怪物の日7
「まあ、でも気にしないようにしていますけどね。実際私の家だし。それに初めての任務を終えた時に分隊長に言われたんです。『生還は盛大に祝え』って」
だから今は気にしていません――そう言って結ぶクロ。分隊長の物真似付き。
それについては全くの同意だった。まさに昨日同じように一日を過ごしたことからも明らかだろうが。
「成程ね……」
呟く程度にリアクション。
それから俺も彼女と同じ感覚であることを明かす。
「実は俺もそういう時があって、なんとなく違和感って言うのかな。なんか今まで通りじゃないような気がして」
「あっ!やっぱりそう思います?皆そういうものなんですかね?」
俺は安心していた。この寂しさや違和感は俺だけではないということに。同じ任務に参加した、キャリアも近い彼女も同じような感覚を覚えていることに。
だから、勢いで言ってしまったのかもしれない。
ついうっかり分隊のルールを忘れていたのだ。
「そう言えば、なんで傭兵に――」
言いかけたところで思い出したご法度。相手が話すとき以外は詮索するな。
「あ、いや。今のは無しで……」
慌てて撤回する俺を見て、彼女は俺がルールに抵触したことにやっと気づいたらしい。
少しだけ笑って、それから小さく手を横に振った。
「いいですよ。せっかく付き合ってもらったんだし。それに大した理由でもないし」
そう言って一拍置いた彼女の表情はしかし、大したことない理由を説明する時のそれにしてははっきりした意思を示していた。
「……人を探しています」
「人を?」
「ええ。友達を。……友達“だった”子を」
何となく、それ以上突っこんで聞いてはいけないような気がした。
それはここまで以上に、きっと彼女の最もプライベートな部分だ。その相手が何者で、何があってあっちの世界で傭兵しながら探しているのか――それは、きっと好奇心で探ってはいけない所だ。
「成程な」
先程と同じような答えしか出なかった。その事と、己の不注意とを兼ねて再度謝罪。
「いや、申し訳ない」
「そんな、気にしないでくださいよ。……私も久しぶりに口に出せてよかったです」
気を使わせてしまっただろうか――その態度から願望込みの希望的観測を信じてみることにする。
結局、その後すぐ解散となった。
「それじゃあ、今日はありがとうございました」
「いやいや、それじゃあ気を付けて」
「はい。また向こうで」
フードコートから出て直ぐの、改札口に続いている道で分かれる。
くるりと踵を返し帰宅ラッシュの中にあっという間に消えていったクロを見送ってから、俺は家路についた。
「……お?」
スマートフォンに新たな任務を告げるメールが表示されたのは、家についてすぐの事だった。
出発は明後日の日曜午後2時。それを見て直ぐに頭の中で逆算する。明日一日で用意はできる。
そして翌日、なんとなく安心感は続いていた。
というより、その安心感が違和感や寂しさをかき消してくれていた。
おかしなもので、人間それがどれほど異常な事でも、自分一人ではないと思うと妙に安心できるものだ。
――そしてこれもおかしな話なのだが、俺は昨日新たな依頼が入ったことを喜んでいた。
いや、勿論飯の種が入ってきたのだからその事については喜ぶべきなのだろうが、生憎他の仕事のようには喜んでいられないのもまた事実だった。
今回は死ぬかもしれない。今までだって危ない状況はいくらでもあったのだ。首を刺されたりミサイルで撃たれたり……。マキナがあるとはいえ我ながらよく今日まで永らえてきたものだ。
毎回今回で死ぬかもしれないと思いながら、同時にどこかで今回も大丈夫とこれまた願望込みの希望的観測でもってエレベーターに乗り込んでいる。
勿論今回もそれは変わらない。だがそれでも、心の奥底にあっちの世界に行く口実が出来たことを喜んでいる部分があった。
おかしな話だ。安全で居心地のいいこちらの世界から危険だらけで泥の中を転がりまわるかもしれない向こうの世界へ行くのに、なんとなくこの世界から離れることを喜んでいる己がいるのだ。
だから任務を前日に控えたこの日、日中は向こうの世界に渡ってトレーニングに費やし、戻って来てから翌日の準備を整えた。
この仕事を始めてから、下着と靴下のストックを常に切らさないようになったのは目に見えて分かる大きな変化だ。
それから靴も、普段使いのものと別に仕事用のトレッキングシューズが二足。どちらもデザインやブランドではなく、単純に動きやすく、足に合っていて長時間歩いても走っても足を保護できるものを揃え、任務の内容を考えて使い分けられるようソールの硬さも異なっている。合わせて靴下も登山家やスポーツ選手などが愛用しているという、足のアーチの形を維持することで疲れにくくなるという靴下を用意している。
場合によっては一日中だって歩き続けなければいけない仕事である以上、こうした装備は銃や防弾装備に比べれば地味ではあるが非常に重要だ。
「これでよし……」
いつも使っている大型のリュックサックにこれらを詰め、各種の日用品や消耗品、小物類も漏れがないかを確かめる。
今回向かう先を考えて防寒着も兼ねて厚着のフリースを何着か詰め込む。今回向かうのは黒海北東岸。11月には最低気温が10℃を下回る日も珍しくない。
粗方用意を終えると、ちょうどよくインターホンが来客を告げる。
「はーい」
受話ボタンを押す前に反射的に返事をしながら時計に目をやり、母からの電話を思い出した。
そしてインターホンが、その記憶通りの用事であったことをそのあとすぐに知ることとなった。
「こちらにサインお願いします」
ドアの前で渡された伝票に桂の一字。
「はい。ありがとうございました」
「どうも」
受け取った段ボール箱は随分ずしりと重さが伝わってくる。まあそうだろう。少なくともアルバムは1冊入っている訳だし。
「さて……」
ベッドわきに置いてカッターで開封。
中から色々と懐かしいものが飛び出してきて――そして、中を改めるのを辞めた。
何となく、今見るのは良くない気がした。
今これを見てしまって、そこでこれらに=己の思い出にクロに会うまでのあの感じを覚えてしまったら、ひどく悲しくなるような気がした。
「帰ったらでいいか」
自分に言い聞かせて蓋を閉じ、そっと部屋の隅に押していく。
一応電話で荷物が届いた旨だけを伝えて、それきりその日は触らないでおいた。
そして日曜日。俺はリュックを担いで部屋を後にする。
「……行ってきます」
鍵をかけて、向かうは藤波コーポ。
その足並みは、どこかいつもより速くなっているような気がした。
(つづく)
今日は短め
続きは明日に




