38 歓喜とともに
やれやれ、と言わんばかりにため息をつき、左右に首をふる師匠の姿をした何者か。
リフレは視線だけで殺せそうなほどに鋭いまなざしでにらみつける。
「答えなさい。あなたは何者です。目的は?」
「答えてやってもいいんだが、ちと聴衆が多いんでね。二人になってから、ゆっくり話させてもらうよ」
「このわたくしが、易々と連れさらわれるとでも――」
「う、ああぁぁぁぁっ!!!」
リフレと老婆のにらみ合いを途切れさせたのは、少女のしぼり出すような悲鳴。
リフレの腕の中、苦しみ悶えるニルの右腕がひび割れ、その下から白い魔物の肌が見えはじめていた。
「ニル……!」
老婆から目線を切り、ニルを見やったその瞬間。
とんっ。
「あ――」
師匠に再会した時、リフレの意識を刈り取ったのと同じ、首筋への手刀。
大聖母のソレとキレ、技の冴え、共にまったく遜色のない一撃だった。
それでも普段のリフレなら、回避できる範囲だっただろう。
ライハとの戦いで消耗し、第二区を襲った異変に動転し、ニルに気を取られていなければ。
「さぁて、聖女様。ご一緒してもらおうかね」
崩れるリフレの体を支えて担ぎ上げる老婆。
苦しむニルには一瞥もくれず、去ろうとしたその時。
「二度も……っ、連れて行かせるかぁぁぁぁッ!」
傷だらけの体を押して、ライハが立ち向かう。
魔力を封じられたその剣に雷光はまとえず、傷だらけの体もうまく動かない。
それでもリフレを守るために、気迫だけで打ちかかっていく。
「……ムダなことを」
ドゴォッ!!
「が……ッ」
が、気迫だけではどうにもならない。
カウンター気味に放たれた上段回し蹴りが側頭部にヒット。
ライハはあっけなく吹き飛ばされる。
「後々ジャマになるだろうしねぇ、ここでキッチリ殺しておくか」
魔王を殺せば、その記憶と力を受け継ぐことが可能だが、その権利を破棄することもできる。
受け継がなかった場合、人々の負の感情が凝り固まって魔王が自然発生するには数十年の時が必要。
ライハが死ねば今存在する魔族は全て消滅し、その間、地上には戦う力を失った人間しか残らない。
「ぐ……、チクショウ……」
老婆がゆっくりと近づき、足を振り上げる。
一気に振り下ろしてライハの頭を砕くために。
「ご苦労さん、魔王ライハ。このババア共々、なかなか手こずらせてくれたモンだよ」
「し、死ねるか……。リフレのためにも、こんなトコで……っ、クソぉ……!」
「いさぎよく諦めな。なぁに、愛しのリフレちゃん以外の全人類と、すぐにあの世で会えるさ。――っ!?」
シュパッ!
横振りになぎ払われた剣閃。
素早い反応で身をかわし、距離を取った老婆がにらむ先には、ライハをかばうように立ちはだかるグフタークの五体満足な姿があった。
「グ、フターク……、治、ったのか……!」
「魔王様じきじきに注いでくださった負の感情、このグフタークしかと受け取りました。魔王様の愛で満たされれば、腕の二本や三本など」
「キモ……。けど、助かった……っ」
「……なんだ、ザコが増えただけかい」
絶対の自信があるのだろう。
ライハの見立てでは、老婆の身体的スペックは大聖母とほぼ同等。
おそらく肉体そのものを乗っ取り、100%に近い力を引き出せるはず。
いくら全快状態とはいえ、グフタークでは到底敵わない相手だ。
だが、それでもライハはリフレを諦めきれなかった。
「……ねぇ、リフレを助けるために死んでって命令……、聞ける……?」
「魔王様のご命令とあらば、笑って死にましょう。しかし、その結果魔王様まで死んでしまわれては……」
グフタークもかなりの使い手。
敵との力量差を測れないほど愚かではない。
確実に自分は負け、その後ライハも殺されると、そう断言できる。
「……魔王様、申し訳ありません。初めて命令に背くことになります」
「……そっか。後で、お仕置きな……!」
「あぁっ、ありがたきしあわせ……ッ!」
「変態……、ホントキモイ……。……じゃ、あの子だけ助けてからね」
ふるえる指でライハが指さす先には、右腕が魔物に変異していくニルの姿。
「あの子……、リフレが、大事にしてるみたいだからさ……。気にいらないけど……、見捨てたら嫌われちゃう……」
「承知しました。しかし、ヤツ相手にその隙が作れるか……」
たとえ老婆にとってはどうでもいい存在だったとしても、人間一人を救い出したあとにライハも連れて離脱することは限りなく不可能に近い。
しかし二度も主の命令に背くわけにはいかない。
決死の覚悟を決めるグフタークに対し、老婆は余裕の表情を浮かべていた。
「……お話は終わったかい? なら遠慮なく――うっ……!」
が、彼女は突如として苦しみだし、大きく隙をさらす。
「い、今のうちだ……! さっさとニル連れて逃げな……っ! っぐぅ……!」
「な……!?」
様子の急変した老婆に戸惑うグフタークだったが、
「今だグフターク、ボヤボヤするな……っ!」
「は、はい……!」
ライハの声に、すぐさま自分を取り戻して動き出す。
本人が抱えているリフレの救助はさすがに不可能だったが、ニルを救うには充分だった。
すばやく少女を担ぎ上げ、ライハの下に戻ってこれも回収。
すぐさま全速力でその場を離脱していった。
「…………っ、はぁ、はぁ、逃げられたか……! あのババァ、まだ表に出てこられるとはね……。……まぁいいさ、聖女は我が手に落ちたんだ……、ククク……っ」
おそらく雲上第一区へむかったのだろう、グフタークの背中を見送ると、老婆は第二区の街へと歩き出す。
純白の翼を持った白い魔物が老婆の――否、老婆のかつぐリフレの存在を、歓喜とともに迎えていた。




