46 勝算は
「やあニル、まさかこんなところにいるとはねぇ」
「うぇ……」
さわやかな朝の気分を台無しにする、能天気な声。
早朝からアイリの屋敷を訪れたロークの気さくな対応に、ニルは汚物を目にしたような反応を返した。
「あれから見ないと思ったが、まさかアイリの屋敷にいるなんて。大丈夫? 魔族たくさんいるけど、誰か殺してやしないかい?」
「……この屋敷であたしに殺される魔族、アンタが第一号になる?」
「おっと、それは勘弁。そして一安心、と」
やはりアイリ以外の魔族には、どうにも苦手意識がぬぐえない。
このロークも、かつて雲下北地区を支配していた魔族たちのような嫌悪こそ持たないものの、人を食ったような態度がどうにも鼻につく。
魔族関係なく、純粋にロークの性格がうっとうしいだけなのかもしれないが。
「さて、再会を喜んだところで本題だ。アイリ、よくも会議を欠席してくれたねぇ」
「顔を出すのが面倒くさかった。だから出なかった。そんだけ」
「うん、キミらしい答えだ」
「それに、サボった甲斐あった」
ちらり、ニルの顔を見やる。
サボったからこそ彼女に出会えた、という意味なのだろう。
「ともかく、そのおかげでキミには皆の意見をまとめ作戦立案したこの僕が、多忙を極めるこの僕自らが、作戦概要をわざわざ伝えることになってしまった。耳をかっぽじってありがたく拝聴したまえよ?」
「はいはい……」
投げやりながらその場に座り、耳をかたむけようとする意思を見せるアイリ。
それで充分なのか、自分の作戦を説明したくて仕方ないのか、ロークは嬉々として語り始めた。
「まず我々は、本日の正午に攻撃を仕掛ける。メインとなる戦力は一区から出撃する、ジョー・ガウンとグフタークの二人だ。キミとエゾアールはそれぞれの担当地区の守りについてもらう」
八区長最強であるジョー・ガウンと、それに匹敵するともウワサされるグフターク。
この二人が最高戦力であることに間違いはないだろうが、
「……それ、大丈夫なの?」
思わずニルが口をはさむ。
「グフタークって、リフレに手も足も出ずにやられたじゃんか。ジョーなんたらってのも、そいつとどっこいどっこいなんでしょ? 敵はリフレと同じくらいか、それより強いだろうし、それこそ魔王も含めた全員で行った方が……」
「ダメダメ、それこそ敵の思うつぼなのさ。なぜ敵は、ここまで動きを見せないのだと思う?」
「え……? それは……」
アイリに意見を求めようとするが、彼女はぬいぐるみの手足を動かして一人遊びを始めてしまっている。
一応、話は聞いているようだが。
「……なんで?」
「なんらかの理由で準備が出来ていない、のもあるだろう。が、おそらくこちらの出方を待っているのだと思われる」
「どういうこと?」
「少しは考えてほしいねぇ。僕たち魔族にとって、もっとも避けるべき敗北とはなにか。つまるところ、魔王様の死だ」
魔王が死ねば、その瞬間に全ての魔族が死滅する。
残されるのは戦う力を持たない人間のみ。
「当然、敵もそれを狙ってくる。しかし、魔王様の周囲には僕らが守りを固めているだろう?」
「……勝てるにしても面倒くさいってことか」
「ソイツぁ僕らを過小評価しすぎだが、まぁそういうことさ。こちらの二強を動かせば、敵は必ず動きを見せる」
「魔王の守りが手薄になるから、ってことか」
「ライハ様、これ幸いとばかりに狙われる」
「でもそれ、結局敵の思うつぼには変わりなくないかな……?」
チッチッチ、と気取って指を左右に振って見せるローク。
ニルとアイリはこの時、心の底からウザさを感じた。
「いいかい? そこらの雑魚じゃ区長ツートップは止められない。サムダをはじめとした戦力の大半を、敵はあちらに割くことになるだろう。その間、敵大将の守りも同じく手薄になる」
「……もしかしてライハ様、敵大将との一騎討ちをお望み?」
「はいアイリちゃん正解! さすがだね、無学な雲下の少女とは違う!」
ひざをたたくロークに対し、ニルはこの時心の底から殺意を抱いた。
「最高戦力には最高戦力を。そもそもの発端は魔王様の個人的なお望みだが、僕もコイツが一番勝率が高いと思っている」
「いやいや、魔王もリフレに負けたじゃん……」
「はぁ……、つくづくキミは……。あの時と今とじゃ、決定的に違うことがあるだろう?」
「え……?」
「ともかく、魔王様がニローダと戦う間、他の奴らはジョー達が引き受ける。もしかしたら他の敵が三区や四区に来るかもしれないから、その時は頼んだよ」
説明だけを終えて気がすんだのか、ロークは上機嫌で足早に帰っていった。
今日の正午から、人類の命運をかけた戦いが始まる。
しかも人類の存亡が、よりにもよって魔族にかかっている。
当然ながら、落ち着いていられるはずもないニル。
対照的にアイリはいたってのん気な様子だった。
「……よく落ち着いていられるよね」
「慌てても仕方ない。それよりアイリ、楽しいことしていたい。ニルもアイリといっしょに遊ぼ」
「えっ? ちょ……」
強引にニルの手を引いて、屋敷の外へ繰り出すアイリ。
無邪気で楽しげな表情に戸惑いつつも、同時に胸に渦巻いていた不安や緊張の和らぎを、ニルはたしかに感じていた。