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人間不適性試験4

 服を着替えて本社を後にする。

 エントランス前を通過してもう一度エレベーターへ。今度はいつも使っている見慣れたそれだ。


 「それじゃ、お疲れ様です」

 「お疲れ様です」

 本社のそれに比べればこじんまりしたこちらのエレベーターホールからそれぞれの箱に乗り込む。日本人同士、異世界で共に戦って帰国すれば別々というのも妙な気がしないでもないが、まあその辺はもう慣れた。


 小さく、薄汚れた=生活感のあるエレベーターが、エレベーターのそれと理解できる独特の重力を体に加える。

 先程のそれに比べれば静かでもない駆動音、そして滑らかではない動き。

 向こうのそれを知らなければ別にどうと思う事もないぐらいの差だが、それでも一度未来の技術を知ってしまうと随分違うもののように思える。

 だがそれが、俺たちの世界に帰っていくのだという事を実感させてくれるのを、俺はどこかで気に入っているのだった――その事に気づいたのは今回が初めてだが。


 「よし……」

 開いた扉の向こうには住民のいなくなって久しい第一藤波コーポ。平日正午の閑散とした住宅街。

 その静かな――しかし確かに人の活動している――町の中を、我が家に向かって歩いていく。

 狙撃も待ち伏せもなく、トラップを警戒する必要もない平和な町。

 最早職業病のように体に染みついた周辺警戒の癖は抜けないが、それでも一歩一歩己がリラックスしていくのが分かる。

 静かで平和な日常。誰かの裏切りを警戒する必要も、突然飛んでくる銃弾に怯える必要もない。


 「……ふう」

 小さく漏らした吐息は、その安心の副作用のようにもたらされた疲労感からだった。

 マキナでも制御しきれないのか、或いはその必要がないために放置しているのか、ようやく終わったという実感が全身に微妙な気だるさとなって広がっていく。

 ――いや、それだけではない。

 安心とリラックスに満ちた脳内にはしかし、確かにそれとは明確に異なる感覚が一つ、決してポジティブなものではない存在感を放っている。


 「……どうするかな」

 ふと口をつくその言葉。

 何をの部分は省略されているが別に誰に聞かせるでもない。

 そう、誰に聞かせるでもない。全て己の問題なのだ。

 スカウトする――ビショップさんはそう言った。

 勧めはしない――角田さんはそう言った。

 不正規戦適性試験。その答えを出さなければならない。その進路選択の憂鬱さが暗い影を差している。


 「ただいま」

 影を引きずりながら自室の扉を開け、誰もいないわが家へ。上着を脱いでベッドの上に転がると、布団の中にズブズブ沈んでいくような感覚が、重心が体内から出てベッドの中に移動したかのような感覚が体中に広がっていく。

 「……」

 ぼうっと天井を眺める。

 毎日寝起きに見る、何の変わり映えのしないよく知っている部屋の天井。


 今の生活に俺は満足している。

 コントラクターとしては今のところ上手くいっている――今回の一件もなんとか無事に帰ることが出来た。

 収入は十分暮らしていけるどころか、サラリーマン時代と同額かそれより多いぐらいの額を貯蓄に回すこともできる。その上こちらでの拘束時間は皆無に等しい。ある意味、辞表を叩きつける前に夢見ていた――そしてそれは現世では決して実現できないと諦めていた――理想の暮らしが実現した形だ。


 「……なら、いいか」

 平和な町の、平和な家の、平和な布団の上。

 寒い日に一度入った炬燵から出たくなくなるように、平和と安寧に包まれると自分から必要以上の問題に首を突っ込むことのハードルはどこまでも上がっていく。

 必要以上の問題なのだ。角田さんだって勧めはしないと言ってくれたのだ。

 それにビショップさんだって同じ考えを持っていた。

 更に言えば、角田さんから得られた情報から判断するに、人間性を捨てるような過酷な試験だ。


 ならいいじゃないか。このままで。


 「……」

 それで決着するはずなのに、心の中で待ったをかける己を無視できないでいる。

 俺はマゾヒストではない。過労死するまで働くつもりも毛頭ないし、今のままでは暮らしていけない程ひもじい訳でもない。

 だが、そうやって現状に満足して動かないでいる己を別のどこかで批判する己が存在するのだ。

 「……チッ」

 思わず舌打ちする。

 大学時代、もっと言えば就職活動と、その結果としての前職とで半ば自分に言い聞かせるようにして育ててきた、その己に向けて。


 現状に満足してはいけない。常に積極性を持って取り組まなければならない。いつも成長するために最大の努力をしなければならない。骨折りを厭わず仕事があることに感謝しなければならない。


 お経のような就職セミナー。上司のありがたいお言葉。

 何一つ共感できないそれを、しかし正しいという前提でいなければ就職活動も仕事も出来なかっただろう。

 時間は止められない。楽しい時間は無限ではない。

 辛い世界に放り出されるのならば、それに意味を見出さなければやっていられない。

 だから、全く信じていないそれを無理矢理信じる己を作り上げるしかなかった。

 ――それが俺なりの「生きるために必死になる」という事だったのだと、気が付いたのは今この時になってだが。


 そうして必死になった俺は、今でも俺の中にいる。そしてその素晴らしい理念に反する本来の俺の性格を絶えず批判しているのだ。

 「……」

 そうやって楽な選択をしてはいけない。

 成長する機会を逃してはいけない。

 面倒・気乗りしないという点以外に断る理由がないならやるべきだ。

 考えてみろ、スカウトしてくれているのだ。期待してくれているのだ。それを断るのは相手の期待に背くことになる。

 ――残念ながら、この説教を垂れ流す己はまだ達者に口上を垂れ流している。体が動かなくなっても口の活動量だけは減らない年寄りのような厄介さでもって干渉してくる。


 「はぁ」

 だが、今の俺はこいつに従わなければならない理由などない。

 必要になれば必要な事をする。今はその時ではない。精々くたばるまでほざいていろ。

 そう結論付けて体を起こし、気分転換のためにパソコンの電源を入れる。

 どうせ回答期限まではまだ時間があるのだ――駄目だと分かってはいるが、余裕のある状態では問題への取り組む集中力が違うと己を説得。

 それにマキナの感情制御は有効に機能している――東琉球のあの家で女を撃ったように。


 「……忘れろ」

 そうだ。忘れちまうべきだ。

 マキナは感情を制御してくれる。生身であれば一生悩み続けるだろうあの経験を思い出しながら、ちょっとした苦い経験ぐらいの認識でいられるぐらいに。

 記憶もまた、それに合わせてマイルドに編集されている。より正確に言えば、裁判記録のように他人事として覚えている。

 ならやることは決まっている。お膳立てを整えてもらったのだ。早く忘れて楽しく生きるべきだ。


 「……」

 と言っても何かちょうどいい暇つぶしの選択を持っている訳ではない。

 こういう時一人でできる趣味を持っているといいと改めて思うが、とりあえず今はネットで暇をつぶすことにした。


 「……さて」

 一体そうしてどれぐらいの時間が経ったのか。ふと気づくと外は薄暗くなり始めていて、画面下の時計を見ると数時間経過しているようだった。

 そう言えば腹も減っている。今日の夕食は何にしようか――頭の一部はそれを考えながら、しかし目は画面をだらだらと見続け、手がそれをだらだら手伝っている。

 「お?」

 その惰性の中に、興味を惹かれるものを一つ。マウスカーソルを文字列に乗せる。


 【またまた】活動家ら逮捕 大麻取締法違反【オリーブ会議】


 スレッドだったようで、クリックするとネット掲示板が表示された。

 オリーブ会議という名前は知っている。

 いや、知っているどころではない。高森祐実菜が所属し、そして抜けようとして自殺に追い込まれた団体の名前だった。

 まだ活動していたことも驚きだが、大麻取締法違反とは穏やかではない――元々穏やかな組織ではないが。


 そのスレッドにリンクの張られていた記事によれば、どうやらここに所属する活動家がトラブルを起こし、駆け付けた警官が彼の荷物から大麻2グラムを発見して逮捕となったらしい。

 タイトルにもある「またまた」とは、どうやらこの団体、ここ最近逮捕や書類送検が続いているようだ――スレッドによると。

 スレッドの書き込みだけでは正確なことは分からないが、どうやら今は大学のサークルではなく独立した組織として活動しているらしい。と言っても、母校の学生もそのまま在籍しているらしいが。


 俺ここが独立前に勧誘されたことあるわ。友達と二人で話しかけられて速攻逃げた。

 その時から政治活動ってかただの陰謀論サークルみたいで周りからも言葉を話す珍獣みたいな扱いだった


 そんな書き込みの一つ下、表示された名前に反射的に併記されたリンクを踏む。


 女子大生死んだときにだんまり決め込んだ奥園君見てる~?

 君の後輩たちでしょ何とかしなさいよ~


 女子大生死んだとき=一人しか思い当たらない。

 「!?」

 開かれた画像=週刊誌の切り抜き。

 奥園君=そこに写っている男=スーツ姿にサングラスの若い男=公社のエージェント。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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