6.相変わらず、塩対応ね
3月の終わりも近いある夜。
例年どおり、王宮では春の到来を祝う王家主催の大舞踏会が開かれていた。
王国を祝福する女神フローラを描いた巨大な天井画を戴く「鏡の間」に参集したのは、王族から男爵家まで千人以上。
皆、ここぞとばかりに着飾っている。
まず、国王夫妻が踊り、それから王太子夫妻を中心に次代の王族・準王族が数組踊る。
金髪碧眼、乙女が夢見る「理想の王子様」を具現化したような王太子アルフォンスと、銀髪紫眼の理知的な美女・王太子妃ジュスティーヌの華麗なワルツに、皆、ため息をついた。
ジュスティーヌは既に三児の母。
最近は、慈善などにも独自色を出し始め、王太子妃として自信がついてきたのか、年々美しさに磨きがかかっているようにも見える。
王族のダンスが終われば、後は好きに踊って飲んで食べて交流する時間だ。
年配の貴族達は、王族や実力者に挨拶に行ったり、旧交を温めたり、知人同士を引き合わせたりと忙しい。
それよりもっと忙しいのは、未婚の子女達。
婚約している者同士は、互いの愛を確かめるべく見つめ合ってせっせと踊り、まだ相手が決まっていない者は、めぼしい相手に話しかけてダンスに誘うために飛び回る。
その喧騒の中、人の波の邪魔にならないはしっこで、王太子アルフォンスの秘書官で、将来は侍従になるだろうと目されているグザヴィエ・ノアルスイユは、ぼーっと突っ立っていた。
アルフォンスに「今日は自分についていなくていいから、とにかく新しい出会いを探せ」と厳命されたのだ。
グザヴィエは現宰相ノアルスイユ侯爵の次男。
子供の頃に同い年のアルフォンスの「御学友」として選ばれ、初等教育は王宮で受け、貴族学院でも一緒に学び、王立大学の法科を首席で卒業して宮廷庁入りし、秘書官となった。
藍色の髪は後ろに撫でつけてうなじで括り、銀縁眼鏡をかけた顔立ちは鋭すぎると言われることもあるが、それなりに整っている。
だが、25歳になっても未婚。
婚約もしていないし、恋人もいないし、親しい女友達もいない。
ま、学院で知り合った某男爵令嬢への初恋をこじらせてもだもだしていたら、卒業と同時に速攻かっさらわれ、そこから立ち直るきっかけを逃したまま多忙な秘書官の職に就いてしまったというありがちな事情があるからなのだが──
不意に、後ろからぽんと扇で肩を叩かれた。
「ノアルスイユ、お暇そうね」
振り返って見れば、サン・ラザール公爵の三女、カタリナだった。
濃い金髪を豪奢に巻き、瞳と同じ深い緑のエメラルドを首元に飾っている。
ドレスは、真紅の絹に極細の金糸で刺繍を施したもの。
襞をたくさんとって、後ろへ大きく膨らませた最新流行のもので、人目を惹く華やかな顔立ちに良く似合う。
カタリナもノアルスイユや王太子妃夫妻と同い年で、貴族学院では同級生。
あでやかな容貌から「陽の君」と渾名され、一時は王太子妃候補とも目されていた社交界の華だ。
色々あって、結婚適齢期は過ぎつつあるが、最近はだれそれがお気に入りらしいなどと噂は飛び交っても、結婚の話は聞こえてこない。
「あー……レディ・カタリナ」
無意識に眼鏡を押し上げながら、ノアルスイユは半歩後ずさった。
ノアルスイユにとって、カタリナは周囲をぶん回して大騒動を起こしがちなトラブルメーカーで、勝手に襲来して勝手に去っていく暴風雨のようなもの。
正直、1対1で相手をするのは避けたい。
「なによその反応。
相変わらず、塩対応ね」
尊大な顔を作って、つんと顎を上げると、カタリナは右手を差し出した。
やむなく腰をかがめて、手の甲にかたちばかりの口づけをすると、周囲の者がちらちらと見てくる。
カタリナは、一挙手一投足を注目されがちな令嬢なのだ。
「……ええと、この流れでお誘いしないと、非礼に見えますかね」
「もちろん。
あなた、舞踏会に出ても殿下のお供ばかりで、めったに踊ってないでしょう?
たまには格好いいところを、結婚相手を探しているお嬢様方に見せないと」
カタリナの紅い唇がにんまりと弧を描く。
やむなくノアルスイユは肘を差し出した。
目立たないよう端っこに連れていけば秒で叱られるに決まっているので、フロアのど真ん中にカタリナをエスコートする。
ちょうど、ノアルスイユでもなんとかなる定番のワルツの演奏が始まったところだ。
意を決して、軽く組んで踊り始めると、次第に人の輪が退いて、見物人が増えていく。