54 悪魔の左腕
「あ、ありえない……! その左腕は、いったい……!?」
刃を砕く硬度。
クタイの体をいともたやすく殴り飛ばすパワー。
金色の血反吐を吐いて立ち上がりながら、彼はおののく。
か細い少女に似つかわしくない禍々しい左腕に。
アイリの秘めたる『奥の手』に。
「アイリのとっておき。できれば使いたくなかったの」
筋肉質に肥大化した左腕の手首から先が、メキメキと音を立てながらさらなる変化を遂げていく。
分厚く太く、鋭い刃を左右につけた巨大な斧の形状に変貌していく。
「ぐ……、醜いですね……! 存在を許されぬイレギュラーにふさわしい、醜い腕だ……!」
対するクタイは金色の小さなゲートを生成し、中から新たな剣を二本取り出す。
しかし、強い言葉を投げかけるものの、彼は完全に気圧されていた。
「どうして使いたくなかったか、わかる?」
「こんなもの……っ、こけおどしです!!」
会話に応じず、クタイが高速移動を開始。
アイリたちの周囲を視認不能なほどのスピードで飛び回り、ニルの目には白い線にしか見えない。
(あのように巨大化させた腕、おそらく大振りの攻撃しかできないはずです……。間合いの外からこうしてスキをうかがい、死角を見つけて斬りこめば――)
そうすれば勝てる、と彼は判断した。
判断してしまった。
冷静さを欠くあまり、アイリが接近戦に弱いと見かけで判断した過ちを、繰り返してしまった。
ゴっ!!!
「……え?」
すさまじい風圧に見舞われたのと、体に衝撃が走ったのがほぼ同時。
少し遅れて音が聞こえ、斬撃に押し出された空気が渦を巻く。
その時点で初めて、クタイは自らの胴体が横一文字に断ち切られたことを認識した。
「あ……っ、ぎっ、いぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」
下半身が落下すると同時、クタイの絶叫が響き渡る。
巨大質量の大斧による斬撃。
あまりの速度に、刃にはクタイの血の一滴すら付着していなかった。
「あのね。これ、あんまりかわいくないの。だからイヤ」
ドサッ。
続いて上半身が落下する。
まだかろうじて生きているものの、戦闘不能であることはニルの目から見ても明らかだった。
「ね、ニルも思うよね? これ、かわいくない」
「や、かわいさは、感じないけど……」
むしろかっこいい、と、言葉こそ知らないものの、そのような高揚感をニルは抱いていた。
同時に、自分の腕でも同じような強さに至れるのでは、とも。
「そうなの、かわいくない。だからね、ロークにかわいいロロちゃん人形作ってもらってたの。なのに……」
「あ゛……、がは゛っ……」
「なのに、ロロちゃん人形で死んでくれない強さしてるから。はんせいだよ。めっ」
上半身だけになり、地を這いながら逃げようとするクタイに対し、まるで小さな子どもに言い聞かせるように接するアイリ。
心の底からの恐怖に震え上がるクタイだが、同時に彼はその行動に逃げ出すためのスキを見つけた。
「……っ、うおおおぁぁぁっ!!」
激痛を絶叫で打ち消しつつ背中の四つの翼を広げ、クタイは最後の力を振り絞って飛び立った。
新たな武器を呼び出す力も、戦う力も残っていないが、高速で飛行するだけの力はかろうじて残っている。
アイリのわきをすり抜けて逃走をはかるも、
ドスッ。
「が……」
直後。
背後から伸び来た黒紫の槍に胴体の真ん中を貫かれ、クタイは串刺しとなって動きを止めた。
「あ……、この、武器は……?」
痙攣しつつゆっくりと振り返ると、槍の正体はアイリの左腕。
この一瞬で大斧から槍へと変化させ、クタイを貫いたのだ。
そしてもう一人、
「……アンタさぁ、いくらなんでもナメすぎだよ。今のアンタのスピードじゃ、あの子はもちろんあたしにだって捕まえられる」
クタイの逃走に反応していたニル。
砲身に変えた白い腕の砲門が、クタイの頭をぴったりととらえ、
「う……っ、こ、この私がっ、ここまで無様に……っ、ありえないいいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
ズドォォッ!!
金色の魔力弾が、異形の頭部を粉々に吹き飛ばした。
どさっ。
槍が引かれ、頭部と下半身を失ったクタイの死体が金色の光の粒となって消えていく。
初めての実戦を乗り切り、ニルは大きく息を吐いた。
「ふぅ、なんとかなった……。アンタも、おつかれ――」
「んぅ……」
ぺたん。
「え? ちょ、いきなりどうした?」
突如としてその場に座り込んでしまったアイリ。
左腕もみるみるしぼみ、元通り右腕と同じだけの細さに。
「これ、使いたくなかったもう一つの理由。たっぷり絶望消費するから、使うととっても疲れるの……」
「そ、そうだったんだ……」
携帯食代わりの丸い飴状にした絶望をほおばりつつ、アイリはそう説明した。
ハイリスクハイリターンの左腕。
かわいさ以外にも、左腕を使わずとも戦えるようにという理由がロロちゃん人形にはあったようだ。
「……にしても、びっくりするぐらい強いんだね、アンタ。ジョー・ガウンとかいうのより強かったりして」
「強いと思うよ」
「……ホントに?」
冗談めかして言ったものの、真面目に返答されてしまい、戸惑うニル。
「ジョー・ガウンが最強だって、みんな言ってたのに……」
「みんな、アイリの腕のこと知らない。かわいくないからヒミツにしてるの」
「そうなんだ……。ロークなら人形作りを依頼された時に気づいてそうなもんだけど……」
「たぶん気づいてない、と……、思う……」
自信なさげな返答だが、それなりに根拠はあった。
あの男が自分の特異な左腕を知れば、研究、観察、果ては解剖まで押し通してくるだろう、と。
「ともかく、この腕のこと知ってるのはニルだけ。二人だけのヒミツ」
「ヒミツ、か……。な、なんだかさ、友達……っぽいね。アイリ」
「……!!」
ニルが自分を友達と呼んでくれたこと。
アイリと、照れくさそうに名前で呼んでくれたこと。
二つの衝撃的な出来事を前に、アイリは。
「……むふ」
ぎこちなく、うれしそうに笑った。




