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71 別れ




 雲上第三区、共同墓地。

 花が供えられた真新しい墓石に、彼女の名は記されていない。

 ただそこには、『我が師、我が母』とだけ。


 『いい女ってヤツには、秘密のひとつやふたつあるもんさ』

 そんなことを言って笑う師匠の顔が、ニルには昨日のことのように思い出された。


「……名前すら教えてくれないんだもん」


 結局彼女は、自分の名前すら明かさずに逝ってしまった。

 短い付き合いのニルにはもちろん、我が子同然のリフレにも。


「ニル、悲しい?」


 となりに立つアイリが、うつむいて墓石をながめるニルの顔をのぞき込む。


「悲しいよ。だって、知らないとこで全部終わってたんだ。全部、知らないとこで……」


 名前を明かさない老女のことを、師匠師匠と呼ぶうちに、ニルの中でも師匠は我が師のような存在となっていた。

 師匠が抱いてきた苦しみに、理不尽に憤り、クタイに対して怒りを爆発させたほどに。


 先日行われた葬儀で、リフレは一粒の涙も流さなかった。

 棺の中に花をたむける時も、ふたが閉じられる時も、棺が地面に埋められていく時も。


 葬儀というもの自体、ニルにはまったく未知のものであったが、涙するのが普通のことと認識している。

 なぜならその間ずっと、ニルの目から涙が止まることはなかったから。


(なんで、リフレは泣かなかったんだろう……)


 少しの間考えて、なんとなくの答えが見つかる。


(そっか。きっと、別れが言えたからだ。すでに別れを告げたから、涙を流さず見送れた。突然の別れだった、あたしと違って……)


 その時、胸によぎったのはリフレへの小さな嫉妬。

 胸に黒いものが渦を巻き、にぎり拳をふるわせた直後。


「んっ」


「んぅっ!?」


 アイリの唇が、ニルのそれと重なった。


「んくっ、んぐ……っ」


 口の中を吸引されるような感覚と、何かを飲み下すアイリの喉の動き。

 絶望を吸われているのだと気づいたニルは、しかし以前のようにアイリを振り払おうとはしない。

 彼女の『食事』が終わるまで、ただじっと息を止め、幼さの残る少女の顔を至近距離で見つめていた。


「……ぷはっ。ごちそうさま。けぷっ」


 ペロリと唇をなめ、色気すら漂う笑みを浮かべるアイリ。

 自らの欲望にどこまでも正直な彼女の行動を、不思議ととがめる気にはなれなかった。


「とってもおいしい、濃厚な絶望。初めて会った時よりも、ずーっと。あの人、とってもだいじな人だったのね」


「……そうだよ。すっごく尊敬してた。きっとこの先、誰を失ってもこんな気持ちにならない。これ以上の絶望、もう期待しない方がいいよ」


「そうなの……。アイリ、とっても残念。でも――」


「……でも?」


「でも、ニルが悲しい顔してると、胸のあたりがきゅってなる。ニルの絶望とってもおいしいけど、悲しそうなニルを見なくてすむのなら? むむむ」


「……!」


 アイリはどこまでも自分に正直な、魔族らしい魔族だ。

 正直で、裏表がなく、彼女の発言に建前や取り繕いなど何一つない。


 大好物の絶望とニルの悲しみを天秤にかけ、真剣に悩むアイリの姿を前に、ニルの胸の中には今まで感じたこともない感情が芽生えはじめていた。



 〇〇〇



「やあ、魔王様。ご足労いただき感謝します」


 魔王城の中にある研究施設。

 その一室に魔王が入ってくるや否や、ふてぶてしい態度で一礼をするローク。

 なれたことではあるものの、ライハは自分の口から大きなため息が漏れ出るのをおさえられなかった。


「魔王を呼びつけといてその態度。ホント、いい度胸してるよね」


「来ていただく方が効率的ですので」


 主君の機嫌を損ねたか、などという不安はこの男とは一切無縁。

 目すら合わせず資料をあさるその背中に、


「……ちょっとよろしいですか?」


 リフレが声を投げかける。

 ライハの数十倍は不機嫌な声色で。


「んん? ……あぁ、リフレ君。キミもいっしょに来たんだね」


「えぇ。一緒にいたので」


 ライハの居室に呼び出しのメッセージが送られたとき、リフレもともにそこにいた。

 おかげで二人だけの時間が邪魔されてしまったのだが、不機嫌の理由はそれだけではない。


「改めて呼ぶ手間がはぶけたよ。いや結構結構」


「結構、じゃないです。師匠の葬儀に顔、出さなかったじゃないですか。長年の付き合いなのでしょう?」


「葬儀ぃ? そんなもの、研究の時間を割いてまで行くものじゃないだろう」


 なおも背中をむけて資料をまとめていくローク。

 とうとうリフレの額に青筋が走る。


「……ライハ。許可をください。半殺しにする許可を。お願いします」


「まあまあ、おさえて。元々魔族に葬儀をあげるなんて習慣はないんだから。三区でやってるのも、旧文明の保存と絶望の採取っていう実益があるからで……」


「理屈ではわかっています。ただ、単純にムカつきます」


「ムカつく! いいねぇ、いいよぉ! 感情、衝動に正直だ! いち魔族として好感が持てるよぉ!」


「あなたに好感を持たれても嬉しくないです」


「はい、そこまで。で、呼び出した要件はなにかな?」


 ライハが間に入り、本題へと軌道修正。

 ロークはすぐさま興味を移し、研究室の奥にある寝台を指さす。

 体中にチューブをつながれた、筋骨隆々、白の巨体が横たわる寝台を。


「あぁ、そうだそうだ! 例のサンプルから重大な事実が判明したんですよ! ニローダの討伐に関わる、重大な事実がね!」




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