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「出るか」
「え」
「夕飯前にちょっとついてきてくれ」
「え、あ、うん……」
慌てて残っていたコーヒーを飲んで、私は急かされるように席を立ち、ジャミィルに手を取られた。
あれっと思う間もなくグッと引っ張られて、人混みをするすると抜けていく。
それは私が普段使わない道で、私たち学生があまり通ることもない道で、だけど使ったことがある。
この町に入ってきて、すぐの頃。
町に入って、私たちの生活圏よりも手前側の場所。
「ジャミィル?」
「これ、他の連中にはナイショな」
そう肩ごしに振り返って笑ったジャミィルが、この町をぐるりと取り囲む塀のほど近くにある一軒の小さな家の裏手に回った。
そこには薪を積んで格納しておく棚があって、そこに足をかけた彼は少しだけ考えてから「悪い」と私に一声かけて、なんと私のことを姫抱きにしてきたのだ。
「きゃあ!?」
「なんだ、スィリーンより軽い」
「ちょっとそういうのってデリカシーないわ!」
「どっちに対して?」
「両方よ!」
私の体重のことを語るのも、それを比較されたスィリーンに対してもよ!!
だけど、問題はそこじゃなかった。
姫抱きにされた経験なんてほとんどない私にとって、そのやりとりは精一杯の反抗心だ。
ただ大人しくドキドキしているなんてしゃくじゃない。
ジャミィルは私を抱いたままあっという間にそこから屋根の上に上って、更に木の枝まで上ってしまった。
どういう腕力をしているのやら……!!
「ほら、見てみろよ」
「……」
大きな木の上から、町が見える。
反対側を見れば、この都市を守る塀の向こう側。
「こっから見ると、貴族も平民もわかんないもんだよな」
「……そうね」
まあ残念ながら私は視力がいいので、服装とかそういうのがよく見えるんですけども。
でも人間の視力で言うなら、殆ど変わりがないと思う。
「なあ、マリカノンナ」
「……なに?」
「今はほかのやつがいないし、俺も聞いてないふりができる」
「……」
「そんな泣きそうな顔するくらいなら、泣いたっていいんだ。ここは、俺しか知らない場所だから」
ああ、ジャミィルは私の気持ちを慮ってくれたのか。
それがすごく嬉しいのに、私はやっぱり自分の正体を明かす勇気は持てない。
だけど、なんとなくその言葉に私は自分の気持ちが結構……なんていうか、傷ついているんだって、わかった。
私は、自分が吸血鬼であることが誇りだと思うのに、それで嫌われるかもしれないという事実にとても理不尽だと思っていて、そして……悔しくて、悲しい。
でも怒っているとかそういうんじゃなくて、ただただ、怖いのだ。
そっとジャミィルに手を伸ばす。
(今は逃げない。だけど、私が吸血鬼だと知ったらどうなるんだろう)
昔の偉い人たちが何を思って私たちを遠ざけたのか、私たちが遠ざかったのか理解してくれなかったのかはわからない。
吸血鬼って名前を押し付けて、自分たちの失敗を押し付けて、悪者を作って逃げたこと。
それを世界に明かしてしまえば、私たちは救われるのだろうか?
それとも、今更そんなことを言われても困るって言うんだろうか。
私はなんだか色々と悔しくなって、ジャミィルの胸に顔を押し付けるようにして泣いてしまった。
ジャミィルの澄ました顔がびっくりして崩れたのを見て、少しだけ私はやってやったと思ったのだった。




