65 師匠
「師匠、本当に師匠なのですね……!」
師匠をようやく取り戻せた。
その喜びを爆発させ、目じりに涙を浮かべながら駆け寄ろうとするリフレ。
ところが、
「近寄るんじゃないよ」
師匠は手のひらを突き出し、その場に静止するようにうながした。
「師匠……? ど、どうしたのです……?」
言われるがままその場に足を止めるも、リフレに広がるのは困惑ばかり。
「サムダから体を取り戻せたのですよね? だったら魔王城に行って、まずはゆっくり休んで――」
「……サムダ。そう、そのサムダだ。ヤツはまだあたしの中にいるんだよ」
「……!」
「死んだわけでも、消えたわけでもない。いつまた再起してあたしの体を乗っ取り、暗躍を始めるかわかったもんじゃないのさ。そんなモンを本陣に招き入れるつもりかい」
「し、しかし……」
「なあ、魔王さんはどうするべきだと思う?」
今のリフレでは冷静な判断を下せないと判断したのだろう。
師匠に話を振られたライハは、少しの間思考を巡らせたあと、重苦しく口をひらく。
「……今、この世界に残ったほんのわずかな人間たちのほとんどが魔王城にいる。他にもニローダの手の者に触れられちゃまずいものが山ほどある場所だ。とてもじゃないが、入れられないね」
「さすが魔王、よく状況が見えてるね」
「そ、そんな……っ! では師匠は……」
ライハと師匠のやり取りに、リフレもようやく思い当たる。
師匠はこのまま、自分の前から姿を消すつもりなのだ、と。
「……リフレのお師匠さん。島の外に行くつもりなら、船ぐらい出すよ。外の世界がどうなってるか、さっぱりわかんないけどさ。遠慮なく持ってっちゃって」
「必要ないさ」
ところが、この申し出に師匠は首を横にふる。
「……あれ? てっきり島から出ていくつもりだと思ったんだけど?」
ライハだけでなく、リフレもそう考えていた。
首をかしげるライハに、師匠は言葉を続ける。
「島の外に出たところで、あたしとサムダは一心同体ってわけじゃない。いつかあたしがどっかで野垂れ死にすりゃ、これ幸いと島にいる他の誰かに取り付いて、また悪さをし始めるさ」
「なるほどね、根本的解決にはならない、と。じゃあどうするの? サムダを殺す方法、アテがないわけじゃないんだよね」
「ひとつだけ方法がある。……サムダとあたしの魂を、完全に融合させるのさ」
「……っ! し、師匠! 自分がなにをおっしゃっているのか、わかっているのですか!!」
悲鳴に近い声を上げて詰め寄るリフレ。
ここに至って、彼女は師匠の考えを理解してしまった。
「うるさいねぇ、キーキーと。年寄りの耳に優しくない声出すんじゃないよ」
「ですが、ですがそんなことをすれば、師匠は……!」
「……『天の御遣い』やその上位個体は、どれも肉体を異形へと変異させていた。魂ごと乗っ取り、宿主の情報をすべて消し去る方法を取っているからだ。しかし、サムダは違った。なぜだと思う?」
「そ、それは……、目的が違うから、ですよね……?」
「正解。戦うだけが目的だったヤツらとは違い、サムダはあたしの――人間のふりをして人間社会に溶け込み、暗躍する必要があった。……ま、そのせいであたしに封じ込められて、百年以上もまごまごするハメになったんだがね」
ククク、と含み笑いをこぼし、自分の中のサムダへと嘲笑をむける。
実際、サムダを無理やり心の底へ押し込めるなどという離れ業をやってのける人間は師匠だけだった。
だが、師匠ほどの肉体を持つ人間でなければサムダの目的を果たすことはできなかっただろう。
「ま、それはさておき、だ。魂単位で融合した『天の御遣い』たちは、みな命を落としている。殺せるのさ、こいつらは。ちゃんとね」
「……死ぬ、つもりなんですか」
「全てはこの時のため、無理やり延命させてきた命。かれこれ150年近くだ。もう充分生きたさ」
おだやかな笑みを浮かべる師匠。
リフレの視界にうつるその顔は、徐々ににじんでぼやけていく。
「これ以上迷惑をかけるわけにゃいかないからね。上書きでなく融合なら、あたしの意識も残るはずだ。あとはあたし一人で始末をつけるとするよ」
「……嫌です」
「……あんだって?」
「嫌だ、と言いました」
大粒の涙をこぼすリフレ。
師匠の顔からは笑みが消え、眉間にしわのよった厳しい表情へと変わる。
「師匠が死ぬ必要なんてありません! きっと他にも、他にもなにか方法があるはずです! それを探してからでも遅くは、――そうだ、ロークなら何か思いつくかもしれません! ですから――」
「……その、あるかどうかもわからない手段とやらを探してる間に、またあたしの体が乗っ取られない保証はあるのかい?」
「と、止めます! わたくしがまた、止めてみせます!」
「止めるまでに、取り返しのつかない被害が出ない保証は?」
「それは……。で、でも……、それでも師匠に死んでほしくないのです……!」
リフレにとって、師匠はもう一人の母親だった。
両親を失った自分をここまで育ててくれて、生きる術や戦う力をくれたかけがえのない存在。
そんな相手が自ら死を選ぼうとしている時に、すんなりとそれを受け入れることなどできなかった。
「お願いします、師匠……!」
「……はぁ。さっきの言葉、訂正させてもらうよ」
リフレの懇願に、帰ってきたのは失望したようなため息と、厳しい視線。
「見上げた弟子だ、ってヤツさ。一人前に育ってくれた、って安心したんだが、どうやら勘違いだったみたいだね」
「師匠……?」
「いいさ、死ぬ前にやることができた」
両手を手刀の形にとり、戦闘態勢をとる師匠。
その片方をリフレにむけ、手のひらを上にむけてチョイチョイ、と手招きする。
「来な、最期の修行だ。甘ったれた弟子の性根、叩き直してやらないとね」
 




