97 オートヒールの聖女と魔王
元の世界に帰還した瞬間、目の前の光景に、二人に動揺が走る。
世界に起きている異変のことは知っていたため、魔王城を襲う激しい揺れそのものに驚きはない。
問題はロークの研究室の状態にあった。
「まずい、部屋が崩れかけてる……!」
壁面、天井にヒビが入り、実験器具が床の上に散乱する惨状。
このままではいずれ、転送装置もマルーガも巻き込んで崩壊してしまうだろう。
「魔王様たち、まだ来ない」
「なにしてんの、あの二人! 早くしなきゃ世界が終わっちゃう! いや、それ以前に、もう戻ってこられなくなる……!」
(魔王様、やっぱりアレってそういうことだったのね……)
主の真意を悟るアイリとは違い、リフレの言葉を字面通りに受け取ってしまっていたニル。
彼女は限界まで待つつもりだったが、しかし二人はいくら待っても姿を見せない。
そのうちに部屋の崩壊も進行してゆき……。
「二人とも、戻っていたのかい!?」
様子を見に顔を出したロークが、二人を見て驚きの声を上げた。
「ここは危険だよ、早く避難するんだ」
「ふざけんな! まだリフレたちが……」
「ニル。あの二人、いくら待っても来ない」
「なんで!? なんでアイリにそんなことが――」
「危険だと言ってるだろう、来るんだ」
「だから! 装置を守らなきゃ、リフレが帰れなくなるだろ……!」
聞く耳を持たないニルを研究室の外へと引っ張るロークとアイリ。
やがて研究室全体に亀裂が行き渡り、崩落を始める。
「離せ、離せって! リフレぇぇぇぇぇぇっ!!!」
ガレキに埋もれていく転送装置とマルーガ。
手を伸ばしてももう遅い。
異界への扉は研究室の崩落とともに消えていく。
そして数分後、世界の崩壊は突如として停止する。
地割れも海の裂け目も、まるで神が見えない糸でつなぎ合わせたように修復され、これまでの日々がウソだったかのように、世界に平穏がおとずれた。
〇〇〇
「――かくして世界は二人の女神により、糸で紡がれ平穏を取り戻した。じつに108年の昔である」
王都リフライア、中央協会の大聖堂。
白き天使の翼をもつ不死の聖女ニルが紡ぎ出す救世譚へ、聴衆たちは一心に耳をかたむける。
「二人の女神は、今日も天上から我らを見守っている。彼女たちに感謝を、平穏無事な日々に感謝を」
「「「感謝を」」」
見つめあう二人の女性が描かれたステンドグラスへ、彼ら彼女らは祈りをささげる。
その中に、魔族と人間の垣根はなく。
「聖女様、本日の説法も素晴らしいものでした」
「んー、もう慣れっこだし。さすがに100年近くやってるとね」
説法を終え、堅苦しい法衣を脱ぎ捨てるニル。
修道女に脱ぎたてを適当に渡すと、普段着へと早着替えする。
「今日も魔王様のところへ?」
「そ。がんばったご褒美。いいでしょ?」
「かまいませんが、夕方の説法までには戻ってきてくださいまし」
「わかってるって、それじゃ」
裏口から飛び出し、翼を広げて飛んでいくニル。
行き先は街の中心に鎮座する、魔王城だ。
「西方面の開拓は、引き続きそなたに任せる」
「ははっ!」
小さな体に不釣り合いな玉座に腰かけ、ひざまずく魔族へ指示を出す少女。
彼女のひざの上には、黒いクマのぬいぐるみが腰かけている。
魔族が謁見の間を退室したあと、彼女はかたわらに立つ側近たちに愚痴をこぼした。
「アイリ、つかれた。そろそろきゅーけー」
「なりませぬぞ、魔王様! 次の謁見は人類側の子爵殿!」
「いいじゃないか。魔王様がやりたくないとおっしゃっているんだ。僕らで充分に片付く案件だと、そう思うがね?」
脂汗をぬぐう小太りの魔族に対し、細身の学者風な魔族がまぁまぁ、となだめる。
そのうちに魔王はぴょんっ、と玉座を飛び降りた。
「そーいうわけでローク、エゾアール、あとまかせた。アイリお昼寝」
「はいはーい、ご安心してお任せをー」
「あぁぁぁ、胃が……。自由すぎる魔王様に、私の胃がぁぁぁあぁ……」
自室に戻った魔王――アイリは、さっそくベッドにダイブ。
ふかふかの布団とマットレスに包まって眠りに落ちようとしたとき、バルコニーへと飛んでくる見知った顔が目に入り、むくりと体を起こした。
「アイリ、いる?」
「いる。ここー」
「よかった、いいタイミングだったね――っと」
バルコニーに着地したニルに、勢いよく抱き着くアイリ。
彼女を抱きとめてクルクル回ったあと、二人は唇を重ねた。
「むふっ。糖分補給」
「絶望、出てないと思うけど」
「なんらかの成分は補給可能」
「何言ってんだか」
バルコニーの柵に体重をあずけ、眼下の景色をながめるニル。
かつて王都のあった地に新しく建てられた新王都リフライアは、世界を救った二人の女神から名をつけられた。
人類、魔族ともに絶滅寸前にまで追い込まれたあの日、あのとき。
世界がつながれたと同時に、人々を白の異形に変える物質もこの世界から消滅し、生き残った者たちは少しずつ復興を始めた。
少しずつ、少しずつだが力を合わせ、街を作り、だんだんと人口も増えていき、そして108年。
新たな王都リフライアには、ようやくかつてと同等の活気が戻りつつある。
とはいえ、全人類の9割がこの王都に住んでいる現状。
まだまだかつての世界には程遠い。
「アイリ、とってもつかれてるの。魔王業、とんでもなく多忙」
「やりたいことだけやっていたいタイプだもんね、アイリって」
現在、王都を治めているのは魔王アイリだが、家臣には人間も数多い。
いずれは人間の誰かに王位を押し付け、気ままに暮らしたいと考えているようだ。
もっとも、腹心の二人が許さないだろうが。
「やりたいこと、か。あたしは会いたいな、リフレにさ」
「ニル……」
「会えるかな。こうして生きてたら、いつかまた会えるかな」
「会える。たぶん。おそらく」
「なんだよ、もっと自信持ってよ」
「人の上に立つ者に、無責任な発言など許されない。……でも、うん。生きてれば、きっと会える」
「そうだね、きっと……」
青い空を見上げ、思いを馳せる二人。
女神となったあの二人は、きっと今も世界を、自分たちを見守っている。
(いつか会えるその日まで、見守っててね……。きっと、きっと会いにいくからさ……)
〇〇〇
「リフレ、見てよコレ! ニルとアイリがキスしてる!」
「やめなさい。神様だからってなんでも覗いていいわけじゃありません」
「ケチー」
「ケチじゃないです! あなただって覗かれたら嫌でしょう!」
「別にぃ、むしろ見せつけてやったらいいじゃん。……こんな風に」
「ちょっ――んんっ! ……もう」
「へへっ。……あっ、あたしらの話してるよ! ――うん、うん。えへへ、なんかうれしいな……」
「そう、ですね。また会えたら、いいですね」
「会えるよ、絶対に」
「無責任な発言ですね」
「もうとっくに魔王じゃないからいいもーん」
「神様でしょう!? まったく。……でも、そうですね。会えます、絶対に。その日まで、ずっと見守っていますからね……」
本作はこれにて完結です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
地の文をかつての一人称に戻したり、独特な舞台設定にしてみたりと、自分の中では挑戦的な作品でした。
楽しめていただけたなら幸いです。
新作は24日、水曜日から開始する予定ですので、よろしければそちらの方もよろしくお願いします。
追記:新作の連載を開始しました。