42 空の青さと
「お忙しい中、集まってくれてごくろうさん、家臣諸君」
会議用の長卓、その上座に座った魔王が、居並ぶ家臣たちに目をむける。
「…………」
彫りの深い、整ったヒゲをたたえるたくましい男の魔族は、この雲上第一区を治める区長ジョー・ガウン。
静かに目を閉じ、腕を組んで魔王の言葉に耳をかたむけている。
「魔王様のためならばこのグフターク、地の果てだろうとはせ参じましょう……!」
その対面、ライハにねっとりとした視線をむける第二区長グフターク。
彼女の熱視線に魔王が応えることは決してないだろう。
ひとつ下ってジョー・ガウンの左隣。
小心そうな小太りの中年のような容姿を持つ魔族が、雲上第四区長エゾアール。
「い、いったいこの異変はいかなること……! 私、不安で不安でたまりませんぞ……!」
額の汗をハンカチで何度もぬぐう様子からも、明らかに動揺が見て取れた。
「なんか一人足りてないみたいですけどねぇ、魔王様?」
グフタークから空席を一つ開けた隣、エゾアールとは対照的にのん気な、空気を読まない声が上がる。
声の主はもちろん、この場でただ一人の雲下区長、ローク。
「アイリ? アイツどうせその辺ブラブラしてんでしょ。あとで誰か伝えといて」
「アバウトだなぁ、魔王様。おおらかというかなんというか……」
「貴様、ローク……! 魔王様に対してなんたる無礼を……!」
「まぁまぁ。口挟んでくるなって。話進まないから」
「し、しかし……!」
「黙っててくれたら蹴り殺すよ?」
「ま、魔王様が蹴り殺してくださる……!? は、黙っておきます!!」
背筋を伸ばし、微動だにしなくなるグフターク。
普通逆なのではと、エゾアールは額の汗をぬぐいながら心の中でつぶやいた。
「さて、一応聞いてると思うけど、まず現状の整理について。そっから反攻作戦の計画、立てていこうか。まずはローク」
「はいはーい。まずは僕からみなさんに、こうなるまでの経緯をみなさんの頭でもわかるように簡単に、かみ砕いて教えていくよ」
鼻につく物言いをしつつ、彼の理解と解説は完璧だった。
ニローダの目的、人間が変質する『天の御遣い』、それらとリフレの関係。
そしてドゥッカが成り立つまでの経緯までも、過不足なく説明していく。
「……というわけで、魔王様は先代から力を受け継いで約二十年間、人間の世界を壊さないままニローダを倒せる手段を探していたのさ。しかし結局見つからないまま、滅びの前兆が始まってしまったのが八十年前」
ニローダ侵攻の障害とならぬよう、ニローダ自身が人々に与えた力を没収し、人類は戦う力を失った。
「世界滅亡のカウントダウンスタート、つまりは時間切れだ。ダメ押しにニローダは、人間を自身の尖兵に変質させる物質――仮に『天使の粉』と呼ぼう。これを創造して、世界中に散布する計画まで立てていた。エサの供給源となる人類を滅ぼしたあと、飢えた魔族を大軍勢で滅ぼして新しい人類を作り出すもくろみだった」
だからこそライハは先手を打って、敵の尖兵となってしまう人間たちを滅ぼし、ごく一部の人間のみを保護してドゥッカを作成。
さらに『天使の粉』を遮断する結界で島を覆い、反撃の方法を探りながら80年を過ごしてきた。
「……と、まぁこんなとこかな」
「さすがはドゥッカの頭脳。一度説明してやっただけだってのに、パーフェクトだね」
パチパチパチ。
ライハが送る拍手に、ロークは深々と礼をする。
「しかし魔王様、全部知っていたなんてヒドイですねぇ。僕が協力していれば、もっと早くに反撃の手立てが見つかったのに」
「かもしれないのに、じゃないんだ」
「そこは断言できますね」
「頼もしいね。……たださぁ、協力者って信用が大切じゃん?」
ギロリ、とするどい視線を投げかけるライハ。
その殺気にジョー・ガウンの体が一瞬ピクリと動き、エゾアールは失禁しそうになった。
が、ロークはまったく動じない。
「あははは、そりゃ確かに! こんな裏でいろいろやっちゃってるヤツ、信用できなくて当然だ!」
なにが面白いのか、自分の頭をペチンと叩いて大笑い。
「でも、こうして話してくれたってことはー?」
「なりふりかまってらんなくなった。それだけ」
「なーんだ、残念。……ま、これだけは信じてほしいところですね。僕は世界の謎を知るまで死ぬわけにはいかない。ニローダという謎のカタマリを丸裸にしてやるまで、死ぬつもりはありません」
表情を引き締め、はっきりと宣言するローク。
ライハはかすかに口角を上げたあと、
「……よし! 昔のことはここまで! こっから先は今のこと。敵に一発、痛い目見せてやろう!」
高らかに反撃を宣言し、反抗作戦の会議が始まった。
〇〇〇
雲上にある四地区の結界は、気温や気圧の変化だけではなく『天使の粉』を遮断する機能も有している。
ドゥッカ全体と比較して小規模なため、魔王が直接魔力を送らずとも制御装置の結界のみで安全地帯を作り出すことが可能。
当然ながら、結界が健在である雲上一区の人間が『天の御遣い』に変化することはない。
結界の外にいた人間も、結界内に入った時点で変異が止まる。
しかし、変異が止まれば命が助かるわけではない。
「……ひどい」
ジョー・ガウンの屋敷から飛び出したニルの前に広がっていた光景は、まさに地獄絵図。
体のさまざまな部位が白い異形と化した人間が、あちこちで苦しみ、うめき、あるいは息絶えている。
看護にあたっている魔族たちに、打つ手はないようだ。
ニルの命を救った安定剤も、ロークが一晩で作った一個のみで、量産不可能なシロモノ。
それでも、症状が出る前に結界に逃げ込めた人間もいる。
皮膚のごく一部が変異するのみの、軽い症状で済んだ者もいる。
(そうだよ、あの人……。ジャージィのお母さんなら、きっと変異なんてしてない……。もししてても、息子が憑魔になれたんなら、なにか特別な体質で――)
わずかな希望を抱きながら、見知った顔を探し回った果て。
少女が見つけたジャージィの母は。
「あ、あぁ……っ」
「あ……、あぁ……。ニルちゃん、だったっけ……? よかった……、無事、だったんだね……」
看護の魔族が周囲にいないところを見るに、手遅れだと判断されたのだろう。
ぐったりと横たわる老婦人。
顔の右半分が異形と化し、その命の灯火は今にも消えてしまいそうだった。
「あ、あの、あたし……!」
「リフレさん、は……、無事かい……?」
「そ、その……っ」
うまく言葉が出てこない。
それでも、何か声をかけなければと必死に思考を巡らせていると、
「ジャージィも……、きっと無事だよねぇ……」
「……っ!!」
その名が出た瞬間、ニルは自分の心臓がにぎり潰されたような錯覚を覚えた。
「雲上一区……、ここで働いてるって、あの子……、言ってたから……。安心……して、逝けるねぇ……」
「あ……ぅ……っ」
「……空。青いって、本当だったんだねぇ……。死ぬ前に……、こんな綺麗な空が見られて……。しぁ……ゎ……」
とさっ。
開いた手のひらが力無く地面に落ちて、それっきり老婦人は動かなくなる。
ニルに出会えて安心したのだろう、安らかな表情のままで。
「あ……、あぁっ、うあああぁぁ」
彼女の息子を殺したのは自分なのに。
それなのに。
発狂しそうな罪悪感と後悔の中、少女はただただその場にうずくまり、頭を抱えて意味のない声を発することしかできなかった。
それから、どれだけの時間を泣き叫んだだろうか。
「……あなた、大事な人を亡くしたの?」
「……?」
自分と同じか、少し幼い程度の少女の声に、ニルは泣き腫らした顔を上げる。
そこにいたのは魔族の少女。
つぎはぎだらけのぬいぐるみを抱え、片腕が包帯でグルグルに巻かれていた。
「魔、族……」
「お話、聞かせてほしいな。アイリとお話、しよ?」




