41 白の右腕
あの時、塔での戦いの時。
螺旋階段の頂上からリフレが落ちていったあと、大量の魔族兵たちを相手に、師匠はあたしをかばいながら戦った。
「振り落とされるんじゃないよ!」
あたしを背負って力強く声を張り上げ、次々に攻めよせる魔族たちをなぎ倒す。
そんな師匠の背中に必死にしがみついてると、年老いた小さく細い背中がとても大きなものに思えた。
戦いが終わったあと、魔族を気絶させるだけにしてるのがわかって、どうにも納得いかなかったけど。
だけど、アレは今思えばそういうことだったのだろうか。
高速で動き回る師匠の背中、上下左右もわからない状態の中で、
「……なぁ、ニル」
「え……?」
不意に師匠が話しかけてきたんだ。
「アンタやリフレと一緒にいられるの、これが最後かもしれないからね、これだけは言っておくよ」
「な、なに? やられそうなの……?」
「まさか、こんなザコども物の数じゃないさ。……だがまぁ、聞いとくれ」
いつになく真剣な声色。
目をつむってたから表情まではわかんなかったけど、きっと表情も真剣だったと思う。
「これから先、リフレは辛い目に遭うかもしれない。そうなったら、アタシじゃ助けてやれないんだ。……だから、あの子を助けてやってほしい。たとえ魔族と協力することになってもさ。アンタは嫌だろうけどね」
「うん、嫌だ」
「ははっ、そうだろうさ。……ま、考えといてくれ。その時になったら、でいいからさ」
あの時は、さっぱり意味がわからなかった。
けど、今なら――。
〇〇〇
「……師匠」
「残念、僕はキミの師匠じゃないんだ」
「…………」
寝起き一番。
目覚めを出迎えたロークのニヤケ顔に、ニルは心底うんざりした。
「気分の方、いかがかな?」
「最悪。目が覚めて最初に見るのがアンタの顔とかゲロ吐きそう」
「そいつぁ何よりだ! 身体的になんの問題もない、ということだからね」
「は? それってどういう……」
「キミは今まで、生死の境をさまよっていた」
「……!」
「右手、見てごらん」
言われるまま、自分の右手に視線を移し、ニルは息をのむ。
彼女の右腕、肩から先が白い羽毛につつまれた異形の腕に変わっていた。
「こ、この腕……! アンタ、あたしの体になにをした!!」
「人聞き悪いなぁ。なんにもしてないよ。……いや、なんにもしてないわけじゃないか。何せ、キミを助けたのはこのボクなんだから」
「……助けた? 魔族のアンタが?」
たしかにと思い返せば、体に異変が生じたのはラムダによって第二区の結界が破壊されたタイミング。
ニルに細かい事情など知るよしもないが、そのあたりから彼女の記憶はおぼろげになっている。
「まずは状況の説明をしよう。キミが意識を失ってから、丸一日がたった。現在の時刻は正午ころかな?」
「そんなに寝てたんだ……」
「そしてここは雲上第一区。八区長の一人、ジョー・ガウンの屋敷さ」
「一区? 二区にいたはずなのに」
「あー、二区なら壊滅したよ」
「!?」
とんでもない情報に、ニルは己の耳を疑う。
記憶と照らし合わせれば、たしかに滅んでいてもおかしくないのだが、この男、あまりにもあっさりと、あっけらかんと言ってのけたのだ。
「いやはや、魔王様に真相を聞かされて、このボクもおどろいたよ。まさか世界中に人間を魔物化する物質が撒かれていて、ドゥッカの結界がそいつを防ぐためのものだったとはね」
「……? ……!?」
次々と押し寄せる情報の洪水に、ニルの頭がパニックになりかける。
「魔王様の結界を消され、おまけに同じ機能を持つ第二区の結界も破壊された。その結果、雲上第二区と雲下の人間全員が『天の御遣い』と呼ばれる魔物に姿を変えたわけだ。こりゃ一大事」
一方のロークは話に夢中。
ニルが内容を理解できようができまいが、どうでもいいようだ。
「こうなればすぐにでも攻め寄せてくるかと思いきや、丸一日が経過しても敵さんに動きがない。想定外の事態でも起きたのか、もしくは何かをたくらんでいるのか……」
「待って、待ってよ。それじゃあ人間たちは……」
「ほぼ全滅。一、三、四区の住民は無事だけどね。食料の供給源が大幅に減った魔族だって大変だ」
「そんなの……、世界の終わりじゃん……」
「そうだねー」
「……っ! アンタ! どうしてそんな他人事みたいに!」
地獄というにも生ぬるい、まさしく世界の終わり。
にもかかわらずのロークの態度に、ニルの憤りがとうとう爆発。
苛立ちにまかせて、無意識のうちに異形と化した右腕をベッドに叩きつけた。
ドガシャァァァッ!!!
「……え?」
結果、ベッドは衝撃を受けた場所から半分に割れてしまう。
尻もちをついたままあっけにとられるニルをよそに、またもロークのテンションが上がった。
「おぉ、素晴らしい! 腕の一部が変質したことでキミ、どうやら魔族に匹敵する戦闘力を得たようだよ!」
「アタシが……戦う力を……?」
「そうさ! 戦技や魔法の類も使えるようになったんじゃないかい? 感謝してほしいね、キミの変異した腕が体に馴染むよう、調整したのはこのボクなんだから!」
「これで、リフレといっしょに戦える……?」
「大変だったよ。魔王様から絶対に救ってくれと頼まれて、過去に変質した人間のデータを参考にリフレ君の細胞サンプルから作った安定剤を突貫で――」
「……そうだ、リフレ。リフレはどこ?」
「彼女か。敵の手に落ちたよ」
「……! だったら助けに行かなきゃ……!」
急いで立ち上がり、部屋を飛び出そうとするニルの肩を、ロークがぐい、と押しとどめる。
「はい、ストップ。現在魔王様と残りの区長たちで反攻作戦の計画を立ててるから、それまで待つんだね」
「でも……!」
「キミ一人で敵のまっただ中に飛びこんだらどうなるか、ボクほどの知能がなくとも想像できるよね?」
「う……」
「いわんや、自分がどの程度戦えるのかすらわからないキミをや」
すっ、と手を引くも、ニルはうつむいたまま。
ロークの言葉を不服ながらも受け入れたようだ。
「他にできることならいろいろあるだろう? 安静にして回復するもよし、自分の力を試すもよし。雲の下から知り合いが避難してきてるかもしれないから、会いに行くのもいいだろう」
「雲の下……!? 全滅したんじゃなかったの!?」
「わずかな人数が、魔族に連れられて避難してきている。当然だけど、魔物化の進行が早くて手遅れな人たちもいるけどね。この屋敷の外、広場のキャンプに――」
「……っ!」
「あ、ちょっとぉ!」
今度は止める間もなく、部屋を飛び出していくニル。
彼女の脳裏によぎったのは、いまや赤の他人となった自分の祖父ではなく、ジャージィの母。
衝動に突き動かされるまま、ニルは走る。
赤の他人に違いないのに、どうしてここまで気になるのかわからない。
ただ、リフレが行く末を気にしていた老婦人の無事を、確かめずにはいられなかった。




