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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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6/13

夜泣きの理由

 夜が怖い。


 昼間は大丈夫だ。頭を働かせ、計画を練り、家族を観察し、戦略を立てる。思考が止まらない限り、恐怖は奥に引っ込んでいる。


 だが夜が来ると、思考が止まる。

 身体が眠りを求め、意識が薄れ、理性の壁が崩れる。

 その隙間から、あれが這い出してくる。


 断頭台の記憶。


 毎晩のように夢を見た。


 今夜も同じだった。


 夢の中で、セレスティアは十八歳に戻っていた。処刑広場。群衆の声。鎖の重さ。断頭台の階段を上る足。


 膝をつく。首を置く。木の匂い。血の匂い。


 アレクシスの無感動な目。青い空。


 そして――刃の音。


 金属が空気を裂く。高い音ではない。重い音だ。鋭いのに重い。世界を断ち切る音。


 首に冷たいものが触れる刹那――


 「いやあぁぁぁっ!!!」


 目が覚めた。


 闇。天蓋。レースの縁飾り。自分の部屋だ。

 身体が震えている。全身が汗で濡れている。寝間着が肌に張り付いている。


 首に手を当てた。繋がっている。首はある。切られていない。


 だが感触が残っている。冷たい金属が首筋に触れた、あの一瞬の感触が。


 吐き気がこみ上げた。

 ベッドの端に身を乗り出し、嗚咽する。胃の中身は殆ど出ない。三歳の胃は小さく、夕食から時間が経っている。空えずきだけが繰り返される。


 涙が止まらない。

 鼻水も止まらない。

 情けない。十八歳の精神を持つ人間が、毎晩こんな醜態を晒している。


 だが止められない。これは理性で制御できるものではない。


 足音が聞こえた。

 一つではなかった。廊下の奥から近づいてくる早足の足音。それとは別に、もう一つ。遠く、部屋から離れていく足音があった。

 誰かが先に来て、立ち止まって、去っていった。そんな足音。

 だが今のセレスティアにそれを聞き分ける余裕はなかった。


 扉が開いた。


 「お嬢様!」


 マルガレーテだった。寝間着の上に羽織り物を引っかけ、髪は乱れたまま。隣の部屋で寝ているマルガレーテは、セレスティアの叫び声で飛び起きたのだろう。


 蝋燭の灯りがマルガレーテの手の中で揺れている。その柔らかな光が、闇を押しのける。


 「お嬢様、大丈夫ですよ。マルガレーテがおりますよ」


 ベッドに駆け寄り、セレスティアを抱きしめる。

 温かい腕。柔らかい胸。マルガレーテの匂い。石鹸とラベンダーの匂い。


 セレスティアはマルガレーテにしがみついた。

 三歳の小さな手で、侍女の寝間着を握りしめた。


 「こわい……くび、きられるの……こわい……」


 声が震える。幼児の声が、恐怖で引き裂かれている。


 「何が怖いのです? 悪い夢を見たのですか?」


 悪い夢。そう、悪い夢だ。だがこの夢には原本がある。

 実際に起きた記憶だ。自分が本当に経験したことだ。

 首を切られた記憶が、毎晩蘇るのだ。


 「くびが……くびがきられる」


 マルガレーテの腕が強くなった。

 三歳の子供が「首が切られる」夢を見る。普通ではない。

 マルガレーテもそれは分かっているはずだ。


 だがこの侍女は問い詰めない。追及しない。

 ただ抱きしめて、背中をさすって、子守唄を口ずさむ。


 「大丈夫ですよ、お嬢様。怖い夢はマルガレーテが食べてしまいますからね」


 食べてしまう。

 前世でも同じことを言ってくれた。幼い頃、悪夢にうなされる度に。


 あの頃は何の悪夢だったのだろう。普通の子供の悪夢。暗い場所が怖い。大きな音が怖い。そんな程度の怖さだった。


 今の悪夢は違う。実体験に基づく恐怖だ。

 前世の処刑の記憶が、傷になって残っている。

 癒えない傷。眠るたびに開く傷。首を落とされた記憶が、毎晩蘇って襲いかかる。


 三歳の身体に、十八年分のトラウマ。

 この身体は小さすぎて、この恐怖を収めきれない。


 ◇


 マルガレーテに抱かれたまま、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。

 震えが止まるまで、どれくらいかかっただろう。体感では何時間にも感じたが、実際は二十分ほどかもしれない。


 マルガレーテは一度もセレスティアを離さなかった。

 腕の力を緩めず、背中をさすり続け、低い声で歌を歌い続けた。

 古いヴァルトブルクの子守唄。公爵領の農村に伝わる歌。


 「月よ月よ おいでなさい

  こわい夢を つれていって

  朝がくれば ひかりがくる

  ひかりがきたら もうだいじょうぶ」


 単純な歌詞。単純な旋律。

 だがその素朴さが、今のセレスティアには何よりの薬だった。


 涙が乾いてきた。嗚咽が止まった。

 マルガレーテの胸に顔を埋めたまま、セレスティアは小さな声で言った。


 「マルガレーテ」


 「はい、お嬢様」


 「わたし、おかしい?」


 マルガレーテの手が止まった。一瞬だけ。すぐに再開した。


 「何がおかしいのですか?」


 「まいばんこわいゆめみるの。おなじゆめ。くびがきられるゆめ」


 言ってしまった。言うべきではなかったかもしれない。三歳の子供がこんなことを繰り返し言えば、「魔物憑き」を疑われる。この世界では、悪霊や魔物が人に取り憑くと信じられている。異常な言動は魔物の仕業とされ、最悪の場合、神殿で「浄化の儀式」を受けさせられる。


 だがマルガレーテには嘘をつきたくなかった。

 この人だけには。


 マルガレーテは長い沈黙の後、セレスティアの髪を撫でた。


 「お嬢様。マルガレーテは、難しいことは分かりません」


 穏やかな声。判断を保留する声ではない。受け入れる声だ。


 「でもお嬢様が怖い思いをしていることは分かります。毎晩泣いていることも分かります。お嬢様の手が震えていることも、金属の音で竦むことも、分かっています」


 全て見抜かれていた。

 あの日――三歳の朝に目覚めてから、セレスティアは自分の異常を隠しているつもりだった。だがマルガレーテは最初から気づいていたのだ。


 「おかしいとは思いません。お嬢様はお嬢様です。怖い夢を見るお嬢様も、泣いているお嬢様も、全部マルガレーテの大切なお嬢様です」


 「……だれにもいわない?」


 「誰にも言いません。お嬢様と、マルガレーテだけの秘密です」


 セレスティアは目を閉じた。

 安堵が全身に広がる。信じられる人がいる。無条件に味方でいてくれる人がいる。


 前世にはいなかった。こんな人は一人もいなかった。

 母が死んだ後、マルガレーテが解雇された後、セレスティアの傍には誰もいなかった。夜泣きをしても、誰も来なかった。震えても、誰も抱きしめてくれなかった。


 だから弱くなった。だから折れた。だから一人で処刑台に上がった。


 今世は違う。

 この温もりを手放さない。


 「マルガレーテ、ここにいて。あさまで」


 「はい、お嬢様。朝までずっとおりますよ」


 マルガレーテはベッドの端に腰かけ、セレスティアの手を握ったまま、子守唄を歌い続けた。


 セレスティアは薄れていく意識の中で考えた。


 この人を守らなければ。

 前世では、ディートリヒの進言でマルガレーテは解雇された。母の死後、公爵家の人員整理という名目で。ディートリヒにとってマルガレーテは邪魔だったのだ。忠実な侍女が傍にいると、セレスティアの監視がしにくい。


 ディートリヒを排除すれば、マルガレーテは残る。

 母を救えば、解雇の理由もなくなる。


 全ては繋がっている。

 母を救うこと。ディートリヒを排除すること。マルガレーテを守ること。公爵家を固めること。

 一つの糸を引けば、全てが動く。


 だが今夜は考えるのをやめよう。

 今夜だけは、三歳の子供に戻っていい。

 マルガレーテの手の温もりに包まれて、眠っていい。


 子守唄が遠くなる。

 意識が沈んでいく。

 今夜は――もう、悪い夢を見ないかもしれない。


 マルガレーテの手が、暗闇の中で光っていた。

 蝋燭の灯りではない。もっと温かい、もっと優しい光。

 この世で最も頼りない、そして最も確かな光。


 セレスティアは眠った。

 三歳の少女として。十八歳の亡霊として。

 二つの人生を抱えたまま、侍女の手の中で。


 朝が来た時、セレスティアの頬には涙の跡が残っていた。

 だが口元には、微かな笑みが浮かんでいた。


 マルガレーテはそれを見て、そっと涙を拭いてやった。

 「おはようございます、お嬢様。今日もいい朝ですよ」


 セレスティアは目を開いた。

 マルガレーテがいる。朝日がある。


 まだ生きている。

 まだ戦える。


 「おはよう、マルガレーテ。きょうもがんばるね」


 マルガレーテは微笑んだ。その笑顔の奥にある心配を、セレスティアは見ないふりをした。


 心配させてごめん。でも大丈夫。

 あなたがいてくれるから、大丈夫。


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