2.アンリエットとルイーズ
いろいろな理由で、妄想にとらわれてとんでもない行動に出る令嬢も、虚言を弄する令嬢もこの世にはいる。
「本家の娘」である自分に、強い敵愾心を持つニコルのように。
しかし、マリー・テレーズには、フォンタンジュ男爵令嬢が狂っているようにも、嘘をついているようにも見えなかった。
彼女は本当にシャルルの浮気相手で、彼に「いずれ今の婚約は解消する」と騙されて、深入りしてしまったのではないか。
だが、その場に居合わせなかったシャルルに訊ねても「心当たりはまったくない」「誰かと勘違いしているのではないか」と言い抜けられてしまった。
シャルルとの婚約を主導した母に相談しても「そんな女、放っておけばじきに消えるでしょう」と突き放されて、それ以上追求できていない。
「……アンリエット、フォンタンジュ男爵令嬢ってどんな方だったの?」
アンリエットは困り顔で口を開いた。
「この間も申し上げましたけれど、学年は同じですがほとんどお話したこともなくて。
内気なのか、教室では一人でいらっしゃることが多い方としか。
シャルル様と一緒にいらっしゃるところも、見た覚えはないんです」
マリー・テレーズの婚約者、1つ年上のシャルルも貴族学院の生徒だ。
アンリエットは王都の本邸から通っているが、男子生徒の多くは王都に自宅があっても寮生活を選ぶ者が多く、シャルルも友人を増やしたいと寮に入っている。
フォンタンジュ男爵令嬢も寮生。
寮はもちろん男女別だが、通学生のアンリエットにはわからないところでつながりがあってもおかしくはない。
「内気な方にしては、この間のドレスは派手だったわね。
やたら胸元を出して、やたらひらひらしていて。
あんなの、どこで作ったのかしら。
それとも古着?
ちゃんとした家の娘じゃなくて、『女優』かなにかみたいだったわ」
「ルイーズ! そんなことは言っちゃだめよ」
ルイーズが意地悪げな顔で言い、アンリエットが強めにたしなめる。
この国には、芸術家として尊敬される本物の女優ももちろんいるが、「女優」と名乗って社交界に出入りする、実態としては遊び女に等しい女性もまま存在する。
令嬢に対して「女優のようだ」と言うのは、最大級の侮辱だ。
フォンタンジュ男爵令嬢は、大きな蒼い瞳が印象的な、十人中十人が愛らしいと言いそうな顔立ちだった。
だが、ルイーズが言う通り、真紅のドレスは品のない、少し古臭いデザインで、生地もペラペラの安っぽいもの。
ルイーズの言う通り、古着かなにかだったのかもしれない。
一応、ドレスはドレスだから、最近王都で流行っている、酒場に舞踏室を付け足したような平民の社交場ならあんなものでも良いのかもしれないが、貴族が主催する舞踏会であれはない。
せっかくの珍しいピンクブロンドの髪も中途半端にまとめただけで、アクセサリーも良いものではなかった、と思う。
「寮に入る女子生徒って、地方の小領主やどこかの支族の娘で、王都にちゃんとした本邸を持っていない家の子が多いんです。
もしかしたら、あの方、社交界に出る支度をしてもらってなかったんじゃないかと……」
気の毒そうにアンリエットは言う。
男爵令嬢なら、王宮で開かれるデビュタント・ボールには参加しているはずだが、家の内証が苦しくて、引き立ててくれる親戚もいなければ、その後社交界に出入りすることはかなわない。
それなりの格のドレスも装飾品も、安いものではないのだから。
「え。お姉さま、あんなことした人を可哀想だって言うんですか?」
「本当にそうだったかどうかは、今はわからないけれど……
とにかくあの方、もう亡くなっているのよ。
死者を鞭打つような真似は良くないことだわ」
「でも……」
優しく諭すアンリエットに、ルイーズは不服げに頬を膨らませた。
主に別邸で育ち、まだ世間の狭い彼女にとっては、侯爵家の次男であるシャルルの方に瑕疵があるとは考えられないのだろう。
一方、学院に通い出してから急に大人びたアンリエットは、フォンタンジュ男爵令嬢に同情的なようだ。
はっきりと口にはしないが、シャルルに不信感を持っているのかもしれない。
実は、婚約しているマリー・テレーズ自身も、シャルルのことは信頼していない。
このあたりには伯爵家、子爵家くらいの別邸が多く、別邸で育てられる子女達は互いに行き来してゆるくつながっている。
その中で、家格が上である侯爵家のシャルルは、顎が長過ぎることに目をつぶれば容姿が優れていると言ってもよいこともあって一種の王子様扱いだ。
実際、「女の幸せは、より上位の家に嫁ぐこと」と堅く信じている母のゴリ押しでシャルルとの婚約が決まったとき、マリー・テレーズはずいぶん羨ましがられた。
シャルルより2歳年長の、今は大学に通っているマリー・テレーズの次兄だけは微妙な顔をしていたが。