57 感情のままに
『――ん、……ここ、は?』
リフレが目をひらくと、そこはまばゆい光に満ちあふれた空間だった。
上も下もわからない、浮いているのか地に足がついているのかもわからない、奇妙な空間。
そもそも体の感覚そのものが感じられない。
『わたくしは、いったい……。……そう、そうです。師匠の体を乗っ取った者に捕らわれて、ニローダというものに体を乗っ取られ……』
自らの身に起きたことをひとつひとつ思い返し、奇妙な現状と重ね合わせて、彼女はひとつの結論を導き出す。
『ここはまさか、わたくしの心の中……?』
であれば、意識だけがふわふわと浮いている現状にも納得がいく。
ひとまずそうであると仮定し、彼女は周囲を観察した。
その場所は上下左右、過剰なまでに清い光で満ちている。
神々しさを通り越して居心地の悪さ、不快感を抱いてしまうほどに潔癖な光。
リフレの意識はその場を動こうとしても動けない。
『なんらかの要因』で自我が目覚めたものの、主導権はいまだニローダにあるようだ。
『あれからどのくらい経ったのでしょう……。わたくしの肉体で、ニローダはどのような非道を……。師匠は、ニルは……。……ライハは、無事なのでしょうか』
ライハ。
その名を口にした瞬間、汚れひとつなかった光の中に、わずかなよどみが生まれた。
ほんのわずかに打たれた黒点が、ほんの少しずつ、じわじわと光を侵食していく。
そして、その穢れから、リフレはたしかに彼女の存在を感じ取った。
『……ライハ? そこにいるのですか?』
黒が広がるにつれ、その場にリフレを留めていた見えない枷が消えていく。
やがて自由に動けるようになったリフレは、吸い寄せられるように闇の方へと進み始めた。
『わかります。あなたは今、すぐそこにいる。わたくしを呼んでいる……。すぐに、行きますから……!』
ゆっくりと、着実に動き出すリフレ。
たしかに感じるライハの気配にむかって、少しずつ近づいていく。
しかし、彼女の存在を間近に感じた瞬間。
『静止せよ。それ以上の行動を許可しない』
機械的とも言えるほどの無感情な声とともに、強烈な光がリフレの前に立ちはだかった。
まばゆい輝きにひるみ、視界がくらんだ瞬間。
光は収束し、人型のシルエットへと形を変える。
『……あなたが、ニローダですか?』
『繰り返す。それ以上の行動は許可しない』
『ニローダなんですね?』
『繰り返す。それ以上の行動を――』
バギャッ!!!
今のリフレに肉体があるかどうかなど、些細なことだった。
彼女は目の前の存在を、ライハと自分の間に入ってくる存在をぶん殴りたいと強く願い、実行しただけだ。
あふれ出る『感情』のおもむくままに。
『邪魔です。さっさとわたくしの中から出ていきなさい』
光のシルエットは霧散し、空間の中を満たしていた光が闇に塗りつぶされていく。
残ったのはほんの少しの光と、心地よい暗闇。
そしてリフレは、何かに押し上げられるような感覚に身をゆだね――。
〇〇〇
「……む、むぐぅ……っ!」
「ん……、ぷはっ! どうだ……っ!?」
自らの持つ絶望の大部分を注ぎ込み、唇を離すライハ。
様子を見守るまでもなく、異変はすぐに現れた。
「ぐ、……あぁっ、あぁぁぁぁぁぁぁ……」
低いうめき声をもらしながら、ニローダが苦しみ始める。
頭を抱え、何度も左右に振り、
「うあ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
最後には天をあおいで絶叫を響かせた。
「や、やった……?」
感情を必要としないニローダがリフレの体を乗っ取るには、リフレの持つ感情を全て奪う必要があったはず。
感情のかたまりである絶望を体内に流し込めば、リフレの意識を呼び戻せるかもしれない。
全てが憶測な上、絶体絶命の状況に選ばされた形となった賭けだったが……。
「う……っ」
がくり。
ニローダの――リフレの体から力が抜け、ぐったりとライハに体重をあずける。
背中に生えた翼は大量の白い羽となって散り、
「うぅ……、ライ、ハ……?」
「リフレ……? リフレなの?」
浮力を失い抱き合いながら落下していく中で、
「もう、見てわかりませんか……?」
「……へへっ。そうだね、リフレだ。どっからどう見てもリフレだよ」
リフレはライハへの感情――親愛と好意をたっぷりと乗せた笑顔を、ライハにむけた。




