誰にでもある事?
それは春というには暑すぎて、夏というにはちょっと肌寒い日曜の午後。
ママと一緒に冬物の家電や寝具などを納戸にかたずけていたの。今頃になって、遅いっつうの。
クリーニングに出していた炬燵布団なんかも片付けていたら、上のほうの何かに引っかけたみたい。
ばらばらと頭の上にいろんな物が降ってきたのよ、埃と一緒に!
「きゃー」
思わず悲鳴をあげちゃったけど、それぐらい許してほしいわ。だって今日のシャツワンピ、買ったばかりでお気に入りなんだもん。それが埃まみれよ。
「あらら、大丈夫? ケガしなかった?」
狭い納戸の中で尻もちついてる私に、ママの言葉はえらくのんきに聞こえる。
「もう、ママって整理がヘタすぎ。何でも適当に突っ込むから!」
「はいはい、だからアンタに手伝ってもらってるんでしょ。」
ママは上から降ってきた、もとい落ちてきた物を一つ一つひろって確かめている。
「どうしたの、何かあったの?姉ちゃんのでっけぇ声がしたけど。」
弟の心配そうな声が、これまた上から降ってきた。我が家の納戸は階段下のスペースだ。
私は頭を振りながら納戸から出て、階段上から覗き込む弟を見上げた。
「ねえ「きゃあ、懐かしいものが出てきた。」」
弟に声をかけようとしたら、ママが数冊のノートをもって飛び出してきた。
「休憩しよう。お茶、お菓子でも食べよう。アンタも下りてらっしゃい。」
二階の弟にも声をかけて、まるでスキップでもしそうなほどの軽やかな足取りでママはリビングにきえた。
「何あれ?」弟が首を傾げる。
「さあ?」私も傾げる。
「頭でも打ったか?」
いや、それ私だから・・・・
「うふふふ、」
ママは紅茶、私はミルクティー、弟はスポーツ飲料と、テーブルにはママの手作りクッキー。
それぞれが定位置に座ってママの不気味な笑顔をみている。
「じゃーん。」
私と弟の目の前にノートを突き付ける。ママ、近い。近すぎて表紙の字が読めない。
「育児日記?」
弟は読めたらしい。なんか悔しい。
「そうなのよ。あんた達二人の。懐かしいわぁ。」
へぇ どれどれ、と私は興味が湧いてきたけど、弟はそうでもないらしい。クッキーをつまんで自分の口に入れ、もう一つつまんで私に差し出す。あ チョコチップ。私はチョコに目がない。遠慮なくいただきました、そのままあーんです。まあ姉弟だし、いいよね。
「それがね、ただの育児日記じゃないの。『前世日記』なの!」
「「はあー?」」
私と弟がハモったのは言うまでもない。
「なにそれ?」
弟が半分あきれ顔で聞いてきた。そりゃそうだ。中学二年生はむずかしいお年頃よママ。
「それはね・・・・」
要約すると、こうだ。
まだ弟が生まれる前で私が1歳と半年ぐらいの時の頃、公団住宅に住んでいた時のことらしい。
その頃同じ公団に住んでいた、同じ年頃の子どもを持つお母さん達(いわゆるママ友ね)の間で話題になってた事があって、それが『子供は2歳ころまでなら生まれる前の記憶があるらしい』とのこと。
それを聞いたA子ちゃんママは娘のA子ちゃんに聞きました。
「A子ちゃん、パパとママのところに来る前はどこにいたの?」
すると、A子ちゃんは言いました。
「ママのおなかの中にいたのよ。ママがいっぱいお歌を歌ってくれたでしょ、パパはいっぱいおなかを
なでなでしてくれたでしょ。」
A子ちゃんママはびっくり。A子ちゃんが第1子だったA子ちゃんママは、胎教には歌がいいらしいと育児雑誌の特集記事を読んでから、毎日毎日いろんな歌をうたっていたらしい。
それを聞いたB君ママ。早速我が子にも聞いてみたのだが、B君の言葉がサッパリ理解できずにあえなく断念。
もちろんママも私に聞いたのよ。パパとママのところに来る前はどこにいたの?って。
そしたらなんと「おしろ」って答えたんだって。
なんでも、自分はウルツ国第一王女のアーニャで、14歳で国の内乱に巻き込まれて命を落とした。
長い間眠っていたが、準備が出来たからもう行けと白い人に言われてから来た、と言ったそうな。
「「えーっつ」」
私と弟はあまりの荒唐無稽な話に思わず声をあげる。
「だって、その頃の私って1歳半でしょ?無理があるでしょ。」
「あら!ママが嘘ついてるって?ほんとうなのよ?」
私は周りの子よりも言葉が早く出てきたそうだ。だからこそママも聞いてみたんだって。
これはすごいと思ったママは、少しずつ私からウルツ国とやらの事を聞きだしてはノートに書き留めておいたそうだ。もちろん誰にも話さずに自分だけの楽しみにして・・・。
そしてアーニャと名乗る私にその当時の母親の事をきいたら、こんな小さな子が、こんな嫌そうな顔が出来るのかと思うくらいの顔で「うつくしい」と ひと言。
重ねて言うがその当時の私は1歳半だ。それが美しいって?そんな単語を知っていたのか当時の私!
「でもね?・・・」
ママはとっても不安になった。小さな娘の大人のような顔つきと、自分はその美しい母親とくらべてどうなんだろうか?ちゃんと母親になれているのかしらと。
そして思い切って聞いてみた。どっちのママが好き?
すると小さな私はママの胸に飛び込んで、小さな腕をいっぱいに伸ばして首に抱きついて
「ママがしゅき。」って。
「ママ ニコニコいっぱい。だっこいっぱい。ママいいにおい。ママしゅき」
「ママはニコニコなの?」
って聞いたら、うんうんと頷いて
「おかしゃま にこにこ ない。おかしゃま おかお むーん。」むーんってなに?
おかしゃま は前世の母親の事らしい。小さな私の記憶の中の母親は、どうやらあまり良くない母親だったようで、ママは心が重くなったらしい。
「だからママはその時に決めたの。子供たちの前では絶対に笑っていようって。」
腕の中にいる小さな私と、お腹の中にいたまだ見ぬ弟のために。
ごねんねママ。私、ママの事天然ののんき者だと思ってた・・・・。
その頃を境に私の前世の記憶はどんどんあやふやになり、弟を出産して産院から帰宅したときにはすっかり消えていた。ママ曰く「ちょっとホッとした。ううん、大分ホッとした。」
その後は、弟も交えて納戸の整理と冬物の片付けをすませ、休日出勤を終えて帰宅したパパと家族団欒の夕食が始まった。
話題はやはり私や弟の小さかった頃の話で、どんどん話が遡りパパとママの馴れ初めになった頃、私と
弟は自室に引き上げた。元祖バカップルの話なんか聞きたくもない。そうよ どうせ彼氏なんかいないわよ。
その夜は夢も見ないで眠った。これがファンタジー小説だったら、ママの話に触発されて夢の中で記憶が戻り 覚醒 って事になるのかもしれないけれど、あいにく私には何も起こらなかった。
でも、私はそれでいいの。前世だとか何だとかそんな記憶はいらない。今の家族で充分。
やさしくて働き者のパパにいつも笑顔のママ。軽くシスコン気味の弟は、将来イケメンだと私の友人たちの保証付きだし。それに私の頭のキャパじゃ絶対無理。そんな記憶がなだれ込んで来たら、ますます数学の公式が入らないじゃない!ただでさえ苦手なのに。
ちなみにママは弟には聞かなかったんだって。弟は言葉が遅い子だったのと、ちょとだけ怖かったから。また壮大な前世物語が始まったりしたらって。小さな子供が前世やお腹の中にいた頃を覚えているとかは、割とよく聞く話だし、誰もがどこかで聞いたって言うの。この間の国語の授業中、なんとかって詩人が自分が生まれた時の産湯の輝きを覚えていると友人に語っていたと、先生が話していたしね。
ホント、誰にでもあることかもしれない。もしも弟にも同じように聞いてみたとして、同じようにウルツ国とか言い出したりして・・・
私の頭の中に溢れることのなかった記憶の泉水は、どうやら弟の頭の中に怒涛のように溢れだしたようだった。軽いシスコンから重度のヘンタ・・いや、シスコンになってしまい、私や周りをドン引きさせてしまうのは また別のお話し。