怪物の日28
角田が去っていく。
「達者で……」
きっと聞こえてはいないだろう。
最初の部下、最後の同期、最良のパートナー。
ここで一緒に死ぬ必要はない。
「ぐっ……!」
正面に向き直ると、動きに合わせて力がかかったか、足に鋭い痛みが走った。
おかしな話だ。1トン近いだろうコンクリートの塊に押し潰されておきながら、マキナの痛覚制御はその痛みを限界まで鈍化させている。
つくづく便利な代物だ。
お陰で、余裕を持ってあいつが離れる時間を作れそうだ。
「さて……」
正面、駐車場の奥。
リボルビンググレネードの装填を今まさに終えるカンの野郎。
「させるか……っよ」
その弾倉付近を狙って数発。
うち一発が奴の腕に命中した。
「ッ!!貴様……!」
ダメージはない。恐らく衝撃を与えただけだろう。
バリスティックスーツはその見た目通り、全体を強固な装甲板で覆っており、小銃弾程度でダメージを与えることは不可能だ。
だが、その例外。人類が初めて鎧を着たその日から存在する装甲化できないポイントは変わらない。
即ち関節部は、いかに強固な装甲板であろうと、いや強固であるが故に可動域に干渉するようには覆えない。
「――のはずだったがねぇ」
奴の指は5本すべて残っている。
取り落したグレネードランチャーの代わりに、ドラムマガジンのついた分隊支援火器を、まるでハンドガンのように片手でこちらへ向ける。
液体装甲――この世界の技術は、その代物を実現していた。
角田が足に着けていたプロテクター等にも使用されるこの新時代の装甲は、その名の通り中に衝撃を受けると瞬時に硬化する液体を含ませたもので、多少分厚くなること、流石に装甲板には劣ることに目をつぶれば関節部を覆うことも可能だ。
バリスティックスーツの非装甲部位はそれによって守られている。指先すら小銃弾に耐えられるというのは想定外だったが。
「参ったな……」
思わず漏らした言葉。それへのリアクションは地面をミシン縫いするようにこちらに突っ込んでくる弾痕の線。
7.62mm×39弾によるそれが、己の体を縫っていく。針と糸との違いは、こちらは穴をあけて解体しようとしている事だが。
「がぁっ!!」
銃弾が体を撃ち抜いていく。
体の表面が爆ぜるような衝撃。体の内側に爆発が起きるような衝撃。地面に叩きつけんとする衝撃。
それら全てが同時に体を襲い、背中から冷たいコンクリートに叩きつけられた。
「かっ……ぁ……」
血が咳に混じり、すぐに空気に100%取って代わる。
黒いそれが上に吐き出され、すぐに重力が俺にその全てを返す。
一体何発が撃ち込まれたのか、何個の穴が開いているのか、もう考える気も起きない。
「ぁ……」
だが、左手が動くのは幸運だった。
これだけでグレネードランチャーを落とさせた意味があるというものだ。爆発していたらそれすらできなかっただろうから。
モジュラーベルトに手を伸ばす。爆発で吹き飛ばされてしまったが、まだ一本だけ残っていたポンプを手に取り、腰から一番近い=最短距離で刺せる太ももへ突き刺して中身を注ぎ込む。
「ほう」
空気を入れた浮き輪やフロートのように、体がむくりと起き上がったのを、奴はしっかりと見ていた。
「成程……オプティマル・エンフォーサーか」
「そういう事」
拡声器の声に比べればはるかに小さい、99%聞こえていないだろう声で彼がこれから言いたいことを肯定する。
「強化人間を運用しているという噂は本当だったという訳だ」
質疑応答の倒置法が発生している間に、俺の手はもう一度モジュラーベルトに、そこに一つだけ他と分けて取り付けたグレネードポーチに伸びる。
とっておきの一つ。目的外使用ではあるが、こういう目的のために用意していたそれを取り出して、ランチャーに挿入する。
「なら殺しきるまでだ」
「……やってみな」
尻栓閉鎖。ライフルをストックで立てて、片手でポンプアクション。
奴がおしゃべりを辞めて再び俺を殺しにかかるまでの時間は、しかし俺のそれが終わるよりも少しだけ早かった。
「ッ!!!」
再びの衝撃の雨が体中を通り抜けていく。
それに逆らわずに倒れ、頭への被弾を避ける――即死してしまっては意味がない。あいつを逃がすためには、数秒が、あと数秒が必要なのだ。
「ぃ……ぇ……ぉ」
何を言いたかったのかは自分でも分からない。
妙な音が血と一緒に流れ落ちて、そして俺は一瞬だけ気を失った。
「――て。とどめ――」
「!?」
その声で息を吹き返し、息を吹き返したことで気絶していたことを知る。
「ハ、ハ……」
今度こそ殺しきったという思いと、確実に殺すまで気を緩めるなという命令とが混在していた奴が、三度銃を向ける。
だが今度は俺の方が速い。
ランチャーの引き金を引き、40mmの弾が緩やかな放物線を描いて奴の足元に落ち――そして辺りを真っ白に染め上げた。
「なっ――」
何が起きたのか、奴はすぐには理解しなかった。
だが、弾は懇切丁寧に――奴の体でもって――説明してくれる。
お前は今、超高温で燃やされているのだ、と。
「あっ!!ぐっ、おおおおっ!!!!」
拡声器が分からせられた男の絶叫を伝え、そして壊れた。
炎に包まれた男がパニック状態で必死に火を消そうとのたうち回り、明々とした炎がその姿を照らし出す。
40mm照明弾。2090年になってもその用途に白リンを使用するのは変わらないらしい。
――或いは今回のように“目的外使用”をするための配慮だろうか。
平和活動家から厳しいお叱りを受けそうな攻撃だが、背に腹は代えられない。
「ふ……は、は……」
俺は改めて仰向けに倒れた。
これが走馬灯というものなのだろうか、足の向こうで煌々と光っている炎を感じながら、今までの人生が頭の中を駆け巡っている。
俺は欲のない子供だった。
何が欲しいとか、何をしたいとか、どうなりたいとか、そういったものを感じた事のない子供だった。
別に家庭が特別貧乏で、望むことが無駄だと思っていた訳ではない。
或いは逆に何不自由なく裕福で、望まずとも全て手に出来たからという訳でもない。
ごく普通のサラリーマンの家に生まれ、ごく普通の子供として育てられた俺はしかし、何故かは分からないが物心ついた時から己の望みというものを持ったことがなかった。或いはそれは生まれながらのハンデだったのかもしれないし、或いは天賦の才だったのかもしれない。
そんな子供がやがて気づいたのは、誰かの望みを叶えると、叶えられた誰かは喜ぶという事で、誰かに喜ばれるのは誰かを悲しませるよりもいい結果だという事だった。
よって俺の人生はその時に決まった。即ち、誰かの望む答えを出し続ける人生に。誰かの望む姿に己を変えていく人生に。
クラスの誰かが望んだから委員長になった。
母が望んだから難関国立大に進学した。
父が望んだから大手商社に勤めた。
上司が望んだから単身赴任もした。
全て、誰かのために、誰かが望んだから、俺はそうした。
そしてそのために必要な努力というものは決して苦ではなかった。何しろ他に欲などないのだ。他に感情などないのだ。
妻と出会ったのは、そんな人生を送っていたある時だった。
叔母から見合いを持ち掛けられ、両親は俺が身を固めて子供を持つことを望み、上司は俺が家庭を持つことを望んでいた。
なら、もう答えは決まっている。
相手の女性=その後妻となった人物もまた、俺の妻となることを嫌がってはいなかった――これは幸運だった。何しろこの部分だけは俺の判断だけでどうこうできる部分ではなかったから。
俺は望み通り彼女と交際し、望み通り彼女と結婚し、望み通り家庭を持ち子供をこしらえた。
叔母は仲人を全うして満足していた。
両親は孫の顔を見られて満足していた。
上司はこれでやめる可能性が限りなく低くなったことを満足していた。
勿論、妻にとっても良き夫でいる事を忘れたことは無い。そして当然、子供たちに取っても良き父である事を忘れた事もない。
30手前で見合いで身を固めて、家族を養うためにバリバリ働き、休日は家族サービスに精を出し、正月やお盆には双方の両親に孫を連れて会いに行く。
――全て上手くいっている。誰も損をしていない。誰もが望んだ答えを得られた。
そのはずだった。
あの日、出張から帰って妻から離婚を切り出されるまでは。
妻は賢い女だった。俺の正体をしっかりと見破っていた。
「あなたは私と結婚したかった訳じゃない。私の実家の財産が欲しかった訳でもない。社会的な評判が欲しかった訳でもないわ。あなたが欲しかったのは名前よ。扶養家族欄に書く名前だけ。誰かが望んだ人間でいられるという、ただそのための道具が私たちよ」
それが妻の言葉だった。
それは事実で、俺自身よりもしっかり俺自身を現した言葉だった。
そうだ。俺は結局、誰も何も好きではない。愛してなどいない。
誰かが作った理想像を実現するという、ただそれだけにしか興味がない。
或いは俺は、もう少し顔がよければ役者かホストにでもなれば良かったのかもしれない。
結局、離婚は成立した。
俺は仕事を辞め、家族とも疎遠になっていった。
――初めて人を恐ろしいと思った。同じように見透かされていたらと思うと怖くてたまらなかった。彼らを失望させているのではないかと思うととても顔を見られなかった。
誰にも会わず、しかし養育費を払わなければならない――法律と裁判所が望む姿。
その時に辿り着いたこちらの世界は、まさに渡りに船だった。
「……フッ」
だが、それも終わる。
ぼんやりとする視界が、角田がいなくなった地上へのスロープを映している。
あいつは俺の正体を知っていた。そして俺のその性質を憧れてもいた。だが、俺はそんなあいつが羨ましかった。自我を持っているあいつが、それ故にここに流れ着いてしまったあいつが――本人が知ったら怒るかもしれないが。
「……フフ」
走馬灯はフィナーレに近づいている。
PMCコントラクターになってからの日々、角田と若いの二人が部下になった事、そいつら相手には少なくとも信頼を勝ち得ていたという事。
それ故に、俺は結構この暮らしが気に入っていたという事。或いは日本にいるより居心地がよかったという事。
達者でな。皆。
もう一度そう言おうとしたが、口は動かなかった。
急速に意識が無くなっていく。これ以上は不可能だと判断したマキナが機密保持のための自壊モードに入った事を感覚的に理解した。
そしてそれから、彼等に感謝と謝罪。ここまでついてきてくれた事と、ここで放ってしまう事の。そしてそれから妻と二人の子供への謝罪。
薄れゆく意識の中、俺は自分の口元が緩まっていくのを感じていた。
喜びと自嘲が半分ずつの笑い――部下を逃がした良き分隊長を全うできることの喜びと、この期に及んでそれを喜ぶ己への。
全く、しょうがない奴だ――それが、俺の最期の言葉だった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




