75 月夜の晩に
誰よりも魔族らしく、誰よりも自由気まま。
魔王の招集に応じないことも多々あり、気の乗らないことは絶対にしない。
そんなアイリがニローダの討伐に名乗りを上げたことに、彼女のことをよく知らないリフレを除いたその場の全員が驚きを覚えた。
あのロークでさえも。
しかし、驚きはしても反対の声は上がらない。
異論もなくアイリの申し出が受け入れられ、会議は何事もなく閉幕。
そそくさと研究室に戻っていくロークを皮切りに、皆それぞれに解散。
当事者のアイリとニルも魔王城を後にして、アイリの住む第三区へと続く道を帰っていた。
「……あの」
月明りの下、雲上の回廊を歩くアイリの横顔にニルが声をかける。
「? なぁに?」
「……っ」
小首をかしげる少女の愛らしさに息を呑みつつも、
「……ホントによかったの? あたしのために、ついてくるだなんて」
確認したいのはそこだった。
ニルの決意は自分の意志だ。
雲の下から引っ張り上げてくれたリフレに恩を感じている。
師匠から最期の頼みとして、リフレを助けてやってほしいと託されもした。
だからリフレたちに同行するのはニル自身の意志。
果たしてアイリに、そこまでの強い意志が、覚悟があるのか。
無いのなら、本当にただニルについていきたいだけなのなら。
命の危険がある戦いに、ただそれだけの気持ちで参加してほしくない。
他ならぬ、アイリのためにも。
「危ないんだし、待ってても――」
「行くの。危ないから行く」
「……危ないから?」
どういうことだろう、危険な場所に進んで行くタイプではないのに。
疑問を抱きつつ、アイリの回答を待つ。
「危ないところにニルが行って、そのまま帰ってこないかもしれない。目の届かないところで死んでしまったら、いや。とってもいや」
澄んだ大きな瞳が、じっとニルを見すえる。
瞳の中心に捉えて、離さない。
「目の届くところにいたい。いてほしい。それがアイリのしたいこと、正直なきもち」
「で、でも――」
でも、と口に出して、違和感を覚える。
なぜ、そこまでアイリに危険な場所へ行ってほしくないのだろう。
アイリは自分より強いのに。
戦力が多いに越したことはないだろうに、と。
「ニルは、アイリにいてほしくない?」
「ぅぐ……っ、い、居てほしい」
口をついて出る、正直な気持ち。
アイリに、そばにいてほしい。
(……あ、そっか。もしかしてあたし、この子のことを大切に思ってる?)
だから、危険な場所についてきてほしくない。
考えてみれば単純な答え。
「むふ。うれしい。うれしいからこうしちゃう」
「へ――んむっ!」
重ねられる唇。
今度は食事目的の吸い付くようなものではなく、愛情表現としてのキス。
「……んっ、ぷぁっ。ごちそうさま」
「ごちそうさま、じゃないでしょ……。今の、違うじゃん……」
「とってもとってもしたかった。だからしたの。いやだった?」
「嫌じゃ……ない」
「むふっ。つまり、ニルもしたかった?」
「したかったとかじゃ……」
どちらともなく手をつなぎ、月夜の空中回廊を歩いていく二人の少女。
ドキドキとうるさく鼓動を刻む心臓と、やけに熱い耳と頬に、ニルは今までで最大の困惑を――しかし不思議と心地よい思いを抱いていた。
〇〇〇
「今のリフレってさ。結界の外に出ても平気なんだよね?」
魔王の私室に戻ったあと、ライハが唐突にそんなことを言い出した。
「はい。わたくしにライハの注いでくれた絶望が――『黒の片翼』がある限り、ニローダは絶対に入ってこられませんが……」
感情を廃したニローダにとって、魔族の持つ感情の塊である絶望は絶対に相いれないもの。
それが体内にめぐる限り、リフレがニローダに乗っ取られることはない。
「でも、どうしてそんなことを?」
「……今度の、最後の戦い。いろんな意味で、戻ってこられる保証はないわけじゃん」
戦いに負けて、というだけでなく、転送に失敗して、あるいは何らかのトラブルでむこうの世界から帰ってこられなくなる可能性は捨てきれない。
もちろん可能性の話。
負けるつもりも異空間の漂流者になるつもりも、これっぽっちも無いのだが。
「転送装置の完成まで、まだ時間がある。それまで、いっしょに外の世界を見て回らない?」
「外の、世界ですか!?」
「そ。なつかしい場所でもめぐってさ。一緒にデートと洒落こもうよ」