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追放された“辺境料理人”、私のスープが王都を救う唯一の方法だそうです

6日間短編毎日投稿4作目です

 王都を追い出された日の鍋は、やけに軽かった。鍋というより、たらい。肩に担いで門をくぐるとき、私は心の中でひとつだけ決めた——二度と、誰かの顔色の味にはしない。


 私の名はカティア。王都の大商家ラウリン邸で料理人見習いを務めていた……はずだった。些細な失敗、というのは「献立表の隅に置いた香草束が風に飛ばされ、殿様用の皿の端に一本のってしまった」という程度の話。のっていたのが“吐息花”という縁起の悪い名だったのがまずかった。しかも当の殿様が気弱で、花一輪で運勢が傾くと思い込む人だった。結果、私は「不吉を呼ぶ舌」として、翌朝には門の外に出されていた。


 身一つで辿り着いたのは、王都から七日の道のりにある辺境の町リュンデ。高いものは風と空くらいで、あとは石と土と人の声がちょうどいい。私は「宿屋水車亭」の台所を任された。主のミーナは気っ風のいい人で、最初に渡されたのは鍵束と一言だけだった。


「炊けば人は来る。うまけりゃ座る。金を落として笑えば、お互い様」


 最初の数日は、ひたすら鍋と向き合った。油は控えめ、塩は少し遅らせて、火は弱く長く。町の市場で手に入るのは、硬い根菜、干した獣肉、そして山で摘める薬草。王都で「飾り」として扱われていた草たちは、ここでは生活の味方だ。私は煮出しながらメモを取り、香りの折り重なりを体に覚えさせた。


「今日のスープは?」とミーナ。


「青銀草と月胡椒。……あと、お試しで干し茸の粉を少し」


「名は?」


「名?」


「名札に書く名前よ。客は名前に惚れる」


「……“歩けるスープ”で」


「ほう。歩けない人は?」


「歩けますように、の気持ちです」


 名札を出したその日から、妙なことが起き始めた。夕方にふらりと来た鉱夫が一杯飲んで帰り際に言った。


「足が軽ぇ。明日、もう一坑いけるかもな」


 翌日にはその鉱夫が仲間を連れてきて、翌々日には仲間の仲間が来た。誰かが「頭が晴れた」と言えば、次は「腹の重さが消えた」、さらには「指の痛みが楽だ」と続く。スープ一杯で世界が救えるわけはない。けれど、温かい出汁と少しの薬草が、人の体に手を添えることはたしかにある。


 私は慌てて注意書きを書いた。名札の隅に小さく——


『※効能には個人差があります。飲みすぎ注意。二杯目は水を挟んでね』


 ミーナは笑いながら言った。


「“注意”があると、効く気がするのが人の性だ」


「困ります」


「困ってる顔は儲かってる顔だよ」


 投資も始めた。窓際の席に冬の陽が差すよう、ガラス屋と値切って薄い窓を入れた。待合の棚には水差しとカップを増やし、「二杯目は水」の実行率を上げた。行列で揉めないよう番号札も作った。気づけば台所は、鍋二つから四つに増え、火加減は楽団の指揮みたいに忙しい。


 町の薬草屋の婆さまが、ある日つかつかと厨房に入ってきて、お玉で鍋をのぞき込んだ。


「青銀草、煮すぎると舌が痺れるよ」


「気をつけます」


「月胡椒は最後に。香りは逃げ足が速い」


「勉強になります」


「あと、あんた、この鍋、底が薄い。いい鍋を買いな」


「資金が貯まったら」


「貯まっただろう」


「貯まってません」


「は?」


「全部、床と椅子になりました。お客さんが増えたので」


「……いい投資だ」


 やがて、宿は連日満室になった。廊下には「スープ待ち」の行列までできる。私の知らない土地の言葉が飛び交い、旅商人が「スープ券」を作ろうと提案し、詩人が勝手に歌を作った。歌詞はだいたい間違っていたけれど、鍋の前で聴く分には悪くない。


「はい、お待ちどうさま。今日は“肩軽”でーす」


「“肩軽”?」


「肩が軽くなる(ような気がする)スープ、の意です」


「親切に“かっこ”で言わないでくれ」


 そんな騒がしい日々が三ヶ月続いた頃、王都から使者がやって来た。青い羽根の帽子、銀糸の上着、靴は泥一滴つけたくないと言わんばかりの黒。宿の戸口でつまずいて、最初の土が付いた。


「こ、こちらに、カティア殿は——」


「鍋の中です」とミーナ。「用件は私が聞く。熱いよ、気をつけな」


 使者は汗を拭いながら、巻いた羊皮紙を取り出して読み上げた。


「カティア様、王都は今、未曾有の——というか、ええと、とにかく大変な状況にございます! 王城の厨房も大商家も、貴族邸も、皆が体調を崩し……医師は『胃に火がついた』とか『頭に霧がかかった』とか言っておりますが、要するに疲れ果てており、そこで——」


「そこで?」


「あなたのスープが、必要なのです!」


 厨房の手が止まった。ミーナが眉を上げる。私は火を弱め、お玉を鍋縁にかけた。


「……私の?」


「は。王都で飲んだ者が戻りまして、あれを飲めば体が軽くなる、頭が晴れる、仕事が進む、歩くのが楽しい、笑ったら涙が出た、と。皆が欲しがっております。毎日。できれば一日三回。できれば夜食にも」


「夜食はだめです」と私は条件反射で答えた。「寝る前はお腹を休ませたほうがいい」


「左様でございますか。では日中に四回——」


「増やさない」


「は、はい!」


 使者は背筋を伸ばし、息を整え、言葉を慎重に選んだ。


「どうか、王都へお戻りください。待遇は以前とは比べものになりません。給金は——」


「鍋は何個ですか」


「は?」


「鍋です。何をいくつ、という話です。給金はその次」


「ええと、王城の大鍋が三、貴族邸が——」


「王都全体で計算してください。『皆』が欲しいのでしょう?」


 使者は目を白黒させ、羊皮紙をめくった。やがて、数字の重さに耐えかねたのか、膝を折って床に手をついた。


「お、お願いします。カティア様、助けてください!」


 厨房がざわついた。客席からもひそひそ声が漏れる。私は鍋の火をさらに弱め、ゆっくり言った。


「まず確認。——なぜ王都の人たちは、そんなに具合が悪いの?」


「ええと、その……『勝利の宴』が続きまして」


「勝利?」


「商機の、でございます。遠方から珍しい品が入り、連日、会食に会合に会食に会食……」


「会食多すぎません?」


「そして甘味の新流行がありまして」


「甘味……」


「砂糖を泡立てて空気を食べるとか、果物を真夜中に食べるとか、パンを砂糖で煮るとか」


「砂糖で煮る?」


「はい。煮る、と」


 私は額を押さえた。胃に火がつくわけだ。頭に霧もかかるだろう。睡眠も不足だ。そこでスープだと言い出すあたり、発想自体は悪くない。


「わかった。では三つ、条件」


「はい、何なりと!」


「一つ。私の鍋はここに置いたまま。王都には出張で行くにしても、供給の中心はこの町に残す。列を作ってくれた人たちのために」


「……は。しかし!」


「二つ目。食べ方の指導もセット。朝は薄め、昼は普通、夜は控えめ。酒の前に一杯、甘味の後に一杯は禁止。寝る前は水」


「水……」


「三つ目。『効いたからといって倍は飲まない』。この決まりを、読み書きの浅い者にも伝わる言葉で板札に記して、各厨房に掲げること」


「……板札に、でございますね」


「それが嫌なら、別の鍋を探してください」


 使者は一瞬、言葉を失った。ミーナが腕を組み、にやりと笑う。客席で誰かが小さく拍手した。


「で、ですが」「王都では『スープ抜きでは仕事にならない』という声が——」


「それは“中毒”です」と私はきっぱり言った。「私が目指しているのは“健やか”。“依存”ではない」


「……!」


「鍋は薬ではない。けれど、暮らしの柱にはなる。柱を王都にだけ立てる気はない。——それでも必要だと言うなら、王城の一角を**『膳の指南所』**にして。献立の見直しは、鍋の管理と同じくらい大事」


「し、指南所……」


 使者は目の前の見えない何かと格闘するように固まったあと、観念したように頭を垂れた。


「……承知、いたしました。王城に“指南所”を設けます。献立も、見直します。ですから、どうか——」


「最初の指南は、王様からです」


「王、王様から?」


「ええ。上から変えないと、下は変わらないので」


「……善処、いたします」


「善処じゃだめです」


「はっ。はあっ!」


 こうして私は、一週間だけの“出張”で王都に呼ばれることになった。もちろん、水車亭はミーナと見習い二人と薬草屋の婆さまで回す。前夜、裏口で空を仰ぐと、婆さまが煙管をふかしながら言った。


「王都に行っても、舌は置いてくるんじゃないよ」


「置きません」


「言葉も、だ」


「言います」


「ついでに、砂糖で煮たパンの正体、確かめておいで」


「怖いけど、行ってきます」


 王城の厨房は広くて騒がしかった。私がまず貼ったのは、巨大な張り紙だ。


『今日から“二杯目は水”。寝る前は“空”。砂糖は“隠し味”であって“主役”ではない』


 侍従たちがざわめく。そこへ、上品な衣の貴婦人がつかつかと近づいてきた。


「薄味は貧相ですわ。私は濃いのが好きで——」


「では、塩は机に。鍋には入れません」


「は?」


「鍋は皆のもの。仕上げの塩はご自分で。——ほら、舌がむくんでます」


「む、むく……」


「三日で治ります」


 貴族たちの顔は、最初こそ複雑だったが、三日目にはかなり素直になった。理由は簡単、頭が痛くなくなるからだ。私は“王城版・歩けるスープ”を仕込み、同時に「朝スープ」「昼スープ」「夕方スープ」を組み合わせて回した。甘味担当の菓子職人には「砂糖で煮るパン」の鍋を横で預かってもらい、実演で砂糖の量を計り直した。驚いたことに、砂糖の山が雪の山より高かった。


「この半分で十分甘いです」


「しかし流行が……」


「流行は胃を助けてくれません」


 四日目、王が現れた。思っていたより若く、思っていたよりやつれていた。私は最初の椀を差し出し、言葉を少なく告げた。


「朝は薄め。二杯目は水。昼は普通。夜は控えめ。甘味は午後。砂糖は半分」


「覚えられぬ」


「覚えられないなら、皿の色を変えましょう。朝は青、昼は白、夜は茶。甘味は金」


「それなら覚えられる」


「よかった。色は胃袋の言語です」


 王は椀を空け、深く息を吐いた。


「……軽い」


「それは“治った”ではなく“始まった”です」


「始まった?」


「暮らしの立て直しが」


 王が笑った。侍従が目を丸くした。私はそこで、大商家ラウリン邸の執事と目が合った。彼は私を見るなり、猫のように肩をすぼめ、ぺこりと頭を下げた。


「カティア殿。先日は……」


「鍋は覚えていますか?」


「鍋……?」


「“吐息花事件”のあと、鍋に『不吉』と貼ったでしょう」


「ひ、ひい。覚えております」


「今日からは貼り紙を変えて。『二杯目は水』に」


「は、はいっ!」


 王都での**“指南”**は、結局六日間続いた。最終日、使者が息を弾ませて報告に来る。


「“砂糖で煮るパン”の売り上げ、半分に!」


「半分でいいのです」


「頭痛持ち、三分の一に!」


「三分の一で喜ばず、ゼロを目指す顔で」


「はっ!」


「行列は?」


「水車亭のほうが長いです」


「それは動かないで大丈夫」


 私は予定通り、七日目の朝にはリュンデへ戻った。町の入口でミーナと見習いと婆さまが手を振る。後ろには、青い羽根の使者と、なぜか王城の衛兵二人と、王家の厨房見習い五人が列を作っていた。


「増えてますけど」


「手習いだとさ」とミーナ。「学ぶって。寝床は裏の納屋」


「鍋は足りる?」


「増やした。婆さまの知り合いが、いい底のやつを半値で持ってきてくれた」


「交渉、強い」


「生活の味方だよ」


 私は鍋の前に立ち、火を見た。音は、ここが私の現在地だと言っている。王都からの「“帰って来て!”」は、背中を押さない。押されて動く鍋じゃない。


「はい、お待ちどう。“歩けるスープ”一丁」


 椀を手渡す。湯気の向こうで、誰かが笑い、誰かが肩を回し、誰かが深く息を吐く。青い羽根の使者が、真面目に番号札を配り、並んでいる人に「二杯目は水」と唱和させている。詩人は相変わらず歌詞を間違えている。


 私は新しい名札を一枚、つるした。


『“胃が軽い後悔”スープ(食べ過ぎた日の味方)※本当に後悔している人は薄め』


 ミーナが肩で笑い、私の背中を軽く叩いた。


「言うもんだね」


「言いました」


「後悔は?」


「朝食を軽くしたので、だいぶ軽いです」


「それ、名札にしな」


「長すぎます」


 夜、仕込みを終えて、私は裏口で空を見上げた。星は王都より近い。風は塩と土の匂い。鍋の中の余熱が頬に残る。私は両手をこすり合わせ、指を鳴らした。


「さて——次は“王都出張版の手引き”を短く書こう。“二杯目は水”も大きく」


 翌朝。宿の前にはいつもの列。その後ろで、青い羽根の使者が真面目に並び、前の鉱夫に「二杯目は水を挟むんですよ」と指導されている。王都は、遠いようで近い。鍋は、私の前にある。


「次の方、どうぞ。——二杯目は、ね?」


「水を挟む!」


「そう、それが正解」


 お玉が鍋に触れる音が重なり、湯気が上がる。王都のためではなく、私を信じてくれたこの町のために——今日も、明日も、私の鍋は沸いている。

最後までお読みいただきありがとうございます。

次回も同様に明日20時投稿予定です。

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― 新着の感想 ―
ハイファンタジーですね。ジャンル変更お願いします。
テンポが抜群に良好。あっという間に文字が流れていく 短いセリフに魂と意思が宿る それでいてしっかりと後味が残る 痛快!綺麗!面白い! ゴチ!
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