異世界帰りは無職
実に四年と二ヶ月──。
今まで生きてきた人生の約五分の一を占めるその期間、俺は異世界にいた。
突拍子の無い冗談でも何でもなく、紛うことなき事実だ。
実際に俺、三河千寿は十六歳から二十歳までの期間を地球とは何もかもがかけ離れた世界、アルスヘヴンで過ごした。
アルスヘヴンを形容するならば、魔法と戦争の世界。
そんな世界で俺は傭兵として生きた。
というよりも、俺のような身寄りも後ろ盾も無いような人間はアルスヘヴンでは傭兵になって戦争で死ぬか、飢えて野垂れ死にするしかなかったのだ。
だから前者を選んだ、それだけ。
飯を食う為に殺す、殺されない為に殺す。
そんな殺伐とした日々を四年も続けたある日のこと。
激しさを増す戦場の中で、兎に角死なない様に立ち回っていた俺の視界に黒い渦のようなモノが映りこんだのだ。
それは四年前に俺の前に現れて、俺をアルスヘヴンに送り込んだモノと同じだった。
半ば反射的に俺の足はその黒い渦へと向かっていた。
降り注ぐ魔法を躱して、邪魔する敵兵をぶっ殺して必死の思いで黒い渦に辿り着いた俺は、後先考えずにそれに飛び込んだ。
何の保証も確証もありはしないが、他の選択肢は俺にはなかった。
結果は成功。
無事、俺はアルスヘヴンという地獄を脱し、地球に戻って来ることが出来たのだ。
そして晴れて、中卒無職の二十歳男性が出来上がった。
アルスヘヴンで嫌と言うほど学んだ事だが、現実というやつは何よりも残酷である。
俺が過ごした死ぬ程否、死んでしまいそうな程に濃密だった四年二ヶ月というアルスヘヴンでの時間は地球でも寸分違わず経過していたということだ。
平和な日本で高校生がある日急に、家族に何も言わずに居なくなったなんてことになれば当然捜索願いやらなんやらが出される訳で。
警察の方々が必死に捜索してもなんの手掛かりも見つからなかった俺はどうやら拉致か誘拐によって失踪したという扱いになっていたらしい。
そんな俺が無事に還って万々歳のハッピーエンド。
……で終われば良かったのだが現実は甘くはなかった。
二十歳ともなればいい大人だ。
学生でも無い限りは勤労して納税する義務が発生するものである。
中には心身に何らかの事情があって働けない人や、親か優しい彼女の脛を齧って暮らしている男もいるにはいる。
だが心身共に健康な俺にその考えは思い付かなかった。
働かなければならない。
学歴も職歴も無い俺なのだが、それでも働いて最低でも自分一人くらいは養っていかなくてはならないのだ。
両親と兄貴は働かなくても生きていてくれたらそれで良い、それだけで良いと言ってくれている。
だが、俺がいなくなった四年の月日の中でいつの間にか兄貴は結婚していて、奥さんのお腹には新たな生命が宿っていたのだ。
いつの間に。
未来の姪っ子か甥っ子に「叔父ちゃんは何でお仕事していないの?」なんて純粋無垢な疑問をぶつけられてしまえば俺のハートは間違いなく音を立てて砕け散ってしまうに違いない。
地獄より過酷なアルスヘヴンで生き抜いて来た俺の鋼のメンタルでも木っ端微塵だろう。
故に、俺は訪れていた。
公共職業安定所、通称ハローワークに。
「時間がかかっても良いから、ある程度はちゃんとした所を選びなさい」
今朝、食卓で自分の焼いたトーストと自分の淹れたコーヒーを嗜む親父の言葉には俺も概ね同意している。
因みにお袋はまだまだ爆睡していた。
少し変わった仕事をしている人なので生活習慣がいまいち定まっていないのだ。
そんなこんなで俺は今ハローワークのパソコンで仕事を探している。
『学歴不問』という条件で探しているのだが、家から通える仕事で良さそうなものが見つからない。
ああでもない、こうでもないとパソコンの画面と二時間ほど睨めっこしていたのだが学歴も職歴もおまけに運転免許もない俺にはろくな仕事は無さそうだった。
都会でも何でもないこの近辺では働く上では運転免許くらいは必須ということなのだろうか。
……しょうがない、親に頼んで教習所の金を借りる所から始めよう。
そう思ってハローワークを出る。
そして駐輪場に停めてあったお袋に借りたママチャリに跨ろうとしたその時だった。
ママチャリのカゴに一枚の手紙が入っていたのだ。
「悪戯か何かか?」
怪訝に思った俺は手紙を手に取る。
ご丁寧にも傍からは文章が読めないように裏向きにされていた、姑息なことにな。
「何なに……?」
『拝啓 三河千寿様
このような無礼な連絡方法で誠に申し訳ございません。
ハローワークに来られたということは、お仕事を探されているということでよろしいでしょうか?
まだお決めになられていないのならば、弊社に興味はございませんか?
詳しい業務内容は直接口頭で説明させていただきたく思いますが、最低でも年間一二五日の休日と研修期間後は手取りで三十万超の給与を約束させていただきます。
興味が湧かれたのならば、下記の連絡先までご連絡下さい。
お待ちしております。
TEL 08X-XXX-XXXX』
手紙の内容は怪しいなんてものでは無かった。
まず俺の名前は兎も角、乗ってきた自転車まで知っているというのは不気味がすぎる。
それに弊社弊社と企業であることを匂わせておきながら会社名が何処にも載っていないなんてこと有り得るか?
後、勧誘しておきながら直接会わないと業務内容が言えないなんて怪しいを通り越して最早妖しい。
もしかして妖怪の仕業……?
そんな馬鹿な。
……取り敢えず電話してみるか。
しょうがないだろう!
それ程に、年休一二五日と手取り三十万は魅力的過ぎたのだ。
やらない後悔よりやった後悔ってひいばあちゃんも言っていたからな。
まああったことないんだが。
電話してみて、悪戯か詐欺の類だったら諦めて自動車学校に通えば良いのだ。
たっっっぷりとお灸を据えてな。
詐欺師とかならある程度纏まった金も持っているだろう。
敗者の財は勝者の物。
アルスヘヴンの不文律だ。
日本でそんなことすれば犯罪だが、相手が犯罪者ならバレないようにすれば問題ない筈。
そういう訳でダメ元で俺は電話番号を入力し、発信した。
プル『魔法結社ハイドランドです!』
出るの早いな!
まさに一瞬という言葉が相応しいスピードだ。
……というか魔法結社ってなんだ、やっぱり悪戯か?
ひとまず名乗ってみるか。
「あ、手紙を頂いた三河です」
『お電話お待ちしておりました!直ぐに迎えの車を向かわせますのでそちらで五分程お待ちください』
「え?あぁ、はい」
『それでは失礼致します』
矢継ぎ早に受話器の向こう側の女性は言葉を並べると、静かに電話を切った。
色々と唐突過ぎて状況が上手く把握出来ないのだが、五分待てば迎えの車とやらが来るらしいので、そこから考えるとしようか。
……これで黒服サングラスの集団が来たりしたらどうしよう……。