【BL】誰にも会わないはずのバイト先で、学年一のイケメンに懐かれました
穏やかな毎日を過ごしたかった。
だから、バイト先は自転車で三十分もかかるコンビニを選んだ。“三年生の早瀬 悠”を知っている人が、誰も来なさそうな店。
高校の最寄り駅からだいぶ離れた、サラリーマンばかりのオフィス街。忙しそうなスーツの人たちに、コーヒーやお弁当、タバコを売る。お客は手元の画面を見ながら電子マネーで支払いを済ませるから、目が合うこともほとんどない。
機械のように数時間働けば、バイト代が手に入る。それくらいが、俺にはちょうどよかった。
なのに。
なんで今、学年一のイケメンが俺の顔をじっと見てるの?
ピークを過ぎた夜八時前、レジカウンターの向こうに立って俺をじっと見ているのは、うちの高校のブレザーを着た、二年の鳴海 朔だ。なぜフルネームまで知っているかって? 去年のミスターコンで一位だったからだ。散々ポスターでも名前を見たし、イケメンは名前までイケメンなんだな、と……。
「早瀬、先輩ですよね?」
「えっ、あ、はい」
ネームプレートを見た? いや、そういえば先月からトラブル防止のためにネームプレートは「スタッフ」表記になった。なんで俺の名前を知っているんだ。
「……何か、買いますか?」
「あ、ちがくて、俺、バイトの面接に来て、八時から」
「えっ」
バックヤードから店長が出て来て、そのまま鳴海くんは連れて行かれてしまった。
うそ、ここでバイト、するの!?
* * *
バックヤードのパイプ椅子に、やけに長い脚が窮屈そうに収まっている。店長の前に履歴書……俺は品出しのふりをして、段ボールの陰から様子をうかがっていた。
近くで見ると、本当に大きい。座っていても、立っている店長とあまり目線が変わらない。少し重めの黒い前髪に、切れ長の目。黙っていると近寄りがたいのに、店長の冗談に笑うと、目尻がくしゃっと下がる。
「家からだと、ちょっと遠くない? 大丈夫?」
「大丈夫です」
「駅前にもうちの系列あるけど、そっちのほうが近いんじゃ」
「ここがいいんです」
鳴海くんは、段ボールの陰の俺を見て言った。
「ここが、よかったんです」
店長は「早瀬くんの知り合いなの? あ、学校一緒か、じゃあ研修も頼めるね」と嬉しそうにしていた。人手も足りないし、なんてったって見た目がいい、落ちるわけないと思ったけど、面接は五分もかからずに終わった。
俺は、嬉しくない……。
* * *
そもそも、学校のやつに働いているところを見られたくなかった。
九月に推薦が決まり、みんなより一足先に受験勉強からは抜けられた。卒業までに、自分のお金を貯めておきたい。新しいギター、新しいヘッドホン、欲しいものはたくさんある。バイトしているのを知っているのは申請を出した担任と、仲のいいバンドメンバーだけだ。
高校三年生にもなって、俺はまだ「かわいい」と言われる。背が低いのも、顔が幼いのも、自分では気に入っていない。去年の文化祭のクラス企画でも、真っ先にメイド服の候補にされたし、事実、結構可愛く出来上がってしまったし。
きっと、クラスのやつが俺のバイト姿を見たら写真を撮ってグループラインに送るだろう。別に、いじめられているわけじゃない。楽しい時もある。でも、ずっとは疲れてしまう。
この街の客は、俺の顔なんか見ない。スマホを見ながら商品を置いて、端末にかざして、出ていく。お金を稼ぐにはちょうどいい場所だった。
「じゃあ、早速、明日からお願いね。早瀬くんも、よろしく」
「あ、はい……」
「先輩、よろしくお願いします」
「鳴海くんサイズの制服、あったっけなぁ」
先輩。確かに先輩だけれど、学校での絡みがゼロなので違和感しかない。しかし、なんでこいつはこんな変な場所のバイト先を選んだんだ? なんかもっと、おしゃれなカフェとか、それこそモデルとか、なんでもできそうなのに。
帰り際、笑顔で手を振られたので、俺も愛想笑いで手を振った。
バイトはあと一時間ある。とりあえず、品出しを終わらせよう。
* * *
初出勤の鳴海くんは、意外にも真面目に話を聞いてくれた。
派手な友達に囲まれているところしか見たことがなかったから、もっと適当なやつかと思っていたけれど、現実は、メモを取るし、わからないことはすぐ聞くし、教えたことには必ずお礼を言う。レジの使い方も、すぐに一通り覚えてくれた。
「で、鳴海くん、ここは、こっちのボタンね」
「あ、朔、って呼んでください。後輩なんで」
「……えぇ、じゃあ……朔?」
横にいた朔は、何もないのによろけて俺にぶつかって来た。狭いし、デカいし、ちょっと近い。
「画面見えないよ」
「あ、すみません」
立ち位置を変えて、後ろから覆いかぶさるようにレジを覗かれたので、肘で軽く押した。
「先輩、ここに収まるんですね」
「ここ?」
「俺の腕の間?」
「なにそれ、ちっちゃいって言いたいの」
こちらがムッとしたら、にやっとされて、負けた気がする。
「にいちゃん、唐揚げちょうだい、あと、」
「いらっしゃいませ、235番ですね」
「うん、二箱ね」
常連のおば……おねえさんのタバコの番号は覚えている。その様子を見て、朔は「すご」と口だけ動かして、目を丸くしていた。少しドヤ顔をしてやった。
* * *
「学校では話しかけないでね」
最初のシフトが終わったあと、俺は朔に釘を刺した。
「なんでですか?」
ロッカーの扉の裏から、不服そうな声がする。
「バイトしてるの、学校のみんなには言ってないから」
「別に、バイトの話しなければ」
「いやいや、朔が俺に話しかけてきたら、なんで知り合いなの!? ってなるでしょ」
朔は何か言いたそうにしたあと、「わかりましたぁ」と頷いた。本当にわかってくれたのかな、と不安になったけれど、翌週、廊下ですれ違っても、朔は話しかけてこなかった。
友達と笑いながら歩いていて、俺の横を通るときに、ほんの一瞬だけ目が合う。それだけ。なんだか、大きな犬の躾がうまくいったような感じがして面白い。
その日の夕方、店のバックヤードで会うなり、朔が言った。
「今日、先輩に会いましたよ」
「そうだね、すれ違った、かな」
「話しかけんかったですよ」
「えらいえらい」
「ここではいいですよね?」
制服のボタンを留めていた手が止まる。
「……いいって、何が?」
「話しかけるの!」
「う~ん、仕事の話なら?」
「今日の昼、何食べました?」
「……購買の蒸しパン。って、仕事の話って言ったよねぇ?」
朔が、なぜかすごく嬉しそうに笑ったので、俺もつられて笑ってしまった。学校で見るのとは、ちょっと違う顔だなぁ、と思う。そんなに学校での姿を知っているわけじゃないけれどさ。
* * *
十月も後半に入ると、夜の空気が急に冷たくなってきた。二十一時半、シフトを終えて裏口から出ると、風が頬に刺さる。
「えっ、さ、さむっ……」
制服の上に薄いパーカーだけ着てきたのを後悔した。昼間は上着を着ていられないぐらい暑かったのに。さっさと帰ろうと自転車の鍵を探していると、後ろから首元に何かを巻かれた。
「うわっ!」
「動かんで」
低い声が、耳のすぐ後ろでする。朔だ。ふわっと巻かれたのは、濃いグレーのマフラーだった。
「これでよし」
「びっくりしたぁ。首絞められるのかと思った」
「はは、すいません。でも、小動物みたいにプルプル震えてるから」
「またそうやってバカにして。……って、これ何?」
「貸してあげます」
「……朔は? 寒くないの?」
「俺、体温高いんですよ~、一度巻いたけど、暑くって」
俺が両手を袖に引っ込めているのに、こいつは平気な顔をしている。確かに寒そうではない。
「……じゃあ、ありがたく、かります」
「はい、気をつけて、また」
自転車を漕ぎ出すと、マフラーはまだ温かかった。洗剤の匂いの奥に、知らない匂いがする。朔の香水の匂いだろうか。でも、普段隣にいてもこんな匂いはしない気がする。嫌じゃない。むしろ、好きな匂いだな、と思った。
* * *
朔は、研修期間を終えると俺がいない日にもシフトに入るようになっていた。二週間に一度店長から送られてくるシフト、いままでは気になっていなかったのに、すぐに確認するようになってしまった。来週は……水曜が一緒か。
「悠、最近楽しそうじゃね? なんか、歌もうまくなった気がする」
文化祭でやるバンドの練習中、ベースの翔太に言われ、ドキリとする。
「え、そう? やったー」
「なんか、うーん、前までの悠は、感情こもってなかったけど、最近はこう、ノってるかんじ?」
「わかるわかる!!」
ドラムの海斗も乗っかってきて、やばい、めんどくさい。あはは、と愛想笑いをしてやり過ごす。
「ちょ、早く練習しないと、間に合わないって」
「それはそう、最後の文化祭、かっこよく終わろう」
リードギターの奏の呼びかけで、練習は再開した。高校三年間、四人でやったバンドもこれで引退だ。やりなれた曲を合わせながら外を見ると……本当に目立つヤツ、朔がすぐに目に入った。女子たちに囲まれながら、野外ステージの設営を手伝っていた。やっぱり一軍の一軍、だよなぁ。
でも俺は、フライヤーの油はねにビビる姿とか、冷蔵庫の品出しで唇青くしてる姿とか、多分あの子たちが知らないことを……って、なんのマウントなんだ。関係ない、ただのバイト先の後輩、俺は先輩、なんの、関係もない!
「……やっぱり、悠、感情爆発してね?」
「うん、これはフェス出れるわ」
* * *
文化祭の一週間前、帰ろうと昇降口に向かうと、大きなポスターが貼られていた。文化祭名物、ミスターコンテスト。
「え、やば! 今年の優勝賞品、ディズニーチケットだって」
「去年、学食券だったのに」
騒いでいる女子の声が耳に入る。へえ、太っ腹だな。そしてそれよりも気になるのは……候補者八人の中に当たり前のようにいる、鳴海朔。バイト中は前髪を下ろしているけれど、写真では少し分けていて、おでこが見えていた。たったそれだけなのに、いつもより大人っぽく見える。
「まぁ~、優勝は鳴海じゃね?」
「ディズニー、誰と行くんだろ」
「彼女いないんだっけ?」
「たしか二年になってからはいないはず」
隣でポスターを見ていた女子たちの話を盗み聞きしてしまう。へえ、彼女、いないんだ。そんな話をしたことはないけれど、確かに彼女の話は聞いたことがない。……なんか、学校では、やっぱり遠いな。
「誰がタイプです?」
耳元で声がして、肩が跳ねた。振り向くと、朔。女子たちはいつの間にかいなくなっていて、昇降口には俺たちしかいない。
「……学校では話しかけないでって」
「今、誰もいないし」
朔は俺の横に並んで、ポスターを見た。自分の写真を見ても、別に嬉しそうでもない。
「で、誰がタイプです?」
「……う~ん、この人?」
適当に目に入った、朔じゃない男を指さす。
「え~、先輩、趣味悪い」
「……冗談だよ、みんな一緒、みんなかっこいいで~す。さっきの女子、優勝は鳴海だって言ってたよ。すごいね」
横を向くと、朔が真剣な眼差しでポスターを見ていた。
「俺が優勝したら、一緒に行ってほしい」
なんの話? もう一度ポスターを見る。ペアチケット、ディズニー……。
「……はい?」
「先輩と、ディズニー、行きたい」
「えぇ……なんで俺?」
「なんでって」
朔は困った顔をして、俺の肩に頭を寄せた。
「先輩と、行きたいなぁって」
心臓が、変な音を立てている。いや、こいつはたぶん、友達と行くより気楽だとか、あ、友達とはもう行き飽きたとか、そういう意味で言ってるんだろう。
「……優勝、できるの?」
「えっ、いいの!?」
肩に乗っていた頭が跳ねて、両手を握られる。だから、なんか近いって!
「いや、お前が言い出したんだろ」
「絶対断られると思った、え、まじ、ね、絶対、指、出して」
朔は興奮して小指を出した。
「約束!」
「小学生じゃないんだから」
「小学生でいい」
優勝したら、の話だし。そう自分に言い聞かせて、俺はおずおずと小指を出した。指先が触れたと思ったら、ぎゅっと絡められる。
「ディズニーデート、絶対ですよ」
「デートじゃないし~」
遠くで誰かが「さくー!」と呼ぶ声がする。朔は小指を離して、何事もなかったみたいに声のほうへ歩いていった。
俺の小指は、まだ少し、熱い気がした。
* * *
文化祭当日、ミスターコンの投票用紙は、一人一枚配られた。投票したい人の名前の横にチェックをして、体育館前の箱に入れる。女子も男子も、各々の“推し”に投票している。俺も、とりあえず「鳴海朔」にチェックをいれた。だって、ほかの候補者は、喋ったこともないし。でも、箱に入れるのは、あとでいい。もうすぐリハが始まる。紙を半分に折って、ズボンのポケットに突っ込んだ。
俺たちの体育館でのバンド公演は結構な盛り上がりを見せた。三年生の引退もあり、クラスの大勢が前方で暴れてくれて、演奏もテンションがあがった。バンドをやっている時だけは、人前に立つのが楽しい。もっとやりたい。朔は……見ただろうか。いや、別に、見なくていいんだけれど。
全ての公演が終わり、機材を片付けていると、……寒い。Tシャツで演奏してそのままだったけれど、少し遠い控室に上着を取りに行こうか悩ましい。しゃがんでシールドを巻いていると、後ろから上着をかけられた。……知っている匂い。
……朔。
「また先輩、子羊みたいに震えてましたけど」
「上着、取りに行こうと思ってたところだしっ」
「ちょうどよかった、それ着ててください、俺もうステージ行かなきゃで」
実行委員のパーカー。XLサイズは俺にはデカい。袖を通すと、指先しか出なかった。
「ちょっくら優勝、してきますわ」
朔は、颯爽と野外ステージに駆けて行ってしまった。
* * *
ステージは、結構ちゃんとしていた。候補者が一人ずつ出てきて、自己紹介と特技を披露する。サッカー部のキャプテンはリフティングをして、ダンス部はフリースタイルで踊っている。朔は何をするんだろう。ステージに出て来た瞬間、女子生徒から歓声があがった。まだ出てきただけじゃないか。
朔の出し物はまさかのルービックキューブだった。じ、地味! と思いきや、すごいスピードで完成させて、さらに最後のキメ顔が……顔が良すぎる。男子はその顔を見て爆笑し、女子は「かっこよすぎ!」と今日最大の盛り上がりを見せた。
司会の生徒会長が、マイクを向ける。
「鳴海くん、優勝したらディズニー、誰と行きますか!」
「実は~……もう、約束してる人がいます!」
今日いちばんの悲鳴が上がる。
「誰!?」「彼女!?」と前のほうの女子たちが騒ぐ。司会が「名前は!?」と食いつくと、朔は「内緒でぇす!」と笑ってステージの袖へ引っ込んだ。
「投票、まもなく締め切りま~す!」
約束している人、俺のことだ。朔は本気で、俺と二人で行くつもりなんだ。体育館前の投票箱まで、走ればまだ間に合う。でも、このくしゃくしゃになった紙を入れたら、俺も、朔と二人で行きたいって認めることになる。
悩んでいると、奏に「出店終わっちまうから行こう!」と腕を引っ張られ、紙をパーカーのポケットの奥に詰め込んだ。
* * *
「けっかはっぴょ~~~~!」
後夜祭最後のコンテンツが始まる。ギリギリ買えたチュロスと焼きそばを持って、バンドメンバーで後ろの方に座ってステージを見る。あとの三人は知らないだろうけど、俺の心臓は今にも口から出てしまいそうだ。
「悠? チュロス食っちゃっていいの?」
「え、あ、うん、いいよ」
「いつも食い意地張ってるのに。ミスターコンそんなに気になる?」
「いや、別に……やっぱ食べる!!」
口の中をチュロスでいっぱいにして、その時を待った。
「今年の結果、なんと、史上初の……同票です!! 決勝戦は……ジャンケンです!」
ど、同票? こんなに票数が多くてそんなことありえるの。頭の中が真っ白になっていると、朔と、ダンス部の部長がステージの真ん中に並んでいた。手が、パーカーのポケットに触れて、くしゃくしゃの紙の感触がする。一票。ここに……あるのに。
「じゃん、けん……」
朔!! 勝って!!!!!!
* * *
「……お疲れ様~……?」
全てのステージが終わり、実行委員は片付けをしている。朔もその中にいたので、パーカーを返しにこっそりと近づいた。
「……先輩」
「残念だったね、あのときね、グーだせばね」
「……はい」
正直、ディズニーなんて別にバイトもしてるし行けるじゃないか。……なんて、言えるわけがない。黙々と段ボールを潰していて、あ、それはバイトの経験が役立ってるね、なんて冗談も、言えない。
「ま、まぁ、来年もあるじゃん」
「来年は先輩いないんで」
「それはそうだけど……る、ルービックキューブ、すごいね、あんなことできたんだね」
「先輩のバンドのほうがすごかったです、めっちゃよかったです……」
「えっ、みてたの」
嬉しさと、可哀想さと、ちょっとの可愛さと、学校で話しかけるな、って言う自分と矛盾してる違和感が混ざって、どうしたらいいのかわからない。借りていたパーカーを「ありがとね!」と押し付けて、逃げ帰ってしまった。
やらかしに気づいたのは、お風呂上がりだった。
投票用紙……パーカーのポケットに入ったまま、だ……。
* * *
「いらっしゃいませ~」
文化祭の翌日の振替休日だというのにバイトを入れてしまって、間違えたなと思った。でも、部屋にいても一人いらないことを考えてしまうので、逆によかった気もする。今日は朔とシフトも被っていないし。黙々と品出しをしていれば、時が過ぎていく。レジの中、ホットスナックの在庫確認をしていると、入店のチャイムがなった。
「いらっしゃい、ま……せ~~?」
また。なんでまた、イケメンが、レジの向こうから俺の顔をじっと見てるの? 私服の朔だった。シンプルな上着をさらっと着こなしていて、さすがだな。
「……今日、シフト入ってないよね?」
「入ってないです。客です」
朔は、カウンターに蒸しパンを置いた。それから、その横に、くしゃくしゃの紙を一枚。
「これと、これ、お願いします。袋はいらないです」
「鳴海 朔」の横に、チェックが入った紙。
「……百五十八円です」
朔は電子マネーで払って、蒸しパンだけ受け取った。紙はカウンターに置いたまま。いや、置いてかないで。触れないまま固まっていると、朔がひょいとそれを回収して、上着のポケットにしまった。
「先輩、何時上がりですか?」
「……九時半」
「待ってます」
「えっ、いや、寒いし、帰っ」
「待ってます」
強い口調で言い放ち、朔は自動ドアから出ていった。ガラスの向こう、ガードレールに、でかい図体がちょこんと座っている。……ほんとに待つ気だ。あと一時間もあるのに。
「にいちゃん、唐揚げと、あと」
「235番、二箱ですね」
「……外のでっかい子、にいちゃんの友達?」
唐揚げのおねえさんが、外を親指で指した。
「……後輩、ですかね」
「さっきからずーっと、あつ~い視線で、にいちゃんのこと見てるよ」
「……ですねぇ……」
「青春だねぇ?」
おねえさんは初めて俺の顔を見て、にやっとして帰っていった。
* * *
店長にお疲れ様です、と伝えて外に出ると、ビル風がびゅうっと吹いて、思わず首をすくめた。
「……まだいたの」
「いるって言ったじゃないですか」
鼻の頭が赤い。体温高いって言っても、この季節に一時間外にいたら、そりゃそうなる。
「これ、次のバイトで返そうと思ってロッカーにいれといたんだけど、遅くなってごめん、返す」
借りたグレーのマフラーを、背伸びしてぐちゃぐちゃっと巻いた。
「……先輩、首絞まってる」
「朔、デカいんだもん」
朔はぐちゃぐちゃのマフラーに顎を埋めて、ポケットから紙を出した。
「先輩」
「……うん」
「なんで、これ、入れてくれなかったんですか」
声が、いつもより低い。からかう顔じゃない。逃げたい。でももう、逃げられない。
「……朔、ステージで、約束してる人いるって言ったじゃん」
「先輩のことです」
「うん、だから、入れたら……俺も、朔と二人で行きたいって、認めることになっちゃうなって」
口に出したら、止まらなくなった。
「ただのバイトの後輩って、思えなくなる気がして。シフト表すぐ確認しちゃうのとか、全部、ばれる気がして……」
……あ。今、言わなくていいことまで、言った?
顔を上げると、朔がマフラーに半分顔を埋めて、固まっていた。見えている耳が、真っ赤だ。
「……先輩、それ、なんか色々、あの」
「い、今のなし!」
「なしにはできん。しっかり聞いたんで、え、俺とシフト一緒かな、って、きにし」
「うるさいうるさい! 帰る!」
「ちょっと待って!」
朔は、帰ろうとする俺の手を引っ張り、さっき買った蒸しパンを俺の手にのせた。
「これ、あげます」
「え、なんで、今」
「一年の春、購買の前で、先輩が俺にこれくれたんです。購買のルールがわかんなくて、買いそびれた時。名前も言わんで行っちゃうから、調べました。この店見つけたのは偶然です。でも、ここで働きたいって思ったのは、偶然じゃない」
朔が、少しかがむ。見上げなくても、目が合う距離。
「一年半越しのお返しです。……先輩のこと、あの日からずっと、好きです」
心臓が、うるさい。ライブのときより、ずっとうるさい。俺は、朔の手から紙を取った。くしゃくしゃの、出せなかった一票。半分に折り直して、朔の上着のポケットに、ぎゅっと押し込んだ。
「投票。今、した」
朔が、ぽかんと口を開ける。
「これで、朔の優勝。賞品は、ないけど。……ディズニーくらい、バイト代で行けるじゃん」
言っちゃった。もう知らない。
「二人で、行けばいいじゃん」
次の瞬間、視界がまっくらになる。痛いぐらいに、抱きしめられていた。マフラーと同じ、好きな匂いがする。
「ちょ、苦し……てか、こんなとこで、やめて」
「無理。離せん」
慌てて周りを見たけれど、九時半を過ぎたオフィス街の裏通りは人もまばらで、俺たちのほうを見ている人はいなかった。頭の上で、朔がふっと笑う。
「ほら、やっぱりぴったり」
「なにが」
「先輩。俺の腕の間」
「ちっちゃいって言いたいの」
「ちがいます」
腕に、少しだけ力がこもる。
「……あったかいでしょ。俺、体温高いんで」
「……知ってる」
「悠先輩」
こういう時に名前を呼ぶの、本当に、こいつ……。寒いぐらいのビル風が、熱くなった頬にちょうどよかった。
* * *
学校の廊下、向こうから、朔が歩いてくる。いつもどおり、友達と女子に囲まれて。
すれ違う、その一瞬。
朔が、満面の笑みで、大きく手を振った。
周りがざわつく。俺はパーカーの袖に半分手を隠したまま、小さく、小さく、手を振り返した。
穏やかな毎日は、たぶん、もう戻ってこない。
……でも、まあ、いっか。
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