52 天使の右腕
「お嬢さん方、はじめまして。僭越ながら自己紹介を。私の名はクタイ。『天の御遣い』たちの統率者、といったところです」
ニルとアイリの前に舞い降りた、細長い手足と四つの翼を持つ白の異形。
彼の丁寧なあいさつに、
「死ね……!」
ニルは右腕を砲身に変え、魔砲撃で答える。
「おっと、危ないですね」
しかし、彼女の放った金色の光弾がクタイに命中することはなかった。
残像を残すほどのスピードでたやすく攻撃を回避し、彼はすぐさま距離をとる。
「攻撃的なお嬢さんです。初対面の相手にいきなり銃口をむけるとは」
「黙れ……!」
敵意をむき出しにしてにらみつけ、再び狙いを定めるニル。
そんな彼女とは対照的に、クタイの瞳からニルへの敵意は感じられない。
「しかしいいですねぇ。あなた、大変に素晴らしいですよ……?」
彼がニルへとむける感情はただひとつ、興味。
人の身を、心をとどめながら白の異形の力を身に宿した少女への、底知れぬ好奇心だった。
「その白の右腕。『天の御遣い』への変異を押しとどめ、自らのものとした。そういうことでしょうか」
ニルは問いかけに答えず、右腕を刃の形へと変化させて斬りかかる。
大振りのがむしゃらな斬撃を、その場から動かず上半身の動きだけで回避しながら、クタイのニルへの好奇はなおも強まった。
「いいですね、大変に興味深い。現生人類は一人残らず絶滅させるつもりでしたが、あなた。大人しくしておけば、特別に生かしておいてあげますよ?」
「一人残らず絶滅させる……? ふざけるな……!」
ニルの脳裏によみがえる、ジャージィの母の最期。
(こいつらさえいなければ、あの人は命が尽きる日まで穏やかに暮らせたはずなんだ……!)
体を乗っ取られるその時まで、自分たちの身を案じてくれた師匠の姿。
(こいつらさえいなければ、師匠だって長い間ずっと苦しまずにすんだ……!)
神を気取った上から目線の物言いも、彼女のもっとも嫌うところ。
目の前のクタイと名乗った敵へ、そして白の異形たち全てに対して、魔族たちと同等、あるいはそれ以上の憎しみが膨れ上がっていく。
「お前らさえ……っ、お前らさえいなければぁぁぁぁぁぁッ!!!」
怒りと憎しみは、ニルがこの世に生を受けてから常に彼女の原動力であり続けた。
それらの感情がもたらす原動力、前に進む力は限りなく、しかし。
ブオンっ!
時に冷静さを失わせ、刃を鈍らせる。
「くくっ、戦闘面ではずぶの素人。イージーに捕縛できそうです」
怒りの叫びとともに振り下ろされた大振りの大振りの一撃が、いともたやすくかわされた。
ニルは勢いのまま前のめりに体勢を崩し、敵の目前で大きな隙をさらしてしまう。
「……っ!」
「さぁて、それでは少々気を失っていただくと――」
ギュンッ!
細い腕がニルへと伸ばされた瞬間。
まがまがしい黒の光線がクタイを襲う。
彼はとっさに四つの翼を広げ、真上に飛び上がって回避。
奇襲をしかけた相手の姿を確認し、青い目をいまいましげに細めてにらむ。
ツギハギだらけのぬいぐるみを包帯を巻いた左手でかかげ、眠たそうな目でクタイを見上げる魔族の少女を。
「そうでしたね、あなたも居たのでした。魔族のお嬢さん。ずーっとだんまりだったもので、やる気がないのかと」
「アイリ、こう見えてやる気まんまん。あとかなり怒ってる」
クタイは対話で時間を稼ぎつつ、攻撃の正体を見極めようとする。
まず彼の目はアイリのぬいぐるみにそそがれた。
ぬいぐるみの口が大きく開いており、口の端から煙が漏れている。
(ふむ……。さしずめ、あのぬいぐるみに武器が仕込まれているか、もしくは魔法攻撃の媒体としているのか。どちらにせよ、近接戦闘力は高くなさそうですね)
ニルの戦闘力も決して高くない。
潜在能力こそ未知数だが、あまりにも戦いへの心得がなさすぎる。
この時点で、彼は近接戦闘を仕掛けてアイリを殺し、ニルを捕らえるというプランをまとめ上げた。
一方、窮地をアイリに救われたニルは。
「あ、ありがと――」
「ぼんやりしないで。アイリのそば、きて」
「……!」
すぐに気を取り直し、アイリのとなりへと後退した。
「よしよし、おかえり。いいこいいこ」
「うわ、ちょ、なにして……」
包帯ぐるぐるの左腕で頭をなでなでされて戸惑うニル。
対するアイリは表情こそ薄いものの、ニルが無事だった安堵感でいっぱいだった。
「もう、戦いの最中にふざけないでよ……!」
「ふざけてない。なでなでしつつ警戒してる」
実際、アイリの視線がクタイから切れることはなく、ぬいぐるみの口も常に敵をとらえ続けている。
彼女は先ほどから、一度もスキをさらしていない。
「あのね。これからニルはアイリのそばから離れないで。きっとあの人近寄ろうとしてくるけど、アイリに手を貸しちゃ、めっ、なの」
「どうして! あたしもいっしょに――」
いっしょに戦う、と言い終わるよりも早く、クタイの両の手の先に金色のゲートが生成された。
そこから取り出した二本の曲刀が、敵がアイリの読み通り近接戦闘を狙っていると何よりも物語っている。
だとすれば、アイリにはきっと考えが、勝算があるはずだ。
「……わかった。離れないようにする」
「いいこね。よしよし」




