78 世界の壁を越えて
ロークの研究室、その中央。
マルーガの体から伸びたチューブがつながれた台座のような機械が、甲高い音とともに起動する。
中心に描かれた魔法陣のような文様が輝きを放ち、居並ぶ面々の顔を青く照らした。
「魔王様。これが本日完成いたしました、別世界への転送装置です」
「お疲れさん。問題なく動作するんだよね?」
「抜かりはありません。まずは実験用のマウス、それから魔族兵数名で転送実験を行いましたので」
あちらの世界に転送し、三十秒ほどで戻ってくるというごく簡単な任務。
しかし、それをこなした魔族兵は部屋の片隅で頭を抱えて震えている。
次元の彼方に投げ込まれる恐怖に負けてしまったのだろう。
同じ任務をこなしたハツカネズミのつぶらな瞳が、かたわらに置かれたゲージの中から彼らを不思議そうに見つめていた。
「……自分で試してみなかったんだ」
「とんでもないですねぇ。万に一つもこの天才的な頭脳が失われては、世界の損失です」
「相変わらずムカつきますね。無理やり投げ込んでやりましょうか」
「正論だろう?」
「正論なのが余計にムカつくんです」
リフレの額に青筋が浮かぶ。
たしかにロークの技術がなければ、この状況からの再起はおろか現状維持すら不可能なのだろうが。
言うなれば、お前の態度が気に入らない、である。
「まぁまぁ、コイツ相手に余計なエネルギー使わない方がいいって。これから、何が起きるかわからないんだからさ」
「何が起きても、リフレはあたしが助ける」
決然と、そう宣言したのはニル。
『リフレを助けてやってほしい』
師匠が託した最後の願いを叶えるために、彼女にもう迷いはなかった。
「だったらアイリは、ニルを助けるの」
ぴったりと体を寄せて、包帯を巻いた左腕でニルのほほをなでるアイリ。
彼女もまた、ニルのために危険を冒すことにためらいなど持ち合わせていない。
「ほら、ロロちゃん人形マーク2もやる気まんまん」
右腕に抱いた包帯だらけのクマのぬいぐるみが、アイリの動きに合わせて上下に揺れる。
破損した前ロロちゃん人形に代わって開発された新鋭機だ。
「……うん。たよりにしてるから」
「むふっ」
アイリが満足そうに笑うと、二人は手をつないで転送装置の台座の上へ。
「リフレ、あたしたちも」
「はい……!」
続いてリフレとライハも装置に乗り、全員の準備が完了。
操作盤の前に座ったロークに、ライハが目で合図を送る。
「えー、どうやら皆さん準備も覚悟も完了したようで。転送、開始してもよろしいですかな?」
「もとより、覚悟はできています」
リフレの言葉に続き、うなずくニル。
アイリもニルのそばを離れようとしない。
「ではでは。行ってらっしゃいませー。……ご武運を」
カチっ。
転送開始のボタンを押すと、装置の発する光が一層強くなり、四人の姿を覆い隠していく。
マルーガの体から吸い上げられた魔力がケーブルを通して装置に満ち、目もくらむほどの輝きが室内を満たした次の瞬間。
発光がおさまり、四人の姿はその場から――この世界から消えていた。
〇〇〇
リフレたちの視界を埋め尽くす光。
あまりのまぶしさに目を閉じ、次に開いたとき。
彼女たちが立っている場所は、先ほどまでの研究室とはまるで違っていた。
漆黒に塗りつぶされたような、一点の光も見られない空。
対照的にかすかな光を放つ、白いタイルのような地面。
彼女たちの知る世界とはあまりに異なる光景が、そこには広がっていた。
「ここが……、ニローダの世界……?」
「みたいだよ。ほら、見て」
ライハが指をさした先、白い地面の上を淡い光が移動している。
よくよく目をこらせば、それは全身が白の羽毛に覆われた異形。
『天の御遣い』そのものだ。
「襲ってくる気配はないみたいだね。ただフラフラ歩いてるだけっぽい」
「かえって不気味ですね。ともかく、あんなものがうろついているということは……」
「うん。間違いなく、ここがニローダの世界だ」
「……ということは、わたくしたち。今、精神体になっているんですよね」
肉体の感覚は、以前とまったく変わらない。
触れればそこにあり、これまで通り自在に動かせる。
「不思議です。全然そんな感じないのに……」
ロークいわく、精神体が有機的な肉体を手に入れることは不可能。
しかし、有機的生命体の中には、魂とも呼ばれる精神エネルギーが備わっている。
よって精神体にもなれる、らしい。
「難しいことなんて置いとこ。これまでと変わらず動ける、それで充分だ」
「……ねぇ、リフレ。こっち来て、アレ見て」
リフレたちから少し先に行ったところ、小高い丘のような場所に立ったニルが、こちらを手招きしている。
「何かあったのですか?」
「うん。ほら、アレ」
ニルが指し示す先、天を貫くほど巨大な純白の塔がそびえ立っている。
距離感覚が狂うほど巨大なため、正確にどの程度離れているのかはわからないが、見える範囲にあの塔以外のものは何もない。
「……ライハ、どうします?」
「行ってみよう。あてもなく進むよりずっとマシだし。それにもしかしたら、アレがヤツの住処かもしれないし、ね」