77 母の想い
廃墟に並ぶ朽ちた長椅子、割れたステンドグラス。
ガレキや木クズが床に散乱し、崩れた壁から月明かりが差し込む。
かつて信徒たちの祈りの場となっていた礼拝堂は見る影もなく、しかしリフレにかつての面影を確かに感じさせた。
礼拝堂から奥に進むと、リフレたちが暮らしていた居住スペースへと続く。
ここも荒れ果ててはいるものの、建物の奥にあるためか礼拝堂よりは原形を保っているようだ。
あちこちに穴があいた廊下を一歩一歩進むたび、ギィギィと床がきしむ。
「こ、この床、今にも抜けそうだね……」
「体重移動に気をつければ問題ありません」
猫のようなしなやかな足取りで、スイスイ進むリフレ。
その後ろをキョロキョロしながらついていくライハは、どことなく嬉しそう。
「にへへ……」
「なんですか不気味な笑いを漏らして」
「だって、リフレの部屋に行くだなんてドキドキしちゃうじゃん」
「荒れ果ててますが。きっと何も残ってませんし。そもそも、今むかっているのはわたくしの部屋ではありません」
「へ? じゃあどこさ」
「……ここですね。到着です」
廊下の一番奥にある扉の前で、リフレが立ち止まる。
「ここ? 誰の部屋なの?」
一見すると他の部屋と同じ、なんてことのない朽ちかけたドアだが……。
「大聖母の私室。つまりは師匠の部屋です」
ドアに手をそえながら、リフレは柔らかく微笑んだ。
「そっか、あの人の……」
「ここで暮らしていたころから、この部屋には一度も入れてもらえませんでした。女の秘密が詰まっているから、とかで」
「秘密、暴きに来たわけだ」
「そういうわけでは……。ただ、ロークに聞いても師匠の遺品は一切ないとのことなので、ここなら何か残っているかな、と。――そういうわけなので師匠、お邪魔します」
一言、断りを入れてから、ドアノブをひねる。
錆びた金具がきしみをあげて、ゆっくりと扉がひらいた。
部屋の中はほこりと木くずにまみれ、窓際にわれた窓ガラスが散らばっている。
一歩歩くたび、つもりにつもったほこりが舞い上がり、二人は口元を押さえながら進んでいく。
「けほ、けほっ。やっぱ荒れてるね……」
室内で目に付くものは、足の折れたテーブルとイス。
窓辺で雨風にさらされ、ぼろぼろになったベッド。
そして……。
「なにかあるとしたら、ここですね」
木製の小さな戸棚。
さいわいにして原形を保っており、中に何かが入っているとすれば、保存状態は比較的良好だろう。
壊さないよう、そっと引き出しを引くと、中に入っていたのは小さな箱。
そして、箱の下に敷かれた古ぼけた羊皮紙だった。
「これは……?」
箱を手に取り、ふたを開ける。
現れたのはキラリと光る指輪。
宝石などの飾り気もない、シルバーのシンプルなリングが二つ、入っていた。
「お師匠さんのかな」
「違うと思います。あの人、飾り気なんてありませんもの」
言いながら羊皮紙に目を通す。
流れるような達筆な文字はまぎれもなく師匠の筆跡。
そこに記されていた文章は――。
「……いつか、愛する娘に大切な人ができた時のために」
「これって……」
それは、いつの日かリフレが恋人を連れてきたとき、渡すためのもの。
しかしリフレが封印され、世界も崩壊。
その日が来ることは永遠になくなった。
それでも、このペアリングを捨てることはできなかった。
取りに来ることもないのに、永遠に帰ることのない部屋の戸棚の中にしまい、こうして朽ちにくい羊皮紙まで添えて。
そうまでして、残したかったのだろう。
娘の幸せを願う、親の気持ちというものを。
「師匠……っ」
指輪の入った箱を胸に抱き、肩を震わせるリフレ。
すべてが終わるまで、涙は見せないと誓った。
しかし、止められない。
とめどなくあふれる涙が止まるまで、ライハは静かに彼女の肩を抱き続けた。
「落ち着いた?」
「……はい。ごめんなさい、情けないところを見せてしまって」
「いいのいいの、どんどん見せちゃって」
「……ありがとう、ライハ。あの、これ受け取ってもらえますか?」
リフレはライハへ、ペアリングの片割れを差し出す。
いつか大切な人ができたときのために、師匠が――母がくれた婚約指輪を。
「……あたしでいいの?」
「あなたがいいんです」
「そ、そっか……。じゃあ遠慮なく……っと。せっかく教会にいるんだしさ――」
廃墟となった大聖堂。
崩れ落ちた祭壇の前で、リフレとライハがむかい合う。
「えっと、はい……」
ぎこちなく、リフレの薬指に指輪をはめるライハ。
一方のリフレは、落ち着いた手つきでライハの手を取り、スムーズに指輪をつける。
「どうです? きつくないですか?」
「不思議とぴったり」
「……きっと師匠、予感があったのかもしれませんね。わたくしが連れてくるのはライハだって」
「親公認ってこと? やったね」
「ふふっ。……なんだか、こうしていると結婚式のようですね」
「誰もいないし、ちょーっとさみしいけどね。帰ってきたら、ちゃんとしたのやる?」
「えぇ、そうしましょう。それまでの、仮の結婚式です」
「じゃあ、仮だけど誓いのやつ……ね?」
「あ、もう……。んぅ……っ」
割れたステンドグラスから差し込む月明かりに照らされて、唇を重ねあう二人。
荒れ果てた廃墟に、祝福を送る参列者は誰もいない。
讃美歌も鐘の音も、なにもない。
しかしこの瞬間、まぎれもなくリフレは――彼女たちは幸せだった。
「……リフレ。もう絶対に、裏切ったりしないからね」
「約束ですよ? 絶対の、絶対ですからね」
「うん。絶対」
 




