんも、また今度!」

 笑顔で手を振りながら去っていく奏太君に、思わず私も手を振り返してしまい、慌てて頭を下げてごまかした。

「奏太は年上だけど、礼儀とかそういうのあんま気にしなくていいからな。向こうもかたっくるしいの苦手だし」

 かずと君が私の様子を見て苦笑しながらとりなしてくれるが、なんとなくそういう問題ではない気がする。まだ自分の中に人と関わることに対して抵抗があるのだろうか。

「あんまり自ら壁作るなよ」

 言い当てられて思わず一歩下がった。やっぱりかずと君も人の様子をよく見ているな。

私は人の心を読むのも、自分を隠すのも出来てしまうと思っていたけれど、不意打ちは対応しきれない。

 きっと私、今顔が赤くなっているんだろうな。

「もう少し俺らも訓練してこうか」

「うん、そうだね。負けてられないもん」



・・・・・・



 それからというもの、まいなの中では戦闘に対する意識が変わったらしくさらに強さを上げていった。俺と組み合う時も、動きに迷いがなくなった。技のキレや反応速度も、心なしかさらに磨きがかかってきたような気がする。俺は出来る限りまいなに対人戦をしてもらおうと、奏太に掛け合ったり、俺自身が戦ったりした。しかしそれ以上に気軽に声をかけられる団員がいないのも事実であり、自分の不甲斐なさに情けなくなる。まいなはいつも笑顔で大丈夫と言うが、実際は色々経験したいと思っていることだろう。

 それでも俺なりに工夫して、どこかの部隊の団員の訓練を見学させてもらったり、その流れで少し訓練に混ぜてもらったりと、前より精力的にまいなを連れて騎士団内を歩いた。まいなは俺が射撃訓練をしている時などに、一人で訓練場に行くことが増えた。体を動かしたくて仕方ないのだという。無理はしてないようなので、俺も安心して一人で行かせられる。

 ただ一つ気がかりなのは、団員のほとんどがまだまいなを警戒していることだ。訓練に混ぜてもらっても、どこか観察するような目つきで見られている気がする。俺ですらそう思うのだから、聡いまいなは更に何か感じているに違いない。しかし平気かと尋ねても、まいなは見られるのには慣れていると笑って流す。それはそれでどうなんだ、と俺としては思わざるを得ない。

 俺は必要以上に人に観察されるのは嫌だよ。

 けど、赤の王さえ捕らえることができれば、まいなを訝しむ不快な視線も払拭されるだろう。

 そうでなければ、困る。

 そうでなければ……まいなの努力は一体何だったっていうんだ。



 そんな悶々とした日々が続く中、まいなが騎士団に来て一ヶ月が経とうとしていた。

 その日は諸任務があり、朝からまいなと別かれて行動していた。昼頃に食堂で落ち合うことにしたのだが、事件は丁度その辺りに起きた。

 俺はまだ任務の後処理のため小会議室で仕事が残っており、寮棟の食堂には向かえていなかった。おそらくまいなは、先に行って席を取っておいてくれているだろう。そんなことを呑気に考えながら作業し、面倒な後処理がやっとのこと終わった頃、急に背後から冷気とともに何かが忍び寄ってくる感覚に襲われる。

「悪い、ちょっと抜ける」

 俺は片付けもそこそこに部屋を飛び出した。

「あっ、ちょっと、かずとさん! まだ報告が」

 後ろから何やら咎める声が聞こえたが、俺は今それどころではない。

 俺が走り出して少しすると、どこからか激しくガラスの割れる音がする。一歩遅れて警報音が鳴り響いた。

 腰と太ももに手を当て、銃の存在を確認する。

 まいなが心配だ。行かなくては。



△▽△▽△▽△



 今日は天気が良くて、心地良い日で、朝の訓練は充実していて、午後からはかずと君に戦闘を見てもらおう、そう思っていたのに。

どうしてこうなってしまったのだろう。

 私は寮棟へ続く渡り廊下を一人、実に呑気なことを考えながら歩いていた。本当は、それほど悠長にしていられる状況ではないというのに、どうしてか私は忘れてしまっていた。

 平和が、私を鈍らせる。

 分かっていた、こうなることは読めていたはず。警戒は常に怠ってはいけなかった。

ならばなぜ今私はただ割れた窓を見つめるだけで一歩も動けないんだろう。

 強さを求めたのは、こういう時のためなのに。

 辺りに飛び散ったガラスの破片がいくつか肌をかすめ紅い筋が描かれる。

 それすら一切気にならないほど、私はその絶望的な様子に縛られていた。

 汗が一筋、頬を伝う。開いた唇が、微かに震える。声は出ず、ただ空気が漏れるだけ。

「お迎えにあがりましたよ、お姫様。もとい、王の玩具。本当にここにいるとは驚きだ。けど、家出はもうおしまい。おもちゃはおもちゃらしく、ふさわしい人の元で遊ばれないと。ここじゃあんたを持て余すだけだ。ま、操り人形にしてはよくやった方だよ」

 敷地に生える、外からの偵察防止用の高い木々に乗る数十人の男達。その中でも一際濃い赤の気配を纏った男が私に向かって言葉を投げてくる。

 あれは、‘赤’の幹部が一人。

「さ、遊びはここまでだ。お前ら、姫を丁重に……捕らえろ」

 その指示で、周りの木々にいた男が次々と室内に進入し私の周りを固める。同じくして騎士団の人達も集まってきたようだが、男達の壁は厚く私にはそれしか見えなかった。

 激しい緊張のせいか、呼吸が荒い。意識が遠のき、ざわめきが遠く感じられる。

 ーーこれは、まずいなぁ。

 もうあそこには戻りたくないのに、騎士団の人にも迷惑かけたくなかったのに。

 ーーそれも今更か。

 私が来た時点で、迷惑だったんだ。

あぁ駄目だ、全く動けない。私今まで何やってたんだっけな。

 嫌だな、また冷たい部屋の生活かな。抜け出したのを咎められてもっと暗い場所に閉じ込められるかも。それは辛いな。

 ーーもっとかずと君と一緒に、幸せだと思える日々を、過ごしたかったな。

『まいな、代わるぞ』

 頭に声が響き渡り、私の思考はそこで途切れた。

「全くいきなりこんな出迎えはねーんじゃないの。そりゃまいなもビックリするよ。危うく自信なくしちまうとこだっただろう」

 肩を回し、軽く指を鳴らす。

 うん、さすが鍛えられた体、よく戦えそうだ。

 動作を確認し次は周りを見る。完全に囲まれてるな、これは困った。でも負けてられねーよな。

 とりあえず俺は、じりじりと寄ってきて逃げ場をなくしてくるヤロー共を、間合いに入ったやつから手当たり次第潰すことにする。ここを耐えれば、きっと突破口が開けるはずだ。

 誰がまいなを再び‘赤’なんかに渡してやるかよ。

 妹を想う兄の強さ、見せつけてやる。



・・・・・・



 警報音が知らせる場所へ、俺は全速力で走った。着くとそこにはすでに人だかりができており、戦闘も始まっているようだ。

 おそらくまいなは、あの中心で一人怯えている。視線を割れたガラスへ向けると、人ら高みの見物とばかりに木の上から様子を見ているやつがいる。

 あの赤いバンダナに忍びのような格好は、幹部四人中の一人、‘赤の山狗’か。厄介なやつが来たものだ。それだけまいなを取り戻したいってことか。

 しかし今は傍観に徹しているあいつに構っている暇はない。あいつは近接戦闘を得意としている、ならば急に遠距離武器で援護してくることもないだろう。狙撃手のいる気配もしない。

 ここは、思い切るしかないな。

 俺は銃を一丁腰から引き抜き弾を装填すると、人混みの隙を縫うように進み団員の前に出た。

「まいな、無事か!」

 敵の注意を引くためわざと大声で叫ぶ。すると赤の中でも下っ端らしい男達の中心付近で、鈍い打撃音と共に呻き声が聞こえた。同時に男達には似つかわしくない細身の‘青’が宙を舞った。

 俺はその青に続く道を作るため、銃を構える。

 お願いだから山狗は黙ってそこから見ててくれよ。

 幸い、俺のことは何も言わずとも近くにいた騎士団員が援護してくれ、こちらに向かってくる敵を全て引き受けてくれていた。だから俺は、まいなを救うことに集中できる。

 銃を数発、奴らの首めがけて撃ち放つ。途端に奴らは足元を取られたかのようにふらついたり、膝をついたり、中には盛大に倒れたりする。そうして出来た道を、駆け抜けた。

 俺の弾丸は即効性なんでね。

「まいなっ」

「よっ、かずと君。来てくれるって思ってたよ」

「やはり貴方でしたか……まなとさん」

 まいなの姿をした彼は、笑顔で数人の男を倒していた。俺もその応援をするため弾を装填し直す。

「残念だったか」

「いえ、寧ろ安心しました。まいな一人ではこの状況、不安だったので。守ってくれてありがとうございます」

「そうかしこまるなよ。兄として当然のことをしたまでだ」

 言葉を交わしつつ退路を開く。視線を合わせ、互いに合図すると俺はまいなの腕を掴み、銃を前後へ撃ちながら敵の包囲網を切り抜ける。所詮は下っ端、いくら集まろうと取るに足らない相手だ。

 騎士団員の後ろまで下がり手を離した。

「こちらこそありがとう。君がまいなを助けに来てくれるって信じてたよ」

 先程より小声で話しかけていたのは、会話が聞かれて他の団員に怪しまれないよう配慮してだろう。俺も視線は目的の人物をいとも容易く逃し荒れる戦闘の渦中へ向けながら小さく答える。

「それまでまいなが無事でいられたのは、ひとえにまなとさんのおかげです」

「そうか、ありがとう。けどここで限界みたいだ。俺は少し休ませてもらうよ。だからまいなを……よろしくな。こいつ、かなり自信なくして傷ついてるか、ら」

 視界の端で捉えていたまいなの姿が急にいなくなり、慌てて手を差し伸べ体を支える。どうやらまなとさんの意識が消えたことで気絶してしまったようだ。

 俺はしゃがんでまいなの体を支えながら、山狗をじっと見つめる。奴は一瞬こちらに視線を向けただけで興味なさげに逸らし、戦闘を続ける下っ端に指示を出した。

「お前ら、今日は切り上げるぞ。余興は終了だ」

 その声に次々と下っ端は窓から外へ飛び出し、木々に登った。

 追おうとする団員を、丁度駆けつけた麗華さんが制止し、山狗を睨む。

「おい、そこの金髪のあんた。偉い人っぽいからお前に言っとくよ。リーダーに伝えとけ。五日後の日曜日、いつもの寂れた神社で最終決戦をしよう。その時には必ず、そこで倒れてるお嬢さんを連れてこい、だそうだ。我らがリーダー‘赤の王’からの伝言だ。必ず来いよ。もしこの挑戦を受け取らなかったら……山一つ燃え尽きるくらいは覚悟しとけよ。じゃあな」

 山狗は言いたいことだけ言うと、不気味な笑みを残して下っ端どもを連れさっさと騎士団の敷地から姿を消した。

 全く、山狗と言われるだけはあるな。下っ端を見事に統率し群れを組み、素早く人の目をくらますように奇怪な動きをする。厄介な相手だ。山はまさに、あいつにとって絶好の戦場。

「みな、聞きなさい」

 騒然とする団員達を、麗華さんのよく通る声が沈め注目を集める。

「各々、隊長の元に集合し今後の指示待ちなさい。勝手な行動は慎み、単独で動くことのないように。今回のことは、こちらが予め想定していた範囲内の出来事です。慌てず、落ち着いて、速やかに移動しなさい。以上、解散!」

 麗華さんの的確な呼びかけにより、動揺を隠せないでいた団員達は冷静さを取り戻し、素早く移動を開始する。

 十秒もしないうちに、その場にいるのは俺と気を失ったまいな、そして麗華さんだけとなった。

「かずと、貴方は彼女を安全な場所へ連れていきなさい。彼女のこととは貴方に一任します。頼みましたよ」

「はい!」

「では、貴方への指示はまた後で連絡しますので」

 そう言い残して颯爽と去っていく麗華さんの背中を見送ると、俺は銃の安全装置を確認してホルスターに戻し、まいなを抱き上げる。

「ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してくれ。すぐ部屋で寝かせるから」

 俺は散らばったガラスの破片を踏み分けながら、寮棟へ続く道を歩いた。まいなは時折苦しそうに顔を歪め、必死に何かから耐えている様子で、俺はただ大丈夫と呟くことしかできなかった。



 部屋に戻ると、まいなをベッドに寝かせすぐに医務室へ連絡した。ガラス片で切った痕が幾筋もあり、細かな破片が刺さっていたら危険だと思ってのことだ。それに、制服では寝苦しいだろう。楽な格好に着替えさせてあげたい。

 医務室は、他に戦闘で怪我をした団員の処置に追われている様子だった。しかし、医務室長の指示で上手く回っているらしく、こちらにもすぐに一人の女性が来てくれた。忙しい時にも関わらず長年ここに勤めている人を派遣してくれたのは、医務室長がまいなを気遣ってのことだろう。

 女性は寝ているまいなの手当を済ませると、制服を脱がせ汗を拭い、手際良く寝間着に着替えさせた。その間俺はリビングで銃の整備と、使用した弾の種類や弾数の確認をして時間を潰す。

 女性はまいなの部屋から出てくると事務的に、怪我の具合や体調、処方した薬、今後変化があった時の対応等を説明しさっさと部屋から出て行った。また慌ただしく回る医務室へ戻り処置に追われるのだろう。

 感じが悪い、とは思わない。こんな時にここまで来てくれただけで十分だ。例え今はまいなのことを快く思っていなくとも、それはこの後変わっていけばいい話である。まいなを嫌う人が騎士団内にいることは悲しいが、今はただ、正しい処置をしてくれたことに感謝しなくてはならない。

 皆が皆、医務室長や奏太のような人ばかりでないことなんて分かっていたことだろう。

俺は心を落ち着けるため、一度深く息を吸い込み、吐き出す。

 今は目前に迫ったことに集中するんだ。そして、俺に出来ることを精一杯しようじゃないか。

 まいなの部屋に水の入った桶とタオルを持って入る。幸い、今は苦しむこともなく眠っているようだ。熱もなく、落ち着いている様子だが、頬や額に残る傷を治療した跡が痛々しく、思わず顔をしかめてしまう。

「ごめんな、一緒にいてやれればこんなことには」

 瞬時にまいなを庇ってガラス片を防ぐ程度のことは容易に出来たはずだ。

 まなとが言っていた、まいなが傷ついている、と。側にいたなら、そうなる前に、まなとにも無理をさせる前に助けることが出来たかもしれない。

「後悔先に立たず……」

 先人の言葉を深く噛みしめる。まったくその通りだと思うよ。

「んん…………お兄……ちゃん」

「まいな、大丈夫だ。まなとさんは、まいなのお兄さんはずっとお前を見守っている。いつだってお前を、近くで支えてくれているよ」

 力強く握られる手に、少しでも安心させようと俺のそれを重ねる。

「かずと…君? あり、がと」

 一瞬、薄く目を開けたまいなは、苦しそうではあるもののふわりと笑みを浮かべそう呟く。直ぐに力尽きたようにまた眠りについたが、俺はまいなのその言葉だけでどれだけ救われたことか。

 後ろを振り返ってくよくよしている場合ではない。さっきだって、俺にできることをしようと決めたばかりではないか。

 前を向くんだ。強い力を秘めたこの少女を、良い方へと導くために。

 時折額に浮かぶ汗を拭いながら、呻き声を発するたび大丈夫だと声をかけながら、握り締められた拳を包み込み、その日はそのまま眠りについた。



 夜、肩にかかる柔らかな感触にふと目を覚ます。見上げると、すっかり顔色の良くなったまいなが窓の外に浮かぶ月を真剣な表情で見つめている姿が視界に入った。何か声をかけようと思うものの、金縛りにあったように身動きが取れず、声も発せなかった。

「お兄ちゃん、ずっとここにいてくれたんだね。今までありがとう。見ててね……私、強くなるから」

 まいなの声が徐々に遠くなる。

 俺は闇に引きずり込まれるかのように、再び眠りの世界に落ちていった。



 朝、暖かな陽の光に俺は目を開いた。すでにそこにまいなの姿はない。体を起こすと、肩から毛布が落ちる。それを畳みながら俺は、嗅覚を刺激する香ばしい匂いに誘われリビングを覗いた。

「おはよう、かずと君!」

 そこには、ぞっとするほど澄んだ瞳をしたまいなの姿があった。

 俺は一目で確信する。

 彼女は目醒めたのだ。



 固い蕾に閉じこもっていた少女は、今、花開く。

 それは恐ろしく美しい、棘を持った青い薔薇の花。

 もうまいなに、迷いはない。

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