盗賊レッド
レッドとは本当の名前では無い。だが、大好きな名前だ。髪の毛が赤いからレッド。そういう渾名で呼ばれている。俺は十二の時にここへ来た。家は捨てた。俺は自分で稼げる。自分で食べて行ける。そう思い、剣を取った。
だが、傭兵見習いとは恐ろしい職で、まさしく死の嵐の真っ只中にいるようなものだった。見知った人、心強かった人達が、死んで逝く。俺にはそれが耐えられなかった。それに死ぬのも怖かった。次に冒険者になった。だが、簡単な依頼というのは報酬も少なく、難しい依頼は魔物の討伐というこれもまた恐ろしくて耐えて行けなかった。バジリスクの一睨みで組んだ仲間達があっという間に動けなくなり、目の前で丸呑みにされるのを見捨てて、俺は冒険者ギルドから消息を絶った。
食べるためにはお金が必要だ。そのためには何だってやれるつもりだったが、たかがパン屋の店番すら出来ず、結局都市の馬糞拾いで最低限の食べる糧を稼いでいた。
もう、うんざりだ。いつも気さくに話しかけて来る物乞いに銅貨を渡し、俺は何と人生相談をしていた。
結果的にそれが良かった。俺は盗賊の端くれになることができたからだ。
盗賊ギルドの中はいつだって薄暗く、煙草の煙が充満していた。男も女も黙して次の飯のタネが入るのを待っている。
この都市の裏道の一つに細い扉がある。壁に合わせて造られ、まさに風景と擬態し、あの時物乞いが教えてくれなかったら俺は一生、ここの存在を知らなかっただろう。
「ちわ」
俺は声を潜めて細い扉の中へ入る。俺は眼前を見る。そして驚いた。煙草の煙の向こうにはアルンゼさんがいたからだ。彼女はいつだって美しい。レッドという名前をくれたのも彼女だった。アルンゼさんは燭台の置かれた机の後ろに居り、ニコニコと微笑んで手を振ってくれた。
それだけで、俺の魂は熱くなる。俺は出会った時からアルンゼさんを思い続けている。盗賊ギルドのマスターとして皆を牽引してくれる彼女には恩さえある。
「八人。この人数ならいけるわね」
アルンゼさんが言うが、他の仲間達は顔を動かそうとはしない。でも、鋭い聞き耳を立ててはいる。
「アルンゼさん、仕事あるんですか?」
俺が問うとアルンゼさんは頷いた。こんな薄暗くては彼女の美しさを言い表せないが、本当は桃色の髪をし、目はブルーで少し大きかった。いつも着ている黒いドレスには彼女の大きな胸が主張している。歳は二十五、六だろうか、彼女は可愛くもあり美しくもある。そのどちらも持ち合わせている。
「レッド君は可愛いわね。そう、みんな、仕事よ。今、街道をハーリジャン社の馬車が通過しているらしいの。中身は金品と珍品という話しよ。待ち伏せて奪い取るわ」
盗賊達は伸びをし立ち上がった。煙草を灰皿に押し当てて消すと、そこには静かな殺気を纏った百戦錬磨の男女の姿があった。
「分け前は?」
一人が尋ねる。ネロというベテラン盗賊だ。青いバンダナがトレードマークで、いつもこの人が現場を指揮っている。
「ギルドが二割、残りはみんなで山分け」
アルンゼさんが言うと、盗賊らは頷いた。そして次々扉を出て行く。
「ほら、レッド君も行かなきゃ」
「は、はい! 行ってきます、アルンゼさん!」
俺は慌てて頭を下げて、閉まりかけの扉を押して出て行った。
2
草むらに伏せる。手にはボーガンが握られている。
「ギルマスからもっと詳細を訊いとくべきだったな」
ネロがぼやいた。確かにそうだ。アルンゼさんはいつもなら護衛は何人ぐらいかとか話してくれる。だが、今回はそれが無かった。
「まぁ、いつも通りやれば良いのよ。でも今回は太っ腹ね。三割は持ってかれると思ったけど」
女性の盗賊が答える。
「しっ、車輪の音がする」
一人が言い、皆が黙った。
程なくして街道を馬が三頭引いた大きな荷馬車が姿を見せた。
護衛は五人。冒険者だろう。ラメラーアーマーに身を固めているのが一人、だが、例えプレートメイルでも貫くのがボーガンだ。
「撃て!」
ネロさんの声が飛んだ。俺も目の前の護衛目掛けて引き金を引いた。重たい反動とともに矢が一直線に向かう。
八つの矢はたちまち、護衛らを討ち貫き、脳天を射貫かれて一人が死んでいた。
「来たぞ、盗賊共だ!」
護衛らが叫び、剣を抜いた頃には歴戦の盗賊達が躍り掛かっていた。
「積み荷だ、積み荷を確認しろ!」
ネロさんが声を上げ、俺は馬車の後ろに走った。
その時だった。荷台の扉が向こうから蹴破られ、増援が飛び出してきた。
その数、五人。
「護衛がいやがったぞ!」
俺は慌てて叫ぶ。
一人を射殺すと、ボーガンを捨てショートソードを抜く。
護衛達も冒険者の様だ。俺は慎重に身構えながら、四人と敵と対峙する。覆面をしているため、息が詰まっていた。
ここは捨て鉢になる場面では無い。大人しく仲間の合流を待つのが先決だ。盗賊とは素早さと冷静さを求められる。俺がこの数年間、仕事で関わって思ったことだった。
だが、四つの得物はそれを許さない。俺を殺そうと刃を煌めかせ、襲いかかって来る。
俺はそれを軽々避け、左手で腰の短剣を投げ付けた。見事に一人の顔面に突き刺さり、相手は倒れた。
護衛達がムキになって俺に斬りつけて来る。剣風が三つも俺の顔や身体を掠めて行く。急がないと目撃者が出てしまう。そうなれば要らぬ血を流すことになるか、憲兵を呼ばれ、俺達が捕縛されるかのどちらかだ。今こそ、素早さがものをいう時、俺は果敢に一人目へ攻め立てた。その頃には仲間が二人現れたのでそのタイミングで仕掛けたのだ。
刃同士がぶつかり、擦れ合う。俺は屈み、足払いを仕掛ける。相手は避けるが素早く前に飛び、顎の下から剣を突き上げた。固い感触。骨の間を通り、肉壁を走るのが分かる。刃は脳天を破った。白目を剥き出し、鼻水とよだれを流して痙攣しているだけの亡骸を俺は蹴って捨てた。
「逃がすな!」
不意に声が轟き、護衛が二人逃げ始めていた。だが、盗賊らは冷静にボーガンを構え、射程圏外へ出る前にどちらも後頭部を撃たれていた。
「レッド、アンディ、息があるか見て来い!」
ネロさんが言った。
俺は年上の若手、アンディと共に護衛の亡骸を確認しに行った。
念を入れて正解だった。一人が這いずって草むらに逃れようとしていたからだ。
「た、助けてくれ!」
護衛の冒険者は壮年の男だった。この期に及んで得物の斧を放さないのは見上げた根性だが、アンディが背を思いきり踏み付け、剣で首を刺した。男は声にならない声を上げて右へ左へよじれて動かなくなった。
「レッド、そっちお前にやるよ」
アンディはそう言うと死体を漁り始めた。
俺も鎧を外し、金品は無いかと死体を探っていた。
口笛が鳴り、俺とアンディは潔く諦めて、仲間の元へ戻った。
仲間達はホクホク顔で金銀、宝石の詰まった皮袋を手にしていた。俺も目が眩むほどの黄金の枚数だった。これだけあれば何百日暮らしていけるだろうか。俺達はさっさと都市へ引き返し、外壁に設置した回転式の擬態した木の扉を抜けてアジトへと戻った。
3
「今回も無事に成功ね」
俺達が持って来た宝の山を見てアルンゼさんが目を輝かせた。
「ギルマス、今回は詳細を聴いて無かったが、今度から頼むぜ」
アンディが言うと、アルンゼさんは頷いた。
「ごめんごめん。それじゃあ、配分するから待っていて」
「手伝います」
俺が言うとアルンゼさんはニコリと微笑んだ。
「ありがと、レッド君」
カウンターで貨幣を空けて、俺は金銀の計算に入る。アルンゼさんは宝石を確認している。
「こっち終わりました」
「ありがと。宝石は後で換金してくるから前払いで金銀は持って行って」
アルンゼさんが言うと、仲間達は煙草を指で揉み消し、我先にと小袋を手に取った。
そうして立ったまま中身を確かめる。
「レッドの計算が狂ってないことを祈ろう」
アンディが言い、女の盗賊ぺランザが軽く笑った。
そうして不備が無いことを確かめると、それぞれが今日初めて満足したような息を漏らして外へ出て行った。
あっという間に静かになる。シケモクの細い煙だけが薄暗いギルドの中に亡霊のように揺らめいている。
「レッド君も、女でも買ってみたら?」
突然の言葉にも俺が動じなかったのは、前々から心に強く決めていたことがあったからだ。いつも言おうと思っていたが、相手の言葉に触発されて俺は告白した。
「アルンゼさん、俺と付き合って下さい!」
一瞬の間が開き、アルンゼさんが微笑む。
「私を買いたいってこと?」
俺は慌ててかぶりを振った。
「金が必要ならそうします。何なら今日の報酬、全てをあなたに差し出しって良い。俺はあなたが好きです! ずっとずっと!」
俺は声を上げて息を荒げて相手の顔を見詰めていた。
「レッド君からしてみれば私はおばさんよ」
「違います! 美しくて可愛らしい! それがあなたです、アルンゼさん!」
アルンゼさんはクスリと声を漏らすと、俺の顔を見詰めて来た。
「じゃあ、これからも私のために働いてくれる?」
「勿論です!」
俺が言うと、アルンゼさんは両手を開いて俺を抱き締めてくれた。良いにおいがする。そう思った時には口を唇で塞がれていた。
恐る恐る目を開けると青い瞳が見詰めていた。俺は吸い込まれるようなその魅力的な眼を見詰め返したのだった。