ある雨の日の物語
時に強く、時には弱く、
掠めるようにふれて、
優しく、激しく、乱暴に、
男の指と唇が肌の上を奏でる。
奏でられ、女は甘い吐息と、からだのせつない痺れに酔いしれた。
快楽の波に堕とされて・・・。
━━━まるでピアノを弾いてるみたい、あなたの指も唇も・・・好きよ
━━━ピアニストらしい褒め言葉だな
━━━ねぇ、もっと近くに来て
━━━からだの奥までか?
━━━そうよ・・もっと熱く奏でてほしいわ
男はふと微笑んで、私の願いを叶えてくれた。
女はイヤリングをつけると、鏡の中をのぞいた。
今夜コンサートが終わったあともう一度会いたいわ
そう言うつもりだった。
鏡に写る男は、スマートフォンで誰かと連絡をとっている。
違う恋人?と、聞いてみたくなる。
からだだけの関係と割りきって付き合い始めたのに、女は男に夢中だった。
ピアニストとして活動を始めた頃にイタリアで出会った男は、日本人らしからぬ体格と顔つきの、精悍な男だった。
曾祖母がイタリア人なのだと聞かされ、親近感がわいた。
女の国籍はオーストリアだが、祖父がイタリア人だった。
男はスマートで、女の扱いにも慣れていた。
食事を振る舞うため部屋に招くと、必ず花とワインを持ってきてくれた。
なんとも言えぬ、危険な雰囲気を纏っていると思った。
友人からはあの男はやめたほうがいいと言われた。
あいつは日本のマフィアの男だと忠告を受けた。
だが、やがてからだの関係を持つようになった。
自ら望んだことだった。
男の、逞しい体に包み込まれる心地よさと、女であることを思いしらされる男の激しい抱きかたは、この上もない悦びを与えてくれた。
ずっと、このままでいられたら。
ピアノを捨ててもいい。
彼のそばにいられたら・・・。
そんな夢を見ていた。
そんな夢を見てどれだけの月日が流れただろう。
女はピアニストとして成功をおさめ、世界中でコンサートを開催できる地位に上り詰めていた。
それでも、男に対する気持ちは変わっていなかった。
そばにいられるならこの地位を捨ててもいい。
男の生まれ故郷である国、日本で初めて開かれるコンサートに、男も祝福をしてくれた。
一流ホテルに招いてくれ、お祝いのプレゼントだと、ダイヤのネックレスとイヤリングを贈ってくれた。
二人きりで豪華な食事とワインに酔って、貪るように抱き合う。
幸せの瞬間━━━━
翌日、コンサートの日は雨が降っていた。
専用のタクシーで会場まで送ってくれると男は言った。
━━━雨だわ。あなたと会った日を思い出すわ
━━━雨の日だったか・・
男は窓の外を見た。
━━━そうよ。忘れてたのね。ひどいわ。コンサートが終わったら・・
言いかけたときに男は窓の外に何かをみつけ、車を止めさせた。
━━━すまない、会場にはあとで行くよ
━━━京・・!?
そう言ってタクシーの運転手に、会場までにはじゅうぶんすぎる料金を渡して、男は車を降りて走り去った。
走って向かった先に女性がいた。
急にひどくなった雨にビルの入り口で雨宿りをしている。
大きな花束を抱えている。
男はポケットからハンカチをとり、彼女の頭や顔を拭き始めた。
コンサートが終わったら、もう一度会いたいわ
伝えられなかった言葉は行き場を失う。
「もう一度会いたかったわ。本当に・・」
飲み込んだ言葉と共に女はコンサート会場へ向かった。
さようならなのね、きっと。
いつのまにか、あなたは・・・
「どうしたんですか?雨が降ってるのに」
京司朗は花束を抱えてずぶ濡れになっているみふゆに問いかけた。
「まさかこんなに降るとは思わなくて・・」
「配達先は?」
「配達日が明日だったので帰るところです」
「・・・・・・・」
「間違えたのは社長ですよ!わたしではありません!・・・えっくしゅん!」
くしゃみをしたみふゆに、京司朗はハンカチを手渡した。
「鼻水を拭いてもいいですから・・・」
手のかかるお嬢さんだな・・・
京司朗は思いつつ、
「いま車を呼びます」と、電話を取り出した。
━━━━さようなら
声が聞こえた気がして、京司朗は降りた車を振り向いたが、そこには通りすぎて行く、知らぬ車の列しかない。
京司朗は屋敷に電話をし、車を呼び寄せた。
「あ、虹だ」
みふゆが空の遠くを見つめてつぶやいた。
京司朗はみふゆの視線の先を見た。
ビルとビルを結ぶように大きな虹がかかっている。
「いいことがありますよ、きっと」
みふゆがくったくなく笑った。
「・・・そうですね」
みふゆの笑顔につられ、同意の答えを京司朗は返した。
虹を見たからいいことがあるだろうなど、以前は考えもしなかったはずだが・・
京司朗は自嘲気味に笑った。
けれど・・・、たまにはいいだろう・・・。
みふゆは虹の美しさと大きさに瞳を奪われ佇んでいる。
京司朗はそれにつきあった。
雲の切れ間から青い空が見えている。
雨はもうすっかりあがっていた。
end




