43 魔族らしさ
普段のニルであれば、魔族の誘いに応じることなどなかっただろう。
殺意を乗せてにらみ、罵倒し、魔銃をむけ、あるいは新たに手に入れた異形の力で殺しにかかっただろう。
しかし今、少女の心は弱っていた。
そうやって手にかけたジャージィの命が、今になって少女の肩に重くのしかかってきていた。
生まれて初めて味わった後悔、罪悪感、迷い。
絶対的な精神の支柱だったリフレの不在。
そういった全ての要素が重なり合った結果。
「そうなの……。あなた、大変な絶望を味わったのね」
気づけばアイリと名乗ったこの魔族の少女に、事の経緯を話してしまっていた。
「大切な人の喪失。数ある絶望の中で、最も深く大きなもの」
「大げさすぎ。少しごちそうになっただけだし、名前すら知らないんだ……」
「本当にそう? 誰かに対する思いの強さは、時間の長さに比例する? アイリはそうは思わない」
「…………」
彼女の言葉に、ニルは何も返せずうつむいた。
時間の長さならば、リフレや師匠とともにいた時間も、これまでの人生から見ればごくわずか。
日数という概念も持たない環境で育ったニルからしても、あの二人との付き合いが短いことは理解できる。
「きっとあなたの中で、その人との出会いはとても大きなものだった」
「……かも、しれない」
自分のためだけに生き、魔族に一泡吹かせることだけを考えて生きてきたニル。
そんな彼女に、あの時のリフレと老婦人は『誰かのために何かをする』ことを教えてくれた。
その結果得られる、なんとも言えない心地よさも。
「でも、悲しむ資格なんてないんだ。だって、あの人の息子、あたしが、この手で……っ」
手が、声が震える。
どうしようもない後悔と罪悪感に、涙すらにじむ。
そんなニルに対し、アイリは、
「すごく濃い絶望……。どこかに飛んでいってしまう前に――」
「え……?」
グイっ、と体を引き寄せ、
「んむっ!?」
その唇をうばった。
「ごく、ごく、ごく……っ」
くちづけの間、アイリの喉がなにかを飲み込むような音を鳴らす。
あまりにも予測を越えた行動に、しばし呆然と受け入れていたニルだったが、不意にその瞳に力が戻り、
パァン!!
体を押しのけ、思いっきり平手打ちを見舞った。
「い、いきなり何すんだ……!」
「……ごちそうさま。あなたの『大切な人を失った絶望』、とっても美味しかった」
まったく動じず、ぺろりと唇をなめるアイリ。
対するニルは口元をぬぐい、魔族の少女を鋭くにらみつける。
「絶望……、最初からそいつが狙いだったんだ! やっぱり魔族って最悪……」
「違うよ。今のは上質な絶望がどこかに飛んでいっちゃいそうだったから、独り占めしたくなっただけ」
「意地汚さに変わりない! 魔族ってみんなそうだ……、いつも自分の欲望を優先する……!」
「あなたは違うの?」
「何を……!」
「魔族を殺したい。そんな自分の欲望最優先で、いつも衝動に身をまかせていたんだよね?」
「違う……! あたしは後悔してるんだ、欲望だけで生きてるアンタたちとは違う!!」
「……そうかな? 同じだと思うよ?」
声を荒げるニルだが、アイリは表情をまったく動かさないまま。
抱きかかえたぬいぐるみの手足を動かしながら、落ち着いた声で語りかけた。
「魔族はね、いつでも自分に正直なだけなの。多くの魔族が自己保身に走るのは、自分の命が一番大切だから。自分より大切な誰かがいる魔族なら、自分に正直に、命だって笑って投げ出すよ」
アイリの脳裏に浮かぶのは、とびきりの奇人として知られる第二区長グフターク。
研究と知識欲にすべてを賭けるロークも、命を引き換えにこの世のすべてを知れるのならば喜んで命を投げ出すだろう。
「みんな笑っちゃうほど自分に正直。でも人間は周りに合わせて、本当にやりたいことをやらない、やれない。つまらなくないのかな?」
小首をかしげるアイリ。
彼女の言葉にニルが抱いたのは、不本意ながら共感であった。
やりたいことをできないまま、しようともしないまま、ただ魔族におびえて日々を過ごすだけの北区画の住民たち。
アイリの言葉はまるで、彼らに対してニルが日々抱いていた不満を代弁してくれたかのようだった。
「だけど、あなたはそんな人間たちとはちがう。欲望のままに行動して、退屈な日々を壊して、こんなところにまで来てしまった。どちらかというとアイリたちに近いよね。とっても面白い」
ニコリと、アイリが笑う。
心の底から嫌悪している魔族のはずなのに、ニルはその笑顔を美しいと感じてしまい、直後に混乱を覚えた。
「あなたみたいな人間初めて。アイリ、あなたをお友達にしたい。これがアイリの正直な、自分に素直な気持ち」
差し出された手を、払いのけるか取るべきか。
しばし悩んだニルだったが、脳裏にあの時の師匠の言葉がよみがえる。
『あの子を助けてやってほしい。たとえ魔族と協力することになってもさ』
(……そうだ、協力だ。こいつと手を組んでおけば、リフレの救出に有利になる。そう、それだけ。コレは、ただそれだけのことなんだ)
心の中でつぶやいた言葉は、誰よりも自分を納得させるために。
この行動が果たして人間らしいのか、それともアイリの言うように魔族に似ているのか定かではないが、
「……なってやってもいいよ、トモダチってヤツ」
いずれにせよ、ニルはその時アイリの手を取った。




