27.まさか、エリザベート様!?
「では」
記者が、壁灯の火を小さくして回った。
互いの表情はかろうじてわかるが、壁際のあたりは暗くて見えにくくなるほど。
代わって真ん中に置かれた、女神セミラミデの粘土板がほんのりと明るく見える。
埋め込まれた魔石のためだ。
アルフォンスの金色の髪の、オパールのような遊色もはっきりと見える。
まるで後光のようで、整った顔立ちがいつもにも増して神々しい。
「私ハ知ッテイル、コノ館ノ惨劇ヲ」
皆を見渡して一呼吸置くと、アルフォンスがなにやら言い始めた。
古代魔導語だ。
「私ハ知ッテイル、咎ナクシテ殺メラレタ娘達ノ名ヲ。
アンリエット・ベレニス・ブラントーム。
ルイーズ・エメ・ブラントーム。
ニコル・ドニーズ・リュイユール。
エリザベート・レオノーラ・セニュレー。
マリー・テレーズ・ユスティア・リュイユール。
汝ラ今フタタビコノ世ニ立チ戻リ、ソノ死ノマコトヲ告ゲ知ラセヨ」
朗々とアルフォンスは犠牲者達の霊に呼びかけると、ふっとうなだれた。
かくりと首を垂れて、まるで眠り込んでいるように見える。
かすかに、ゆったりとした呼吸音が聞こえた。
え、なんだこれ?とノアルスイユは薄闇の中で眼を瞬かせた。
まさか、アルフォンスは開幕眠りこんでしまったのだろうか。
最近、激務気味ではあったが。
静まり返ったホールの中、アルフォンス以外は息を潜め、なにかが起きるのを待っている。
と──
いきなり、どこかからどっと烈風が吹き込んできて、円陣の上に灰色の靄が逆巻いた。
壁灯が全て消え、粘土板の淡い光を残してほぼ真っ暗になる。
バシッ、バシッと大きく家鳴りのような音があちこちから響き、短い悲鳴がいくつも上がった。
稲光のような、短い、強い光が幾度も瞬く。
魔力ではない。
だが、なにかの「力」が、ホールに渦巻くように満ちていく。
「なによこれ!?」
カタリナが叫んだ。
閃光に浮かび上がった横顔は明らかに焦っている。
その後ろで、クリフォードが剣の柄に手をかけ、引きつった顔で構えていた。
おんおんと残響のような音がどんどん大きくなっていく。
灰色の靄は二つの塊に別れ、円陣の上をぐるぐると追いかけあう。
不意に、一方の靄から女の高笑いが響き渡った。
「まさか、エリザベート様!?」
イザベルが叫ぶ。
ユカイ、ユカイ、ユカイ、と女の声は嗤い、もうひとつの靄から女のすすり泣きが始まる。
すすり泣きの声に、ヒドイ、ヒドイと切れ切れに低い呟きが混じる。
二つの女の声は重なり、もうなにがなんだかわけがわからない。
「も、もしかして、ニコル様!?」
またイザベルが叫んだ。
シャルルは中空を見上げて、大きく眼を見開き、口をぽかんと開いている。
やりすぎだ。
魔法となにかを組み合わせたトリックに決まっているが、いくらなんでもやりすぎだ。
「ちょおおおおお!? 殿下!?」
恐怖で総毛立ったノアルスイユは、アルフォンスがうなだれたまま握っているロープをぐいっと引っ張った。
ふっとアルフォンスが頭を上げる。
瞬時に、すべての怪異が消えた。
壁灯の光が戻り、穏やかに皆を照らす。
皆、真っ青な顔で、アルフォンスを見た。
特に、シャルルは水を浴びたように汗びっしょりになっている。
「ああ? すまない。
急に眠くなったようだ」
アルフォンスはのん気に言うと、てへっとごまかすような笑みを浮かべた。
あの騒動の中、うたた寝をしていたと言い訳をしてくるとか、意味がわからない。
どこか天然なところがあるアルフォンスだが、皆、ドン引きした眼で二度見した。
「……殿下のお力は、十分わかりましたわ。
これで、冥界への扉は開いたかと」
カタリナが仏頂面で言って身じろぎした。
粘土板のぼんやりした光が強くなった。
キラキラと魔石が輝いている。
その上に、うっすらと淡い金色の炎のようなものが浮かんできた。
──イザベル、さま。
炎の中から女のかすれた声がして、修道女の名を呼んだ。
「マリー・テレーズ様!!」
イザベルが声を上げる。
驚いた管理人が、イザベルと炎を見比べた。
アンナとシャルルは、ぽかんと口を開けたままだ。
「リュイユール伯爵令嬢マリー・テレーズ。
わたくしは、このトレヴィーユ荘を受け継いだサン・ラザール公爵令嬢カタリナ。
あなたにかけられた冤罪を晴らしたいの。
協力してくれるかしら」
カタリナが静かに語りかける。
炎が揺らめき、パチパチと輝いた。
ありがたいことに、マリー・テレーズの霊は、エリザベートやニコルよりだいぶ穏やかなようだ。
──あまり、ながく、しゃべれない
──アンナ、かわりに
吐息だけの声で、マリー・テレーズは答えた。




