96 もう二度と裏切らせない
はるか上空で起きた爆発を、ライハとアイリが目視することはなかった。
彼女たちがニローダの死を、勝利を知ったのは、降下してくるリフレとニルを目にしたとき。
白い翼をはばたかせて舞い降りる彼女たちは、白の異形などとは程遠い、伝承に伝わる本当の天使のようだった。
「リフレ、おかえり!」
「ただいま戻りました!」
腕を広げて迎えるライハと、その胸に飛び込むリフレ。
二人の様子を横目で見ながら着地するニルに対して、アイリは何やら不満げだった。
「やったんだね。全部、終わったんだよね」
「えぇ、これで全部が――」
『みなさん、大変です!』
その時、緊迫感あふれる声が響く。
声の主はエメルダ。
半透明の小さな彼女が、血相を変えて通信機から飛び出す。
「び、びっくりした……」
「何事です!?」
『ニローダを倒したことで、現実世界に予期せぬ影響が出ています! このままでは――』
〇〇〇
天空に存在する魔王城に、地震など存在しない。
足元が揺れることなどありえない、はずだった。
ゴゴゴゴゴ……!
「な、何事だい!?」
精神世界への転移ゲートを見守っていたロークは、突如として訪れた大きな揺れに目を丸くする。
さしもの天才かつ変人といえど、起こり得ないはずの事象に対してはさすがにうろたえるようだ。
「ローク、大変だよ! そ、外を見てくれぇ!!」
「エゾアールか、何が起こっている? 簡潔にまとめて説明してくれたまえ」
「説明するより外を見た方が早いんだよっ! とにかく急いでおくれ!」
青ざめ、半ばパニックを起こしている四区長に連れられて、しぶしぶバルコニーへと出るローク。
そこで彼は、自らの正気をうたがうような光景を目にする。
「これは……、この世の終わりかな?」
果たして、彼の感想はまったくもって的を射たものだった。
もっとも、海が割れ、島が沈んでいき、雲上に悲鳴と怒号が満ち満ちた地獄絵図。
誰が見ても、同じ感想を抱くだろうが。
〇〇〇
エメルダのドームに戻ってきたリフレたちもまた、この光景をモニター越しに眺めていた。
「いったい……。いったい何が起きているのです……!」
「わかるように説明して。手早く、今すぐに」
ライハの促しにうなずき、エメルダは語り始めた。
血の通わぬはずの顔を青ざめ、大粒の汗を額に浮かべながら。
「かつてこの星を襲った災厄によって、大地は『縫い合わせ』なければ崩壊してしまうほどの深刻なダメージを負いました。放っておけばバラバラに砕けてしまう星を縫う、莫大な魔力でできた『縫い糸』。それをキープしていたのが、私とニローダの二体の『管理プログラム』だったのです」
「つまり、縫い糸の片割れが消えたってこと、だよね……?」
「誤算でした。我々『管理プログラム』にすら秘匿されていたもうひとつの役割。あまりにも重大な秘密であったためか。――あるいはニローダにだけは知らされていたのでしょうか」
エメルダのつぶやきを受けて、リフレの脳裏をニローダの最期の言葉が流れていく。
『終わる。我が合理が、世界が、使命が』という、最期に残していった言葉が。
「世界が、終わる……。ニローダ、最期にそう言い残していました」
「クソっ、アイツ知ってたんだ!!」
「ニル、リフレ。今はどうするべきかを考えないと。エメルダさん、なにか方法はないの?」
「方法……。方法ならばあります。ニローダと同等かそれ以上の魔力の持ち主、あるいは同質の力を持つものであるならば、あらたな『神』――世界を縫う糸になれるでしょう」
「では、わたくしが――」
「ただし! ニローダや私、それに古代人たちと同じ存在にならなければなりません。すなわち、肉体を捨てて不死の精神生命体に。もう二度と元の世界に戻れない。その覚悟、ありますか……?」
「そ、それは……っ」
リフレですら、とっさに言葉に詰まってしまう。
しかし、やらなければ世界がなくなる。
迷っている余地などなかった。
「……いえ、やはりやらせて――」
「同質の力を持ってればいいならさ、あのマルーガってヤツでいいんじゃない?」
「……マルーガ、ですか?」
転送装置の電源として使われているマルーガならば、確かに可能性はある。
エメルダも、多少首をひねりながらもうなずいた。
「彼ならば、あるいは。魔力の量に関して少々心もとないですが、増幅措置を施せば可能だと思います……。しかしライハさん? その方法は――」
「よし決まり! いったんみんなで現実世界にもどって、アイツを連れて来れば解決だ。ほらほら、急ぐよっ!」
「あっ、ちょっと……!」
「魔王様、ごーいん」
エメルダの続く言葉をさえぎるように、三人の背中を押してドームを出ていくライハ。
明るい調子でふるまいつつも、しかし彼女の浮かべる笑顔は、どこかさみしげにも見えた。
一行は全力疾走の末、一分足らずで転送ゲートの地点まで戻ってきた。
現実世界が不安定なのか、マルーガの魔力が減っているからなのか、ゲートとなっている光の円は大人一人、子どもで二人程度しか乗れないほど小さくなっている。
「リフレ、先に行かせてもらうね」
「……えぇ」
「魔王様、アイリもお先」
「うん、行っといで。……あ、次期魔王さ。アイリにしようと思ってんだけど、受けてくれる?」
「かなりの重荷……。よーけんとー」
「ははっ、考えといて」
「じゃ、またあとで」
軽く手をふってから、二人はいっしょに円に乗った。
次の瞬間、現実世界へと転送されていくアイリとニル。
二人を見送ると、今度はライハがリフレを急かす。
「さ、リフレ。急がなきゃだから、さっさと乗った乗った!」
「……はぁ。わたくしは騙されませんよ?」
深い深いため息。
あなたの考えなどお見通しです、と言わんばかりに彼女はライハをジト目でにらんだ。
「転送装置のカギになってるマルーガを連れて、どうやってこっちに来るつもりなのですか」
「あはは……。バレちゃった」
「今回もまた、あなた一人が犠牲になるつもりなのですね?」
「……結局さ、あたしは魔王であると同時に、どこまで行っても勇者なんだ。人助けの趣味が高じてこんなことになっちゃった、これがあたしなんだよ」
「だからって、わたくしが見過ごすとお思いですか?」
「んー、思わない。だから――」
シュンッ!
雷鳴のような速度でリフレの背後に回り込むライハ。
そうしてあの時の、リフレを棺に押し込んだあの時のように、ポンと背中を押す……はずだった。
ガシッ!
しかし、その手はリフレにガッシリとつかまれる。
「……まいったね。あたしの全力の速度に軽々とついてこれちゃうだなんて」
「もう二度と、あなたに裏切らせません。離ればなれになるなんて、未来永劫御免こうむります」
「元の世界、もう戻れなくなるんだよ? せっかく平和になった世界で、いろんなところに行けるのに」
「あなたが横にいなければ、そんなものに意味なんてありません」
「愛されちゃってるなー、あたし」
「当たり前です。知らなかったんですか?」
「あははっ。……じゃ、行こうか」
「えぇ。二人で共に、『世界を繋ぐ糸』になりましょう」




