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FNG9

 「目をかっ開け!外へ出ろ!!」

 体内の水分全てが涙と鼻水に変換された状態でテントの外へ。眼球に付着したガスの成分を風で吹き飛ばすために、眼は開けるだけ開いておく。


 頭で理解しているそれを直ちに実行できるのは――もうお馴染み。どうせなら、ガスの効果自体をどうにかしてほしいものだが。

 だが訓練はそれだけでは終わらない。今度は銃もナイフも持った状態でもう一度ガスを浴びせかけられ、その状況で指示が飛ぶ。


 「走れ走れ走れ!!コースを駆け抜けろ!!」

 テントから伸びる一直線の道。そこに置かれたタイヤでできた人型の標的に突進する。

 「動きを止めるな!根性を見せろ!!」

 「おおああああっ!!」

 悶絶を絶叫に変えて標的にナイフを突き刺す。その後ろにも並んでいる同様の標的を銃床で殴り、離れた標的に射撃を行い、教官の構えたビッグミットに乱打を浴びせかける。


 その間、一切止まらない。


 「よし!よくやった!」

 その言葉が、ここに来て初めての肯定的な言葉だったような気がする。

 そしてなんとなく直感が告げる:ここでの訓練は終わった。


 その夜、俺は死んだように眠った。

 マキナがスムーズな睡眠を助けているからだけでなく、へとへとに疲れ切った肉体と、不思議なほどに全身を満たした安心感とが瞼を縫い付けた。


 「緊急招集、緊急招集、訓練生は速やかに第一種装備で宿舎前に集合せよ」

 けたたましく響き渡るその放送に瞼をこじ開けられたのは、まだ日付の変わる前だった。

 訓練は終わった。

 そう、訓練“は”終わったのだ。

 ならば残っているのは、卒業試験という訳だ。


 装備一式を整えて宿舎の外に飛び出すと、そこには既に教官が待ち構えていた。

 「今回は時間通りだ」

 最初の試験は合格だ。

 「だが残念ながら、お目覚めのキスはお預けだ。これより、敵拠点の襲撃及び人質救出訓練を開始する」

 救出訓練と言っているが、その後にこの辺りの地図を見せられながら伝えられた内容は想像していた通りのものだった。


 「目標地点は山を越えたここだ。この場所に建てられた家屋に武装した敵兵が複数人立て籠もっており、非戦闘員一名を人質に取っている。また詳細は不明だが家屋周辺には無人兵器の存在も確認されており、これが外周を警備している可能性がある。それとこれも未確認の情報だが、監視用ドローンが複数機目撃されたという話もある――」


 地図の上で小さく円を描く教官の指が示しているのは、ちょうど昨日の夜キャンプした山の向こう側。麓にぽつんと建っているらしい家だった。

 山の周りとその山肌には、昨日登った道以外にはびっしりと木々が生い茂っていたのだが、向こう側の麓にまではその縄張りは広がっていないらしい。森林を示す表示は件の家の周りには及んでおらず、地図で見る限り平地の真ん中にぽつんと一軒建っているようだった。

 その家から更に西、このひょうたん型の島の一番西の端へ指が滑っていく。


 「――よって、上空からの露見を警戒し、木々によって覆われている山の南側を迂回してこのポイントまで移動。放棄されたコマンドポストに集合する。その後ここから拠点を急襲し要救助者を救出。そのまま岬に向かって進め。岬の先端にある灯台で信号弾の発射を確認したところで状況終了となる。これが建物内の見取り図だ。人質がどこにいるのかは現時点では不明だが、建物内に拘束されている可能性が高い。何か質問は?」


 渡された見取り図に目を落とす。二階建てのかなり大きな家。

 「いえ」

 「よし。現在時は0002。0015に出発し、拠点への攻撃開始は0445とする。説明は以上だ」

 それから訓練用の装備――と言っても模擬弾とゴムナイフと訓練用手りゅう弾だが――を渡され、顔にドーランを施すとそれ以外の装備が入ったリュックを背負い、すぐさま作戦開始だ。


 暗い夜の山。闇だけが支配する山林。

 その中に、眼だけが光る俺が入り込んでいく。

 何も見えないなかで全てを見る。矛盾した行軍はしかし、音も停止もなく続けられる。

 背中のリュックには戦場での使用を前提としたトラウマキット(応急手当用キット)や暗視装置、爆発物検知器なども入っているが、重さを感じるようなものでもない。


 「……」

 息を潜め、気配を殺し、しかし辺りに常に目を光らせる。

 「……ふぅ」

 時折誰にも聞こえないように静かに息をついた。

 闇は侵食する――ここに来て初めて知った事実。

 自分自身と周囲の闇との境界線がなくなっていくような錯覚に何度も襲われ、後ろからついてきているはずの教官すらも存在しないような気がしては、自分を闇の中からもう一度自分という型にはめ直す。


 だがそれもすぐにまた闇へと変わる。

 皮膚の感覚がなくなり、自分と他者という境界線は限りなく曖昧になっていく。

 明るい所で、或いは時間で、この感覚を理解するのは難しい。何より口では説明のしようがない。なるからなるのだ、としか言えない不思議な感覚だ。自分が自分であるなどという事は明るい場所では自明の事なのに、こうして暗闇の中を気配を殺して進み続けると、どうして自分などというものがあると思っていたのだろうとさえ考えだす程に、闇と一体化していく。


 そして進めば進むほど=闇と一体化する時間が長ければ長い程、その感覚はより強烈に、より当たり前に存在する様になっていった。


 「到着した」

 ボロボロに朽ち果て、事前に知らされていなければ分からない程に風化したコマンドポストの残骸を見つけたのは、0350を少し回ったぐらいだった。

 かつてそこに人がいて、コマンドポスト=前哨基地が置かれていたなどと、何かの冗談としか思えない小さな廃墟。

 トーチカと犬小屋の中間のようなコンクリートむき出しのその構造物に入ると、壁の割れ目の向こうに森の切れ目が見える。それを見る眼球の裏側にはマキナの末端が巻き付いているのだろう。瞳孔の調整すら可能となった俺の眼は微弱な月明りでもしっかりと都市の夜間ぐらいにはものが見えた。


 「0445まで監視する」

 到着したとしても別に休んでいいという意味ではない。

 すぐさま双眼鏡を取り出してその切れ目の向こうに向けると、左右対称のひょうたん型の中に、月明りに照らされた大きなロッジ風の木造家屋が現れた。

中の照明は全て消えている。人の配置はここからでは分からない。


 「……」

 スリングごとライフルを掴んで体から外し、その場に伏せる。ボロボロのアスファルトの冷たさが、汗をかいた体を冷やしていくが、それもすぐに収まる――何のためかは今更言うまでもない。

 そのまま、時間まで身じろぎせずに対象の監視を続ける。目を皿にして、全身を耳にして。

 結果、時間までに分かったことがある。


 1つ目:入り口は正面玄関と裏口とガレージ。人が入れる大きさの窓がいくつか。それと2階に通じている外階段があるが、どうやらトマソンのようで、登りきったところにもその途中にもどこにも中に入る扉は存在しない。

 2つ目:建物の前の敷地には警備用UGV(無人地上車両)が周回している。

 3つ目:夜間は使用していなかったが、2階の正面バルコニーにドローンが設置されている。

 4つ目:人間の兵士は時折出入りがあるものの、確認できるだけで軽歩兵1個分隊(数人~10人程度)が常駐している。


 「……よし」

 時計を確認して動き出す。

 UGVは一機しか動いておらず、その軌道は規定されたルートを一定のペースで行き来しているだけのようだ。

 背負っているリュックに手を伸ばしかけてやめる。一応対無人兵器用の歩兵携行式電磁波兵器も持たされているのだが、あれが随時カメラの映像を送信しているタイプだとすると破壊するだけで自分の接近を伝えることになる。


 どうせ大した動きは出来ない。いなくなったところでその裏をかけばいい。


 そう考えて息を潜めていると、そのチャンスはすぐに訪れた。

 これまでと同様のペースで、家の反対側を見に行ったUGV。その後ろ姿を見送り、戻ってくるまでの時間を計算に入れて森から飛び出そうとした瞬間、全身が全身に急制動を命じる。


 「ッ!!」

 地に伏せ、暗闇に現れた変化=2階正面のバルコニーに現れた歩哨に目をやる。

 まだ辺りが暗いからか、ドローンを飛ばす様子はないが、銃を持って眼下に広がる平野を――そしてその先の、今まさに彼らへの侵攻を企てている男が潜伏している森を眺めている。


 そしてその眼は人間のそれではない。


 辺りは暗い。暗視装置を使うのはおかしなことではない。現に俺も持ってきてはいる。だが、その目を盗む必要のあるこちらからすると厄介この上ない。

 「仕方ないか」

 予定を変更して森の中を進む。

 本来のルートより更に大回りで家の横に併設されたガレージへ。此処ならガレージと家自体の壁が影となってバルコニーからこちらを見ることはできないはずだ。


(つづく)

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