FNG8
それから更に進み、ようやく山頂が見えてくると今度は野営地の選定を始めることになる。
元々そういう訓練のために整備された場所なのだろう、どういう場所にテントを張り、どういう場所からどこを警戒したらよいのか、或いはどういう場所は自分と仲間の命を危険に晒したい場合以外は選ぶべきではないのかをレクチャーされる。
場所が決まれば早速テントの設営の前にリュックから折りたたみ式のスコップを取り出す。
何も食っていない今は意識しないが、野営時には便所の場所を決めておくのは大切だ。排せつ物がもたらす情報というのは馬鹿にならない。
俺たちとすれ違うように西に移動していく太陽。
オレンジに変色したそれが大きな島に建つビルを同色に染め上げていくのを見ながら、俺はテントの近くに掘った蛸壺に潜り込んだ。
まるでモグラたたきのモグラ。穴から頭だけ出して周りを警戒する。
山中でのサバイバル技術の訓練は日が沈んでも続き、ようやく眠ることを許された時、俺の体はどうやったのか覚えていない程に一瞬で眠りに落ちた――これだけはマキナの性能ではないと自信を持って言える。
そしてそうした眠りも、夜間監視訓練のために短時間で切り上げて、星と月以外は暗黒の世界で昼間掘った蛸壺を探して潜り込むのだった。
全てが闇の夜の山。全身にその闇が纏わりつくような感覚を覚え、その中に自分が溶けていくように錯覚する。闇と静寂は俺のある種の感覚を奪い、そしてそれ以外を却って鋭敏にしていく。
翌朝早く撤収。来た道を戻って宿舎に戻ると、遂に装備をおいてシャワーを浴びることを許される。
マキナによって半ば強制的に体調も情緒も整えられているが、それでも泥と汗の塊となっている現状からすればありがたい。
そしてそれが終わると、すぐに3日目の訓練が開始された。
まずはいつものウォーミングアップ。それから今日の内容=無人兵器の扱いと対処法の講習と実践。より実際に即した、走ったり転げまわったりしての射撃や爆発物の訓練。
そしてその集大成、キルハウスだ。
キルハウス。宿舎から少し離れた位置にあるその訓練施設は、遠目に見れば大型だが一般的な民家と言えるだろう。
だがより近づいて見ると、そこが決して居住のために造られた建造物ではないということはすぐにわかる。
その名の示す通り、ここはいかに殺されずに殺すかの訓練を行うための施設だ。
ドアをぶち破り、トラップを回避し、室内の敵を殲滅する。これをいかに効率的に、素早く、安全に、確実に行えるかを徹底して鍛えるための施設。
室内には大量の標的=こちらに銃を向けている兵士の写真が貼られているが配置され、時折それに混じってホールドアップした民間人の写真が貼られたものが配置される。勿論、これを撃てば失敗だ。
更に射撃用の的だけではなく、出会い頭に現れる格闘攻撃を仕掛けるための的や、手りゅう弾を投げ込んで制圧する的、更には無人機や軍用犬の的なども存在し、それらに合わせてゴムナイフや訓練用の手りゅう弾も渡されたフル装備で挑むことになる。
「これだけでは気合も入らないだろう」
教官がそう言うと、俺に顔面を守るためのフェイスガード付のメットを手渡す。
それを被ると同じようないで立ちの助教たちがキルハウスの中へと入っていく。
「よし、状況開始!」
もう何が起きるのか、何の説明がなくても分かる。
「ブリーチング!」
ドアを破り突入する何度も経験した最初の部屋。入る度に的の出現パターンが変わるそこに混じって飛び込んでくる、ゴムナイフを構えた助教。
「!?」
咄嗟にライフルを向ける――よりも早く熊のような巨体が懐に飛び込んでくる。
「ぐうっ!!」
「状況終了!」
ゴムとはいえ、本気で刺されれば骨身に染みる衝撃が走る。
刺し殺されて倒れた俺に教官の声が飛ぶ。
「寝に来たのか間抜け!!」
撃つべき的と、倒すべき敵と、こちらをそう認識している敵。緊張感は確かにただ的を撃つのとはけた違いだ。
勿論、もう一度突入すれば全ての設定がリセットされる。最初の部屋には助教がいないかもしれないし、或いは増えているかもしれないし、武器もナイフから訓練用のゴム弾を装填した銃かもしれない。
ただ一つだけ間違いないのは、それがナイフだろうが銃弾だろうが、マキナと防具と助教たちの絶妙な加減――最後の奴は多分だが――によって怪我はしないだけで、骨身にしみわたる痛みまではなくならないという事だ。
痛いのが嫌なら対処法を体に刻め――そのスパルタな教育方針のもと、今日も日が暮れるまでその訓練を繰り返した。
「……まあ、合格点としておくか。時間にも限りがあるからな」
ようやく一人で“肉入りの”キルハウスを制圧できるようになった時、滝行の後のような大汗を流していた俺の体は、きっと全身あざだらけになっていただろう。
だが、それだけで訓練は終わらない。
「次は体験学習の時間だ。手を出せ」
言われた通りに差し出す右手。反射的に出した利き手のその掌に、硬いものが押し付けられる。
それの正体が手の中に隠し持てる小型拳銃だと分かったのは、それから発射された銃弾がぬかるんだ地面にめり込んだ瞬間だった。
「えっ……」
最初に感じたのは、意外にも痛みではなかった。
実弾。撃たれた。手を貫通する鉛玉。吹き出す血液。穴の開いた右手。
その事実のラッシュにあらゆる感覚が停止する。理解不能な、正確に言えば置かれた事のない異常な状況に脳がフリーズして、この世全ての「何故?」が俺の頭に去来してパニックへと変質していく。
それから数秒?数時間?数世紀?体感的にはそれぐらい遅れて発せられる激痛と、それらが先客の理解不能と合わさることによって去来する恐怖。
思わずそのまま砕けてしまうのではないかと思うほどに奥歯が噛み締められる。
「その程度で済んでいる。これがマキナの効果だ」
撃った本人は何事でもないようにそう言って、銃口にこびりついた俺の血と肉とをふき取っている――そしてそれを認識できるぐらいには、俺にも余裕が残っている。成程確かにマキナの効果なのだろう。
そんな俺の、鮮血を噴き出している右手を掴むと注射器を突き刺す教官。
今回のは初日に打たれたような病院等でよく見る注射器ではなく、ボールペンのような形状とサイズのものだった。昔見たことがある、糖尿病の患者が使うインシュリン注射のような形だ。
その先端を俺の腕に押し当てると、形状に合わせたように反対側を親指で押し込む。
「!?」
何かが流れ込む感覚=注射器に内蔵されていた針が飛び出したのが、辛うじて耐えられるぐらいまで緩和された痛みに混じる。
「さて、どうだ」
その緩和された痛みすらも、教官が空になった注射器を引き抜いた時にはほとんど感じなくなっていた。
そして痛みに正比例して出血も止まる。
血をぬぐった掌には、既にうっすらと皮膚が形成されていて、まるでつぼみが花開くのを早送りで見ているように、一目でわかるスピードで元通りに治っていく。試しに動かしてみるが、動作にも全く支障がない。銃で撃たれたという事実自体が何かの勘違いだったのではないかとさえ思える程に元通りだ。
それが注射を受けてから僅か数秒のうちに起こった現象だった。
「今回は貫通したが、銃弾が体内に残った場合にも同様に治療できる。体内に残った金属を取り除くにはバレットリムーバーを使え。脳みそや脊髄が無事で、即死するようなダメージでなければこれでどうにかできる。痛みに耐えられる根性と、お前でも助けてくれるような人格者な仲間に恵まれていればな」
げに素晴らしきマキナの力という訳だ。バレットリムーバーなるものの使い方もしっかり頭に入っていて今すぐにでも使える状態にあるという事も含めて。
この強烈な被弾体験の次には、本日最後の訓練。対催涙ガス訓練だった。
「状況ガス!装着!」
ガスマスクを渡され、キルハウスの隣に設けられた大型テントの中へ。教官の命令に合わせてマスクを装着。初めて手にしたこれのつけ方については今更説明するまでもない。
訓練用に着色されたのだろう白い霧が立ち込めるテントの中に取り残され、そとから無線機で次の指示が飛ぶ。
「マスク外せ」
火を見るよりも明らか:このガスの中でのそれが何をもたらすのか。
更に火を見るよりも明らか:教官の指示に躊躇いを示すことが何を意味するのか。
よって行動は一つしかない。
「!!!???」
そして悶絶するより他にない。
(つづく)