89 目覚めた力
あるいはサンティに知能があるのならば。
宙に浮かぶニルの背に生まれた四つの翼に、クタイの面影を見ただろう。
あるいは、自らを蹴り飛ばした一撃の重さに、先ほどまでとの明確な違いを感じ取っただろう。
しかしサンティの思考を埋めるのは、手痛い反撃を受けた怒りのみ。
力と速度にものを言わせて殴りかかる単調な攻撃は、自分よりも身体能力に劣る相手ならば有効な手段。
だが、同等のパワーとスピードを持つ相手には。
「グルゥァッ!!」
苛立ちを隠さぬまま距離を詰めるサンティ。
間合いに入った瞬間、すさまじい拳の乱打を繰り出す。
が、当たらない。
ニルは攻撃を完全に見切り、最小限の動きでかわしていく。
(……見える。全然当たる気がしない。どうしたんだろ、急に)
怒りに取りつかれた獣とは真逆。
自分でも意外なほど、ニルは落ち着いていた。
あるいは怒りの頂点を通り越してしまったのか。
ともあれ彼女は攻撃をかわしつつ、自分の身に起きたことを冷静に分析していく。
(体の変化――パワーもスピードも今までとケタ違いだ。それに――)
サンティの舌によって何度も打たれ、出来たはずの痛々しい傷が、いつの間にか消えている。
傷の痕跡も痛みも、ウソのようになくなっている。
(これって、まさか……)
彼女の脳裏に、とある可能性が舞い降りた。
どうしてそうなったのか、原理こそわからないが。
(試してみるか)
幸いにして、一撃を受けたところで全く問題ない自信がある。
「おい、バケモノ。特別サービスだ。一発もらってやる」
突如、動きを止めるニル。
バギャァっ!!
その顔面に拳が命中し、彼女は縦方向に回転しながら着地した。
獲物をしとめたと思ったのだろう、サンティの口元が愉悦にゆがむが、
「……ペッ! ふー、やっぱり」
血を吐き出し、顔を上げたニル。
その殴られた跡が、みるみるうちに消えていく。
「ガぁっ!?」
さすがのサンティとて、目の前の光景に驚く程度の知能はあった。
驚きと戸惑いを振り払うように、異形は拳を振り上げるが、
「二発目なんて許可してないけど」
パシィっ!
「ぎゅ、ギュルェッ!?」
ニルの細腕が、左手一本で軽々と受け止める。
「……っていうか、もういいよ。お前なんかにかまってるヒマなくなったから――」
ドボォッ!!
「がぼっ……!!」
腕を離すと同時、みぞおちに右の強烈な一撃を喰らわせる。
吹き飛び、壁に大の字にめり込むサンティ。
ニルはまるでゴミを処理するように淡々と、右腕を砲門に変え、
「消えろ」
ドォォォォォッ!!!
極太の魔力砲撃を放った。
「ギ、ギィィいぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
サンティの巨体を包み込み、なお有り余るほどの金色の光。
圧倒的な破壊の奔流は、持ち前の自動再生すら追いつかない速度で肉体を崩壊させていく。
そして照射開始から数秒後。
白の異形のオリジナルであるサンティは、肉片ひとつ残らずこの世界から消滅した。
魔砲撃を止めると、壁に焼き付いたサンティのシルエットが現れる。
この世に存在した唯一の痕跡に、しかしニルは目もくれず、倒れたままのアイリへと視線をむけた。
「……よかった、まだ――」
死んだ魔族は灰になり、死体を残さず消えていく。
ところがアイリの体は、まだ横たわったまま。
つまり。
「まだ、生きてる……!」
致命傷を負いながらも彼女がここまで生き永らえていた理由は、ニルから受け取った絶望にあった。
アイリを喪う、あまりに深く大きな絶望。
その栄養素が彼女の命をここまで、かろうじて保たせていたのだ。
しかしそれも時間の問題。
何も治療をしなければ、このまま死んでしまうだろう。
だがニルには、彼女を助けられる確信があった。
「待ってて、今治すから……!」
アイリに駆け寄り、その体に触れる。
流し込むのは癒しの魔力。
サンティと――リフレと同じ、オートヒールだ。
「……っ」
慣れない治癒の魔力コントロールに苦戦しつつも、アイリの腹部にあいた大穴はだんだんとふさがっていく。
(やっぱり。あたしに目覚めた力って、サンティとそっくりおんなじなんだ……)
なぜ彼女がサンティと同じ力を得られたのか。
ニルには知る由もないのだが、サンティはニローダに従う三体の、ひいては全ての『天の御遣い』の素となった存在。
人間を天の御遣いへと変化させる物質も、サンティ由来のもの。
あらゆる白の雑兵に、サンティの因子が含まれている。
それがニルにだけ覚醒した理由こそ、ニローダが軽視した感情の爆発。
感情も意思も奪われた通常の『天の御遣い』には決して起こり得ない現象だった。
「お願い、治って……! 間に合って……!」
ゆっくり、ゆっくりと小さくなっていく腹の傷。
彼女の命が尽きる前に傷口をふさがなくては。
あせる気持ちをおさえ、慎重に魔力を流し続け、そして。
「……う、んぅ……?」
傷がふさがり、アイリが静かにまぶたを開く。
「……あら? ニルじゃない。どうしたのかしら、泣きそうなお顔」
「だって……。だって……っ」
アイリの体を抱きしめるニル。
記憶が混濁しているのか、状況をいまいちつかめないながらも。
「……よしよし。がんばったのね」
彼女はごほうびに、ニルの頭をなでなでした。




