44 三区の長
「順調なようだねぇ、『繭』の方は……」
雲上第二区、広場の中心。
まばゆい光を放つ白銀の繭を前に、サムダは満足そうにうなずいた。
「面倒な工程を踏みますね。今のままでも充分な力を振るえるというのに、さらなる最適化を目指すとはね」
老婆の右どなり、腕組みに直立の姿勢でともに繭を見守るのは、手足が細く長く、背中に四つの白い翼を持った白の異形。
彼の名はクタイ。
サムダと同じくニローダに仕える者。
現在の肉体は、きわめて屈強な『天の御遣い』の一個体に憑依・変質したものであり、本質としてはサムダと同じ精神体だ。
「私のこの肉体、変異に要した時間は半日ほど。ひるがえって、一部のみのチューニングに丸二日を必要とするとは……」
「それほど強大なのさ、ニローダの力はね……。なぁに、残す奴らは袋のネズミ。一日や二日程度の時間をくれてやったところで、どうすることもできまいて。なにせ八十年もの間、なにもできなかった連中さ」
「歯がゆいな! さっさと暴れてぇ!!」
ドスン、ドスンと足音を響かせ、サムダの左どなりに進み出てきた筋骨隆々の白い異形。
全身を筋肉の鎧でおおい、クタイと対照的に手足は短く丸太のように太い。
「マルーガ、血気盛ん大いに結構。ですが急いてはいけません。作戦通り万全のニローダを待ってから、魔族を詰ませて差し上げましょう」
涼やかになだめるクタイ。
マルーガと呼ばれた異形はいらだちを隠そうともせず、太い腕に血管を浮かばせ、両の拳を胸の前で突き合わせた。
「くそっ、理屈じゃわかってんだけどよ……! 許されんなら俺一人で敵陣に乗り込んでやりてぇ!!!」
「許しゃしないよ」
「……だろうな」
が、彼は突如として冷静さを取り戻す。
まるで穴のあいた風船のように、苛立ちがみるみるうちにしぼんでいった。
「ま、わかってるさ。そんじゃ、出番が来るまで寝てるとするぜ。俺はよぉ」
言い残し、グフタークのものだった屋敷の方へと消えていくマルーガ。
彼の変貌にも、サムダとクタイはまるで動じず、いつものことだと軽く流す。
「120年ぶりだが、相も変わらずさねぇ、アレは……」
「えぇ。ただのバカならば、もっと扱いやすいのですが。妙に冷静な部分もある」
マルーガもまた、サムダと同格の存在。
この最終侵攻に際して、クタイとともに参戦を果たした形だ。
「しかし、あなたのその肉体。うらやましい限りです。『天の御遣い』をカスタマイズした我らの体とは比較にならない完成度だ」
「我慢しな。人間を乗っ取る形じゃ、あたしの二の舞になるかもしれない。そもそも現生の人間に、我らの力を存分に振るえる肉体の持ち主がいるとも思えないしねぇ」
「心得ておりますとも。不本意ながら我ら三人の中で、今この時最も強い力の持ち主はあなただ。頼りにしていますよ」
〇〇〇
高速で飛来する三本の丸太。
ニルの白い異形の腕が刃のように変化し、一太刀で三本をまとめて斬り捨てる。
続いて襲い来た二発の火炎弾に対し、ニルの腕もさらに変化。
砲門のようになった腕の先端から光の魔力弾を撃ち出し、爆発とともにかき消して見せた。
「お見事」
ぱちぱちぱち。
訓練用の仕掛けを動かしていたアイリの拍手に称えられながら、ニルが右腕をもとの形に戻す。
「人間なのに大したもの。これなら充分戦える」
「……だったらいいんだけど」
ニルの理想はリフレの戦い。
まだまだこんなものじゃ満足できないと、白の拳を握りしめた。
ここは雲上三区、アイリの屋敷。
あれからニルはアイリが三区長であることを、彼女の口から知らされた。
その後、魔王から自分の受け持つ地区に戻るよう指示が出され、ニルも友達として三区に招かれた。
そして今現在、反抗作戦にそなえて自分の力を試していたところだ。
「やっぱりあなた、面白い。アイリの友達にしてよかった」
「そりゃどうも……」
ニコニコと人懐っこい笑顔で絡んでくるアイリは、こうしてみるとごく普通の少女に見えた。
傲慢で人間を見下し、なぶり痛めつけて楽しむ。
そんなニルの抱く魔族像から、彼女はかけ離れて見えた。
しかし……。
「……ねぇ、ここでも絶望、集めてるんだよね。どうやって?」
しかし、アイリが絶望を糧とする魔族の区長である以上、これまで人々を苦しめてきたはず。
そう考え、ニルは三区における絶望の収集方法を問いかけた。
「ここで生産している絶望の種類は『愛する者を失った絶望』。雲上の四つの地区でだれかが命を落とした時、ここで葬儀が行われる決まりになってる。葬儀の中で生まれる大量の絶望を貯蔵してるの」
「……それだけ? 誰かを殺したり、無理やり引き離したりして、絶望生んだりしないの?」
本当にそれだけならば、ただ葬儀の場所を提供しているだけ。
人間の自然な営みに極力干渉せず、これまでの地区で最もいびつさを感じない構造だ。
にわかには信じられないニルだったが、
「アイリの前の区長、そんな感じだったみたい。でもね、そうして生まれた絶望には怒りとか憎しみとかの不純物が混ざる。そういうのってとっても不味いの」
どうやら本当のようだった。
「その点、さっきのニルの絶望、とーってもおいしかった。一週間くらい絶望食べなくてもいいくらい」
冗談めかして唇をペロリと舐めるアイリ。
艶めく唇に先ほどの口づけを思いだし、ニルは何故だか顔が熱くなっていくのを感じた。




