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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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2/11

小さな身体、大きな記憶

 三歳の身体は、牢獄だった。


 一歩でよろめいた。三歩で壁に手をついた。

 それが、三歳の身体だった。

 十八年間使い慣れた感覚がそのまま残っているのに、筋肉も骨格も三歳児のそれだ。まっすぐ歩けない。


 指先の感覚も鈍い。前世では刺繍も筆記もこなせた手が、今はスプーンを握るのがやっとだ。フォークの重さに手首が負ける。コップを両手で持たなければ水がこぼれる。


 そして何より――言葉が出ない。


 頭の中には十八年分の語彙がある。政治用語も法律用語も外交辞令も知っている。だが三歳の舌と唇は、その半分も発音できない。「セレスティア」という自分の名前すら、舌がもつれて「シェレシュティア」になる。


 「おじょうしゃま、あしゃごはんでしゅよ」


 ナターシャ――ではない。この時期にナターシャはまだいない。名も知らない若い侍女が朝食を運んでくる。銀の盆に載った柔らかいパン粥と、温めた牛乳。


 三歳の食事だ。噛む力が弱いから、全てが柔らかく、潰してある。


 セレスティアはベッドの端に座り、匙でパン粥をすくった。口に運ぶまでに二度こぼした。苛立ちが込み上げる。十八歳の精神が、三歳の肉体に縛られている。この不自由さは、鎖で繋がれた独房に似ていた。


 いや、独房の方がまだましだった。あの時は少なくとも、手足は大人の手足だった。


 「おじょうしゃま、おくちのまわり、ふきましゅね」


 侍女が布で口元を拭う。セレスティアは反射的に顔を背けた。

 他人に口を拭かれるなど、屈辱だ。十八歳の矜持がそう叫ぶ。

 だが三歳の自分は、それが「普通」なのだ。


 落ち着け。冷静になれ。


 セレスティアは目を閉じ、深く息を吸った。

 胸が小さいせいで、肺活量が足りない。深呼吸すらままならない。

 それでも意識を鎮め、思考を整理する。


 まず、状況を確認しろ。


 今は何年だ。

 前世の記憶を辿る。セレスティアが三歳だったのは、処刑の十五年前。つまり――王歴四八二年の春。三月。誕生日が三月十五日だから、つい最近三歳になったばかりのはずだ。


 場所はアルヴェイン公爵邸。領地は王国北部のヴァルトブルク。王都ルクセンからは馬車で五日の距離。


 家族構成。

 父、ライナルト・フォン・アルヴェイン。四十二歳。公爵。冷徹な政治家。

 母、リリアーナ。三十八歳。元王妃候補。病弱――いや、「病弱」ではない。毒を盛られているのだ。

 長兄、エドヴァルト。十八歳。騎士修行中。豪快な性格。

 次兄、フェリクス。十三歳。学者気質。書庫の住人。


 そして自分。セレスティア。三歳。末子。公爵家の掌上の珠――のはずが、前世では誰にも守ってもらえなかった。


 朝食を終え、セレスティアはベッドの上で膝を抱えた。

 侍女が「お着替えしましょうね」と声をかけるが、少しだけ待ってほしかった。

 整理しなければならないことが、あまりにも多い。


 計画を立てよう。まず何を優先すべきか。指を折って数えようとした。

 だが三歳の指はうまく折れない。小指と薬指が一緒に動いてしまう。苛立って手を膝に叩きつけると、力加減を誤って自分の足を打った。痛い。

 さらに悪いことに、朝食の満腹感が眠気を連れてきた。瞼が重い。三歳の身体は食後に眠くなるようにできている。

 頭の中では十八年分の記憶が渦巻いているのに、身体は昼寝を要求している。この噛み合わなさが、たまらなくもどかしい。

 歯を食いしばって眠気を追い払い、思考を再開する。


 前世の記憶を、時系列で並べていく。


 三歳――今ここ。特に何もない平穏な時期。

 五歳――初めての王都訪問。王太子アレクシスとの顔合わせ。

 七歳――母リリアーナの死。「病死」と記録される。だが真実は毒殺。

 あの日、屋敷から色が消えた。

 七歳――母の死後、侍女長マルガレーテが解雇される。

 七歳――王立クレセンティア学園初等部に入学。

 十歳――魔力覚醒。光と闇の両属性。聖魔力。だが制御できず暴走事故。

 十二歳――王太子との婚約正式発表。

 十五歳――王太子暗殺未遂事件発生。セレスティアが犯人に仕立てられる。

 十六歳――裁判。有罪判決。

 十八歳――処刑。


 十五年間の年表が、頭の中に展開される。

 どこで何が起き、誰が何をしたか。全て覚えている。

 処刑台の上で刃が落ちた瞬間まで、一秒の欠落もなく。


 セレスティアは小さな拳を握り締めた。


 最優先事項を決めろ。全てを同時には変えられない。三歳の身体でできることには限界がある。だが時間はある。十五年という時間が。


 最優先:母の毒殺を阻止する。


 前世では母は七歳の時に死んだ。「長患い」と言われていたが、今ならわかる。あれは緩慢な毒殺だった。少量の毒を日常的に投与し、じわじわと臓器を蝕む。医師すら気づかない手口。

 犯人は宰相派だ。公爵家の情報を流していた家臣ディートリヒ・クラウスが手引きし、王都から送られてくる処方箋に毒が紛れ込んでいた。


 母の死は全ての始まりだった。母が死んでから、公爵家は崩れた。

 父は政治への意欲を失い、家臣は離反し、セレスティアは孤立した。

 母が生きていれば、全てが違った。


 次の優先:家臣ディートリヒの排除。


 ディートリヒは宰相派の内通者だ。公爵家の機密を外に流している。母への毒殺の手引き。セレスティアの聖魔力の情報漏洩。全てこの男が元凶だ。

 だが三歳児が「あの家臣はスパイです」と言っても誰も信じない。証拠を集めなければならない。


 三番目:父を味方にする。


 前世の父は冷たかった。いや、冷たかったのではない。娘に無関心だったのだ。政治と領地経営に忙殺され、末の娘に目を向ける余裕がなかった。そしてセレスティアが処刑される時、父は娘を政治的に見捨てた。

 今世では違う。父を味方にする。この公爵家を、自分の最初の砦にする。


 「おじょうしゃま、おきがえ――」


 「まって」


 セレスティアは侍女を制した。三歳の舌で、できるだけ明瞭に。


 「マルガレーテ、よんで」


 侍女が目を丸くした。お嬢様がこんなにはっきりと人の名前を呼ぶのは初めてだったのだろう。


 数分後、マルガレーテが現れた。


 「お嬢様、お呼びですか?」


 丸顔に柔らかな笑み。この人は変わらない。十五年後も変わらないだろう。だが前世では、この人は母の死後に解雇された。ディートリヒの進言で。「年を取って使えない」という理由で。


 今世では絶対にそうさせない。


 「マルガレーテ」


 セレスティアは両腕を伸ばした。抱っこをせがむ仕草。三歳児なら自然だ。


 マルガレーテは嬉しそうに微笑み、セレスティアを抱き上げた。


 温かい。

 この温もりを、前世では七歳で失った。


 「マルガレーテ、ずっといっしょにいて」


 「まあ、お嬢様。今日は甘えん坊さんですね」


 「ずっとだよ。やくそく」


 マルガレーテの目が潤んだ。

 「はい。約束しますよ。マルガレーテは、お嬢様の傍にずっとおりますからね」


 セレスティアはマルガレーテの肩に顔を埋めた。

 涙を隠すために。


 泣くな。泣いている暇はない。

 これから十五年分の運命を書き換えなければならない。


 だが今だけは。

 この温もりの中で、少しだけ。

 十八年間の疲れを、溶かさせてほしい。


 マルガレーテの腕の中で、セレスティアは静かに目を閉じた。

 瞼の裏に、断頭台の残像がちらつく。

 刃の音。血の匂い。群衆の声。


 消えない。

 この記憶は、きっと消えない。


 だが今世では、この記憶を武器にする。

 恐怖を怒りに変え、怒りを行動に変える。


 目を開けた。

 窓の外には青空が広がっている。三月の空。前世で死んだ季節の空。


 「今度は、母も私も死なせない」


 三歳の唇から漏れたその言葉を、マルガレーテは聞き取れなかっただろう。

 子供の呟きにしては、あまりにも静かで、あまりにも重い言葉だった。


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